雑誌正論掲載論文

天皇陛下「譲位の御意向」に思う なぜ明治以降に「譲位」がなかったのか

2016年08月05日 03:00

作家 竹田恒泰 月刊正論9月号

 七月十三日、NHKが「天皇陛下『生前退位』の意向示される」と報じた。天皇陛下がその御位をお退きになる御意向というのは、これまで漏れ伝わることもなかっただけに、私を含め多くの人が驚いたことと思う。

 NHKによると、陛下は「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」と思し召され、今後、年を重ねていくなかで、大きく公務を減らしたり代役を立てたりして天皇の位にお留まりになることは望んでいらっしゃらないという。また、皇后陛下はじめ、皇太子殿下、秋篠宮殿下もこの聖旨を受け入れていらっしゃるとのこと。

 この報道はNHKの単独スクープとして報じられ、「宮内庁の関係者に示されていることが分かりました」というのみで、話の出所も分からず真偽不明と言わざるを得ないが、余程自信があるようで、報道各社もこれに追従した。

 私はこれだけ重大なことがNHKの単独スクープとして伝えられたことに違和感を覚えるものの、もしこの「御意向」が事実であるなら、畏れ多くも陛下は重大なご決断をなさったことと拝察する。

 陛下が御年七十五歳であられた平成二十一年から、宮内庁は陛下の御公務の軽減に取り組んだが、陛下御自身がそれに消極的であらせられたという。平成二十四年の七十九歳のお誕生日の御会見で陛下は次のように仰せになった。

「負担の軽減は、公的行事の場合、公平の原則を踏まえてしなければならないので、十分に考えてしなくてはいけません。今のところしばらくはこのままでいきたいと考えています」

 陛下の公的行事へのご出席を削減する場合は、継続するものと継続しないものに振り分ける必要があり、そこで不公平があってはいけないとのお考えと拝察される。一視同仁を大切になさる陛下のごく自然な御言葉と思える。また、陛下にお出まし頂くことは、行事の主催者にとっては格別のことであり、それが叶わなくなることを落胆する者をお気遣いになる陛下のお優しさも汲み取ることができよう。「しばらくはこのままでいきたい」と仰せになったのは、一つ一つの祭祀とご公務に真摯に取り組んでいらっしゃった陛下のお気持ちが滲み出るような御言葉ではなかろうか。

 しかしその後、加齢について、例えば耳が遠くおなり遊ばしたこと、御公務などでお間違えをなさったことなどを、陛下御自ら言及なさるようになった。そんななか今年の五月にも宮内庁が陛下の御公務を大規模に縮小する計画を立てたところ、陛下の御意向により小規模な縮小に留められたと漏れ伝わる。

 NHK報道の真偽は不明だが、天皇陛下の譲位の御意向は、とても自然なことと共感し理解した者が多かったのではないかと思う。これまで陛下が一つ一つの祭祀や御公務を大切になさったそのお姿を国民は知っているからである。

「生前退位」ではなく「譲位」

 さて、本論に入る前に言葉使いについて言及しておきたい。NHKが「生前退位」との語を使用し、報道各社が揃って「生前退位」の語を用いたが、私は間違いではないが不適切であると考える。陛下の御事につき「生前退位」という言葉を使うことに漠然とした違和感を覚えた人は大勢いるはずである。

「生前退位」とは、天皇が「生前」(生きている内)に「退位」なさることであり、意味的に間違いはない。しかし、「生前」は「死」を意識した言葉である。たとえば「生前の姿」「生前はお世話になりました」などは故人を偲んで使われる例である。また、「生前に好きなことをやっておくべきだ」「生前に子を授かってよかった」など、生きていることが前提で使う場合でも、主に高齢者や重病人について使う言葉であって、健康な子供に対して「生前」を用いることはないであろう。

 まとめると、「生前」とは、既に死んだ人の生きていた時のことを述べる場合、もしくは高齢者や重病人など先がそれほどない人の生きている内のことを述べる場合に用いられる言葉であって、「死」を意識した言葉である。

 祖父母や両親と相続の話をする時に「生前贈与」という言葉を使うのを躊躇った人もいるだろう。自分の親に対してすら「生前」の言葉を使うのは憚るものであり、まして畏れ多くも陛下について申し上げるのに「生前」の言葉は避けるべきではないか。

 それだけではない。「退位」は、単に位を退くことであり、実に無味乾燥な言葉である。清朝最後の皇帝は「退位」して王朝が滅亡した。将来の天皇が単純に「退位」だけなさり、「譲位」なさらなければ、日本の王朝は滅びることになる。

 このような問題は簡単に解決することができる。「生前退位」ではなく「譲位」の言葉を使えばよい。「天皇陛下『譲位』の御意向」と表示すればよかった。

 天皇が存命中に天皇の位を退き次の者に位を譲ることは、歴史的に繰り返されてきたことであり、歴史教科書では通常「譲位」の語を用いて説明している。義務教育を受けた者にとっては「譲位」は馴染みのある言葉であろう。しかも、歴史上の譲位は、必ずしも高齢が理由ではなく、別の理由で若き天皇が譲位を実行した例も多い。つまり「譲位」は、余命が少ないことを前提とせず「死」を意識する言葉でもないのである。

「譲位」を用いれば、「生前」を前提としているため「生前」の語を用いなくて済むうえ、字の通り皇太子殿下に御位をお譲りになることを軸とするため、王朝の終焉の可能性を含まず、万世一系を前提とする。「生前退位」が死を意識させる上に事務的で無味乾燥な言葉であるのに対し、「譲位」は、死を意識させず、皇統が継続する意味を含む言葉である。

 なので、産経新聞が七月十四日付朝刊に「天皇陛下『生前退位』」との見出しを掲げたことを、私はとても残念に思っている。今後、この話題で記事を書くときは、是非「譲位」を用いて頂きたいと願っている。

 ここから本論に入っていきたい。天皇陛下の譲位を可能にするためには、法的な壁を突破する必要がある。

 皇位継承については、憲法は第二条で「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と述べるにとどまり、詳細は皇室典範という法律に委ねている。皇室典範は第一条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」、また第四条で「天皇が崩じたときは、皇嗣(注、天皇の継承者)が、直ちに即位する」と規定するだけで、譲位のことは全く書かれていない。

 条文上で譲位禁止規定はないため、可能との意見もあるだろう。しかし、どのような条件が揃ったら譲位が可能となるか定めがなく、その手続規定も存在しない。また、皇室典範には、天皇が譲位した後に何と申し上げるか、敬称はどうなるか、皇位継承資格を有するか(かつて二度目の即位をした「重祚」の例が二例ある)、予算はどうなるか、皇室を離れることは可能かなど規定がなく、法律自体がそもそも天皇の譲位を全く予定していない作りになっている。

 したがって、陛下の「御意向」とされる譲位を実現するためには、ここに述べたような法整備をしなければならない。ただし、憲法第二条がいう「世襲」というのは、典範四条が規定する「天皇が崩じたとき」に限らず、譲位の場合も含むと解されるため、憲法を改正せずに、皇室典範のみを改正すれば足りると考えられる。皇室典範は一般法であるため、衆参の過半数により決することができる。

 もし陛下の「御意向」が現実のものとなれば、江戸後期の第一一九代光格天皇が譲位なさってから譲位の例がないため、実に二百年以上の時間を経て、譲位が復活することになる。

 ところが、譲位はそれ自体が一部問題を含んでいることも考慮する必要がある。皇室典範に譲位の規定がないのは、うっかり書き忘れていた訳ではない。譲位の制度は明治以降何度も議論する機会があったが、その度に熟考の末、制度とされなかった経緯がある。なぜ譲位が制度化されなかったか、その理由を確認していきたい。

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■ 竹田恒泰氏 昭和50(1975)年、旧皇族・竹田家に生まれる。明治天皇の玄孫。慶應義塾大学法学部卒業。『語られなかった皇族たちの真実』で第15回山本七平賞受賞。同大法学研究科講師など歴任。