雑誌正論掲載論文
チャンス到来! 北方領土返還の現実味
2016年09月05日 03:00
東海大学教授 山田吉彦 月刊正論10月号
北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)の返還交渉は急速に進む兆候を見せている。9月3日、ロシアのプーチン大統領は安倍晋三総理大臣をウラジオストクに招き、会談を行う予定だ。2012年に第二次安倍内閣が発足してからプーチン=安倍の首脳会談は既に10回を数える。さらに今年中のプーチン大統領の来日でも両国政府は調整に入っている。いやがうえにも北方領土問題の解決に向けた動きが期待される。
筆者は、今年7月、ビザ無し交流訪問事業に参加し、3年ぶりに国後島、色丹島を訪れ、領土返還が動き始めていることを実感した。ロシア側は北方四島の開発状況の差別化をしている。・択捉島は、企業中心の市場経済化を進め、・国後島は、公共投資による見せかけの開発、・色丹島、歯舞群島は、開発の手が届いていない。この違いを認識することが、四島返還の糸口となるだろう。
北方領土問題を解決するためには、日ロの両国において安定した政治基盤が必要となり、さらに、歴史的ともいえる決定を下す強いリーダーシップが不可欠である。まさに、安倍首相の日本と、プーチン大統領のロシアが、その条件を満たしている。また、これまで北方領土問題の進展に対し、常に難色を示してきたアメリカが大統領選挙の時期を迎え、日ロ関係に強硬な意思を示すことができない政情にある。日ロ両国が、北方領土問題を解決するための条件が整っているのだ。
北方四島は、日本がポツダム宣言受諾を表明し武装解除をした直後、ソ連軍の侵攻を受け軍事占領され、現在もロシアのよる実効支配が続いている。かつて四島で暮らしていた1万7000人ほどの日本人は、すべて退去を求められ日本本土へと送られた。ふるさとを奪われた元島民の生存者は、7000人を割り込み、平均年齢も80歳を超えている。日本国政府は、全力を投入し解決を急がなければならないのだ。
ロシアは、択捉島をサハリン州クリル管区、国後島、色丹島、歯舞群島を南クリル管区として行政区的にも分離している。そして、ロシア政府は、その島々の開発を差別化しており、明らかにその利用情況にも差をつけている。
最も大きい択捉島は、水産加工業「ギドロストロイ」社を中心に市場経済化した社会が構成され、ギドロストロイ帝国とさえ言われているが、二番目に大きく、知床半島と根室半島の間に存在する国後島は、若干の水産加工場があるだけで、島の経済は公共投資に依存し「作られた島」との印象を受ける。島の北側半分は、自然保護区とされ人の立ち入りを制限している。色丹島は、水産加工業も縮小傾向にあり、島民人口の三分の一は、国境警備隊関係者で維持されている。公共投資も病院、体育館など、国境警備隊による利用価値が高いものばかりに集中しており、日本への返還も安全保障体制の協議次第で考えられないこともない。歯舞群島は国境警備庁、軍関係者しか居住しておらず、開発はあまり行われていない。いつでも返還できる島である。
北方四島の返還の障壁となるのは、安全保障問題である。北方領土海域は、日本海と太平洋を結ぶ、ロシアの重要なシーレーンである。国後島と択捉島の間にある「国後水道」は、ロシア潜水艦の通過路となっている。仮に国後島、択捉島の両方が、日本に返還された場合、国後水道は日本領海に含まれ、国連海洋法条約の規定によりロシアの潜水艦は浮上し国旗を掲揚して通過しなければならなくなるため、ロシアは容易く譲歩できるものでもない。また、ロシアは国防上、北方四島のいずれの島を返還したとしても、その島に日本の自衛隊の基地、同盟国アメリカの軍事施設を設置しないことを確約しなければ、返還のテーブルに乗らないだろう。北方四島周辺の海洋安全保障が重要なのだ。
3年ぶりに降り立った国後島の古釜布港には、にわか仕立てのフェンスが作られ、外界と隔たれていた。このフェンスは、SOLAS条約(海上における人命の安全のための国際条約)に準じ、外国からの船を受け入れる港湾施設に侵入防止等の保安対策を行うために設けられたものであり、ビザなし交流訪問団は、あくまでも外国人の受け入れであるというロシア政府の意思を示している。ロシア側の当局者は、全団員の名が記載された入国カードを用意し、日本側の担当者に手渡そうとしたが、当然、担当者は受け入れを拒んだ。ビザ無し交流は、日本人と北方四島に住むロシア人が旅券や査証(ビザ)なしに相互訪問する仕組みで、1991年に「相互理解の増進を図り、領土問題の解決に寄与する」目的で設けられた。翌92年から2015年までに日本側からは北方四島出身者とその親族、北方領土返還運動関係者ら、延べ1万2439人が参加している。ロシアは、形式的に北方四島がロシアの実効支配下にあることを示し、交渉の前提条件を優位に確定しようとしているようだ。
今回の交流事業での訪問先は、教会、学校、図書館、消防署などロシア側の思惑によりセットされた場所ばかりであり、空港や水産加工工場など、視察を希望しても受け入れられなかった。筆者は、島内の開発状況を見て、国後島、色丹島の開発が見せかけのものであると実感した。
択捉島では、ギドロストロイ社が中心となり、企業による市場経済化した社会が定着しつつあるが、国後島、色丹島では、公共投資による事業により雇用がおこなわれ、経済も公共投資により支えられている。水産加工業も縮小傾向にあり、市場経済を維持することができない。3年前、国後島で南クリル管区の行政府を訪れた際、これからは観光に力を入れると述べていたが、2015年に国後島、色丹島を訪れた観光客数は、約1300人であり、産業といえる規模にはなっていない。
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■ 山田吉彦氏 昭和37(1962)年生まれ。学習院大経済学部卒。埼玉大大学院経済科学研究科博士課程修了。専門は海洋安全保障など。第15回正論新風賞受賞。