雑誌正論掲載論文

教育の無償化は決行だが、財源をどうする?

2018年01月25日 03:00

嘉悦大学教授 高橋洋一 月刊正論2月号

 教育の無償化について、議論するとき、まず、無償化の対象となる教育とはどこまでかから始めるのが普通だろう。

 憲法26条第2項は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」と定めている。小学校と中学校はすでに無償で新たに「教育の無償化」を考える場合それは、小学校に入学する前と高校以降が対象になる。ここで「義務教育を無償とする」という場合、それは、学校教育法4条第2項にある「国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない」とある。憲法26条の「無償」とは、「子女の保護者に対しその子女に普通教育を受けさせるにつき、その対価を徴収しないことを定めたものであり、教育提供に対する対価とは授業料を意味するものと認められるから、同条項の無償とは授業料不徴収の意味と解するのが相当である」と解するのが通例で、ゆえに学校教育法も、授業料を無償とする、としている。(なお義務教育段階においては国公私立を問わず教科書も無償となっているがこれは教科書無償措置法等によるものだ)

 無償とする場合、それは原則として授業料を指すことはいいだろう。要するに、小学校に入学前と高校以降のどこまでの授業料を無償の対象とするか、と論点を整理できる。

 しかし、この議論は、財源論を議論しないと、政策論としてはほとんど意味がない。しばしば、教育関係者は財源論を議論せず、かくあるべきとの理想論を振り回す。しかし、それがいかに崇高な意見でも、実現にあたって他の財政支出を削減したり、新たな国民負担を増やさなければいけなくなる。つまり、政策論としては財源論なしでは議論にならないのだ。

こうした問題を平板的に議論する時には、いろいろな論点を掲げて、ああでもないこうでもないと時間を使って議論ができる。これは、しばしば政府内の審議会で用いられる方法で、時間をかけて、政治的な落としどころを探るときに用いられる方法だ。

 筆者も元役人なので、時間をかけて行う論点を掲げることはできる。例えば、幼稚園を無償化したら、保育園はどうするのか、文科省と厚労省の省庁の壁はどうするのかといった論点を提示できよう。

 すると、霞が関官僚は必死に自分のテリトリーを守ろうとする。調整には際限のない時間を要し、やがて何もできなくなる。こうした論点を用意すれば、問題はいつまで経っても解決せず、「検討中」といえる格好の材料となる。純粋な政策論では、そうした時間のかけ方は無駄である。

 実は、教育無償化ではある論点をクリアすると、対象とすべき分野の範囲と財源論を一気に解決できる。

 それは、教育が投資であるかどうかである。

 例えば、高等教育支出をすると、その恩恵を受けた人の将来所得が高まるとしよう。教育支出にかかる費用より、将来所得が高ければ、政府は教育にかかる貸付制度を作ればいい。そうすれば、将来所得が高まる程度に応じて、学生が借りるはずで、これが教育ローン(奨学金)である。

 高等教育には、学生の将来所得以外にも、そのほかの社会的な便益もある。もちろん、高学歴の人の知識は社会のいろいろな分野に広がる。また、高学歴には失業が少なく、政府の失業保険にとってはプラスの効果になる。これら諸々を社会的な便益を考えたとき、当初の教育支出にかかる費用よりも大きければ、教育は投資になる。

 その財源は何かというと、当初に投下した資金は将来に回収できるのであるから、財源は国債になる。投資であれば、その財源は税でなく、国債になるというのは、ファイナンス理論の基本である。

 小学校に入学する前でも、教育に投資効果が認められれば、財源を国債として、教育無償化を行えばいい。

 高校以降の高等教育機関でどこまで授業料を無償にするという場合でも、それが投資になることさえ明らかになれば、財源は国債なので、他の財政支出を削減したり、増税措置は不要なので、財源論もクリアできる。以上がエッセンスだが、議論を続けよう。

 筆者は、「知識に投資することは、常に最大の利益をもたらす(An investment in knowledge always pays the best interest.)」というベンジャミン・フランクリンの名言を引用しながら、教育を投資として捉えると、社会的な便益が当初の投下コストより高いことを紹介しよう。

 もちろん、社会的な便益が投下コストより高いかどうかは、定性的な議論ではなく、実証分析から示されることである。なので、この議論を否定したければ、否定したい人が反証する必要がある。

 実は、教育が投資という考え方は、以前から財務省の中にも存在していたことも白状しよう。簡単にいえば、有形資産も無形資産も、経済発展のためには欠くことができないものだ。しかし、今の財政法では有形資産の場合にしか国債発行を認めていない。

続きは正論2月号でお読みください

■ 高橋洋一氏 昭和30年、東京都出身。東京大学卒業後、大蔵省に入省。理財局資金企画室長、プリンストン大学客員研究員などを経て、現在嘉悦大学教授。経済学者として著書多数。