雑誌正論掲載論文
織田論文否定は官邸の失態 ――第二の「田母神論文」にしてはならぬ
2016年08月15日 03:00
評論家・拓殖大学客員教授 潮匡人 月刊正論9月号
今から三十年前、私は航空自衛隊築城基地(福岡県)の第8航空団第304飛行隊で整備小隊付幹部(2等空尉)として文字どおり現場に立っていた(本年から304飛行隊は那覇の第9航空団)。飛行場の列線(ライン)に並んでいた戦闘機はF4EJファントム。飛行班長は(今や渦中の)織田邦男3等空佐だった。昔も今も尊敬すべき先輩である。
織田先輩は大阪大学を蹴って防衛大学校に入校。航空自衛隊の戦闘機パイロットとなり、ひとり選抜され、米空軍大学校(指揮幕僚課程)にも留学した。佐藤守(元空将)の指摘を借りよう。「明敏で教養があり、気骨がある」(六月三十日付「夕刊フジ」)。第301飛行隊長、米スタンフォード大学客員研究員、第6航空団司令などの要職を歴任し、最後は航空支援集団司令官としてイラク派遣航空部隊を指揮した。当時の内閣総理大臣は今と同じ安倍晋三である。
その頃、航空自衛隊はイラク派遣で一六機しか保有していないC―130H輸送機を、常時イラクに三機も貼り付けていた。
憲法九条(および政府解釈)の制約から、自衛隊の装備は「自衛のための必要最小限」として整備されてきた。日本有事を想定した機数であり、海外派遣は「本来任務」ではなかった。なのに、それを地球の裏側に常時、三機貼り付けてよいなら、元々一六機も要らなかったのではないか、という疑問が生じてしまう。「自衛のための必要最小限」を超えていたと批判されても反論できない。その他の事情から政府与党は、いわゆる海外派遣を、自衛隊法第三条の「本来任務」として位置づけた。法第三条に第二項を新設し、「主たる任務の遂行に支障を生じない限度において」実施すべき「従たる任務」とした。
案外知られていないが、陸上自衛隊の派遣部隊がイラクのサマーワ駐屯地を撤収した後も、空自は引き続き、国連や多国籍軍などのニーズに応えるため、隣国クウェートからイラクのバグダッドやエルビルまでの間で空輸を継続した。当時、その指揮官(航空支援集団司令官)を務めた織田邦男空将が「官邸で安倍氏に」こう伝えた。
「前回帰国した隊員の中には派遣が四回目という者もいる。航空自衛隊の場合、パイロットも地上整備員もC130を運用できる限られた隊員が派遣されている。リリーフ・ピッチャーがおらず、一人で先発完投が続く。派遣が長期化するに伴い、派遣隊員一人ひとりの負担は重くなる」(「世界週報」二〇〇六年一二月五日号)
なにしろ「必要最小限度」の中から、四分の一近くを削って派遣したわけである。残された部隊の負担も大きかった。C―130H輸送機は、海外での災害救助など国際緊急援助活動でも頻繁に派遣される。隊員には休暇を取得する余裕もない。
特に空自は、イラクに四回も五回も派遣された隊員が少なくなかった。空自ではパイロットも整備員も機種ごとに育成する。だからリリーフ・ピッチャーがいない。「一人で先発完投」(織田)となった。法令上は「主たる任務遂行に支障を生じない限度において」実施すべき「従たる任務」なのに、これでは主従逆転ではないのか。織田司令官が官邸で安倍総理に直言した内容を、勝手に忖度すれば、そういうことにもなろう。当時の航空幕僚長は田母神俊雄。私との対談共著で、こう振り返る(『自衛隊はどこまで強いのか』講談社+α新書)。
《自衛隊としては、「とにかく隊員を死なせるな」ということが至上命題でした。そのためには、個々の隊員や、現場の指揮官が判断して危険を回避するしかありません。/なにしろ法令上の制約があり、「正当防衛、緊急避難にかかわらず撃て」という命令は出せません。派遣を命じる立場としては「死ぬな」と言うしかないのです》
その田母神空幕長が解任された直後、当然のごとく織田空将に白羽の矢がたった。だが当時の自民党政府は「田母神論文」を「踏み絵」とした。踏まなかった織田空将が空幕長となることはなく、航空支援集団司令官を最後に退官した。それ以降、航空自衛官は〝隠れキリシタン〟のごとく、歴史認識と使命感を受け継いでいる。航空自衛隊と政府与党との確執は今に始まった話ではない。
騒動の経緯を振り返ってみよう。先ず六月二十八日「東シナ海で一触即発の危機、ついに中国が軍事行動 中国機のミサイル攻撃を避けようと、自衛隊機が自己防御装置作動」と題した織田元空将の論文がネット上(JBプレス)に公開された。論文は同月、相次いだ中国海軍の領海侵犯や接続水域侵入に触れ、「これら海上の動きと合わせるように、東シナ海上空では、驚くべきことが起こりつつある。中国空海軍の戦闘機が航空自衛隊のスクランブル機に対し、極めて危険な挑発行動を取るようになった」と指摘し、こう明かした。 「攻撃動作を仕かけられた空自戦闘機は、いったんは防御機動でこれを回避したが、このままではドッグファイト(格闘戦)に巻き込まれ、不測の状態が生起しかねないと判断し、自己防御装置を使用しながら中国軍機によるミサイル攻撃を回避しつつ戦域から離脱したという。(中略)冷戦期にもなかった対象国戦闘機による攻撃行動であり、空自創設以来初めての、実戦によるドッグファイトであった」
さらに「今回の事例は極めて深刻な状況である。当然、政府にも報告されている。/だが、地上ではその深刻さが理解しづらいせいか、特段の外交的対応もなされていないようだ。だからニュースにもなっていない。問題は、こういった危険な挑発行動が単発的、偶発的に起こったわけでなく、現在も続いていることだ」と指摘。こう訴えた。
「余計な刺激を避けようと、こちらが引くだけでは日本の弱腰を見透かされ、中国軍の行動はさらにエスカレートし、軍による実効支配が進んでしまう。まさに中国の思うつぼである。(中略)中国は今回、間違いなく一歩踏み出した。今、中国はこれらの動きに対する日本政府の反応を見ている。(中略)ことは急を要する。政治家はまず、ことの深刻さ、重要さを認識すべきである。今のまま放置すれば、軍による実効支配が進むだけでなく、悲劇が起きる可能性がある」
元将官にここまで言われ、政府はどうしたか。
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■ 潮匡人氏 昭和35(1960)年生まれ。早稲田大学法学部卒。旧防衛庁・航空自衛隊に入隊。早大院法学研究科博士前期課程修了、航空総隊司令部などを経て3等空佐で退官。帝京大学准教授などを歴任。