雑誌正論掲載論文

対談 橋下ブームと「ヒットラアと悪魔」

2012年05月25日 03:00

拓殖大学大学院教授・遠藤浩一 Vs. 文芸批評家・新保祐司

 保守も左翼も橋下氏に対して高を括ってはないか。彼は高を括れるような政治家ではない。そのパフォーマンスはあらゆることを織り込み緻密に計算されている(月刊正論6月号

厄介な事態

 遠藤 現在の日本の政治状況を私なりの見立てで簡単に説明すると、冷戦終結の頃から自民党は統治者能力を自ら減退させていって、とうとう民主党に政権を渡した。しかし自民党と民主党はポジ・ネガの関係にすぎず、ポジの後にネガが出てきて、より悲惨な様相を呈し、国民は改めて大きな失望を味わわされている。自民・民主の隙間をついてみんなの党が登場し、一時は一定の支持を吸収しましたが、所詮「既成政党がダメだから」というネガティブな感情に押されたものにすぎなかったから、時間が経つとともに支持は去っていった。

 いま橋下氏を押し上げているエネルギーの源泉も、やはり「既成政党がダメだから」という国民の失望感です。そして既成政党が立ち直る気配がない。橋下氏にはある種のしたたかさと粘り強さがあり、次々と話題を提供することで、「既成政党がだめだから」という国民の失望を自分のエネルギーに転換することに成功しています。

 正直なところ、私は「厄介な事態だなあ」という思いにとらわれています。保守的、ナショナリスティックなことを時々言って、そういうものに飢餓感を持つ人々の情念を刺戟することで支持を拡大する橋下氏ですが、そうした言説が彼の内実から出たものかどうか、よくわからないからです。

 新保 おそらく内実から出たものではないし、内実とわれわれが思うようなものは、彼にはないと思います。「そんなもの、なくてもいい」と思っているのではないでしょうか。

 遠藤 多分そうなんでしょうね。

 新保 それにしても、教育現場や職員組合を相手に見せるナショナリスティックなパフォーマンスはなかなか見事ですね。ただ、私から見れば橋下氏の要求はきわめて常識的なことです。つまり、教育現場や職員組合はそれほどひどい状態のまま放置されていたということです。

 遠藤 つけあがる組合に対してガツーンとやったり、「君が代」斉唱のときに起立させたり、時々光彩を放つ。しかしそれは周囲がどんよりと暗いから光って見えるだけだし、そうした光の点と点をつなぐものが何かというのがよく分からない。

 新保 確かにそうですね。まだ正体がよくわからないため、一方のメディアは「独裁」というキーワードで橋下氏に対する警戒を喚起しています。いわく、民主主義は堕落すると独裁を求める。それゆえ橋下氏が登場しブームを起こしていると。もう一方のメディアは「強いリーダーシップ」をキーワードに、機能不全に陥った政治を蘇生させるには橋下氏のような政治家が必要だと訴える。『正論』の先月号では適菜収氏が前者、山田宏氏が後者の立場でした。

 遠藤 橋下氏について考える場合のポイントはやはりそこにあると思います。多くの国民は独裁を望んではいないでしょう。そこまで覚悟は定まっていない。議院内閣制の下で強力なリーダーシップを発揮する指導者を求めているのだと思います。しかし、議院内閣制の下でリーダーシップを発揮するというのは本当にしんどい手続きが必要です。まず選挙で勝って多数派を形成しなければいけない。次にその党をまとめなければいけない。さらに党の中で主導権を握らなければいけない。そのうえで野党と対決すると同時に、時には取り引きし、協調しなければいけない。まさに綱渡りをする運動神経と粘り強さ、バランス感覚が求められるわけです。

 それが面倒くさいとなると、首相公選制という話が出てくる。総理大臣を公選で選んで、そこに一定期間権限を集中させないとダメだというのは、野心を持つ政治家が一度は取り憑かれる麻薬のようなものですが、所詮逃避なんですよ。議院内閣制の下での粘り強いリーダーシップの追求から逃げているだけ。制度を変えれば権限が集中できて強いリーダーシップが発揮できるという発想は、権力を取って制度を変えてさらに権力を強固にしていったヒトラーと根本的には変わりません。浅慮の先に全体主義が待っている。その危険性を橋下氏にも指摘できると思います。

政治とマーケティング

 新保 大阪維新の会の周辺には堺屋太一氏や大前研一氏がいて、上山信一氏が顧問をしています。上山氏はマッキンゼー(コンサルティング会社)の出身で、橋下氏も大前氏の愛読者でしょう。結局、維新の会はマッキンゼー手法なんです。「国民はこうだから、こういう局面ではここを突くのがいい」という発想。つまりマーケティングに基づいて大阪府知事選と大阪市長選を戦った。政治はマーケティングからもっとも遠いところにあるべきもので、人間の情念のぶつかり合いというイメージが私には強いのですが、計算だけで動くようになっている。維新の会の周辺にいるのは、いかにも頭の回転の速いビジネスに長けた人ばかりです。

 遠藤 そうなんですね。「脱原発」と「反原発」を結びつけて訴えるという手法もそれです。マーケティング型選挙のポイントは何かというと、自分の土俵に相手を引き込むために争点を先に設定することです。そしてマーケティングを生業にしている人たちの最大の要諦は何かといえば、勝ち馬に乗ること、勝てる候補者の応援をすることです。ビジネスですから。だから勝てる候補者ならばどんな主義主張を持っていようと関係ない。平成6年に新進党が結成されたときは、大手広告代理店の子会社がPRを請け負いました。ところが自民党を担当していたのはその親会社なのです。つまり親会社と子会社が政権政党とそれに対抗して台頭してきたライバル政党の選挙を牛耳るという異常な事態が起こった。私には異常な事態と映ったのですが、実は異常でも何でもなかった。彼らにとっては単なるビジネスだったのです。大阪のダブル選挙だって、結局はマーケティングが上手な方が勝ったということです。

 ただ、マッキンゼー出身の大前氏は平成維新の会を結成して、平成7年に行われた都知事選と参議院選挙に自ら出馬しましたが惨敗しています。選挙というのはマーケティングだけでは制御できないものがある。良くも悪くも政治家にある種のパッションがないと、有権者のルサンチマンも含めた情念をくすぐることができない。

 新保 ところが、橋下氏にはわけのわからないパッションがあります。それを橋下氏とPR会社は上手に使っていると言える。

 遠藤 そうなんですよ。だから選挙で圧勝し、いまもブームは続いている。これまでPR会社は保守的な主張をあえて商品化しない手法を取っていたのですが、橋下氏の場合、保守的に見える主張が商品化できることがわかり始め、それをマーケティングに基づいて効果的に伝えるようになった。

 新保 まさにプロパガンダです。橋下氏の言動を眺めていて、私は小林秀雄の『考えるヒント』の中にある「ヒットラアと悪魔」を思い起こしました。このエッセイは「十三階段への道」(ニュールンベルク裁判)という映画を観たあとでヒトラーについて考えをめぐらせたものです。《彼の人生観を要約する事は要らない。要約不可能なほど簡単なのが、その特色だからだ。人性の根本は獣性にあり、人性の根本は闘争にある。これは議論ではない。事実である》《ヒットラアの独自性は、大衆に対する徹底した侮蔑と大衆を狙うプロパガンダの力に対する全幅の信頼とに現れた》と小林さんは書いています。

 橋下氏が「チョビ髭の悪魔」になるとは思いませんが、かなり危ない面もある。山田宏氏や中田宏氏といったプロの政治家とは、いまはいい関係にあるようですが、私は二人が橋下氏にいいように利用されてしまう可能性が高いと考えます。

 遠藤 キツネとタヌキの化かし合いですかね。私も狡猾さという点では橋下氏のほうが一枚上だと思います。それだけに危うい感じがする。山田氏と中田氏はどちらかといえば真面目なタイプですから、彼らの手に負えるのかなあ。続きは月刊正論6月号でお読みください

 ■新保祐司(しんぼ・ゆうじ)昭和28(1953)年、仙台市生まれ。東京大学仏文科卒。会社勤務をへて文芸批評家に。都留文科大学教授。平成19年に正論新風賞受賞。主な著作に『内村鑑三』『信時潔』『正統の垂直線 透谷・鑑三・近代』『鈴二つ』『フリードヒ 崇高のアリア』。

 ■遠藤浩一氏(えんどう・こういち)昭和33(1958)年、金沢市生まれ。駒澤大学法学部卒。民社党広報部長、政治評論家をへて拓殖大学大学院教授に。平成21年に正論新風賞を受賞。主な著作に『消費される権力者』『小澤征爾 日本と西洋音楽』『政権交代のまぼろし』『福田恆存と三島由紀夫』。