雑誌正論掲載論文

韓国「3・1独立運動」のウソ

2019年03月05日 03:00

評論家 八幡和郎 月刊正論4月号

 この『正論』4月号が発売される2019年3月1日は、日本の植民地時代に朝鮮半島で起こった「三・一独立運動」から百周年にあたる。彼の地においては史実とかけ離れた反日史観が炸裂し、事実の捏造を交えながらのキャンペーンが展開されることが予想されるので、この一月に出した『捏造だらけの韓国史』(ワニブックス)では次のように書いておいた。

「どうせ、韓国では愛国的粉飾を加えて、『大虐殺があった』、『大韓民国の建国はこの時だ』などと言うに決まっています。しかし、『大虐殺』など幻ですし、むしろ、『三・一運動』を機に日本の朝鮮統治は安定し、皇民化へ向かって大きく舵が切られたのです」

「今年のイベントを機に、韓国は得意の『歴史捏造』をしながら、さらに反日攻勢を加速していくことも予想されます。しかし、日本国民はそういう虚構に対して、毅然として立ち向かう覚悟をしなくてはなりません」

 ここに書いた「大韓民国の建国はこの時だ」という主張については、日本人に馴染みがないので、少し説明を加えておきたい。

 二〇一七年一二月、重慶を訪問した文在寅大統領は「大韓民国臨時政府」庁舎跡を視察し、「臨時政府は韓国の根っこだ」と述べ、韓国は中国での抗日活動を継承した国家だと強調した。

 三・一運動による混乱がまだ続いていた一九一九年四月一三日(一一日という人もいる)、李王家傍流(ハングルを創った世宗の兄の子孫)である李承晩(後の大韓民国初代大統領)らが上海で大韓民国臨時政府を樹立した。

 しかし、当時の世界はもちろん、朝鮮でもそれほど注目されたわけではなく、李承晩は1925年に内輪もめにより離脱し、そのあとは左派の一部が重慶で蔣介石の庇護の元、細々と活動しただけであった。ところが、戦後にアメリカが李承晩を南の指導者に就けたことから、彼によって「これが大韓民国の建国である」などという空想的な歴史観が生み出されたわけである。サンフランシスコ講和条約が締結される際に韓国は「戦勝国として参加させろ」と騒いだが、相手にされず、その腹いせもあって、竹島を占拠した。

 たしかに現在の韓国の憲法前文には、「大韓国民は三・一運動で成立した大韓民国臨時政府の法統」を継承すると書かれているが、あまり現実的な意味はないので、朴槿恵政権のもとでは、一九四八年をもって「大韓民国樹立」としていた。ところが、文在寅大統領は、前政権に対抗する意味からも、この臨時政府の活動を高く評価することで反日キャンペーン、媚中活動、国内における反保守勢力の歴史観への戦いの道具にしたがっているのである。

 日本は一九〇五年の第二次日韓協約によって、韓国の外交権を回収、いわゆる保護国とした。伊藤博文が統監として赴任したこの時期も不完全ながら大韓帝国の内政に関与したため、日本統治時代の韓国については、①統監府時代②一九一〇年の日韓併合後の武断統治期③ソフトで比較的自由な雰囲気だった文化統治期④日中戦争が始まってからの戦時体制期に分けて論じるのが適当だ。

 併合前の保護国だった時期には旧支配層の不満や朝鮮軍解散を原因として「義兵」という形の抵抗が頻繁にあった。日本の明治初期の「不平士族の乱」に似たものだったが、これはあくまで旧支配層の特権侵害への抵抗であり、一般民衆とは関係がないという限界もあったため、簡単に鎮圧できた。西南戦争における西郷隆盛のようなリーダーもいなかった。

 初代朝鮮総督の寺内正毅の時代は「武断統治期」といわれるが、これは統治体制が十分に整備されていなかったため、軍隊と一体化した憲兵制度や、言論や結社の厳しい制限によって臨むしかなかっただけだ。

 日本には憲兵という言葉を聞いただけで「強圧的だ」と飛びつく人がいるが、これはフランスで警察制度を学んだ寺内が当地の制度を導入しただけである。フランスは今も地方の治安維持は憲兵隊(ジャンダルムリ)が担っていて、警察より評判が良いくらいである。農村部では迅速に動ける軍隊が治安維持をするほうが合理的だという発想である。

続きは月刊正論4月号でお読みください

■ やわた・かずお 昭和26(1951)年生まれ。東京大学法学部卒業後、通産省(現・経済産業省)に入省。フランス国立行政学院(ENA)留学。退官後、評論家に。徳島文理大学教授。近著に『捏造だらけの韓国史』(ワニブックス)。