雑誌正論掲載論文
スクープ! 慰安婦劇女優が悔悟の証言 挺対協の背信、そして旧社会党との関係
2016年02月15日 03:00
ジャーナリスト 大高未貴 月刊正論3月号
「本当に私はおバカさんでした。痛恨の極みとはこの事ですよ…」
昨年末、女優の東丘いずひさんは都内の喫茶店で苦悩の表情を浮かべた。東丘さんは劇団「夢屋」を率いた女優さんで1986年、新宿文化センターで『貝の花』、87年には下北沢で『従軍慰安婦』、88年『女子挺身隊』と慰安婦関連の演劇を行ってきた。慰安婦という言葉がまだ一般的でない時代である。『劇団夢屋が〝消された悲劇〟を発掘』(昭和62年8月23日)などと、読売新聞も好意的に報じている。
「80年代に偶然、古本屋で千田夏光氏の『従軍慰安婦・慶子』に出会い、一読後、天を仰ぎました。にわかには信じがたく、あまりのショックに同じ女として戦慄を覚えました。〝こんな重大なことが歴史の闇に葬られようとしているのは許せない! 男達には靖国神社があるけど、戦場で兵隊さんを支えた慰安婦を弔う施設はどこにもない。なんとか彼女たちの鎮魂のため慰霊碑を建てねば!〟という一心で慰安婦をテーマに表現活動をし、日韓融和のために募金活動や署名運動をしてきたのですが…」
東丘さんの動機は、あくまでも慰安婦達の鎮魂だった。80年代といえば所謂慰安婦問題なぞ知る人は少なかったし、『従軍慰安婦・慶子』はあくまでも小説である。何しろ宮澤喜一元首相の訪韓にあわせた朝日新聞主導の従軍慰安婦大キャンペーンが始まったのが91年。教科書にまで「従軍慰安婦・強制連行」という言葉が登場したのが96年だ。
「政治活動とも無縁だった私は、単純に女性の人権問題として、当時、挺対協代表の尹貞玉さんにコンタクトをとり、韓国での慰安婦慰霊碑建立に向けて活動を始めたのです。80年代から慰安婦調査をはじめた尹さんご自身も韓国に挺身隊追慕碑建立をめざしていたので意気投合したわけです。ところが…結果的に尹さんに裏切られ、それと同時に所謂『従軍慰安婦』の本質的な問題に気付き、愕然としたのです。あの日から今日カミングアウトするまで鬱々とした日々を過ごしてきました。なにしろ、演劇公演のチラシには詐話師と言われた吉田清治氏や千田夏光氏のおどろおどろしい証言まで引用していました。自業自得ですから自分の気持ちの処遇であれば真摯に反省して一生墓に持って行く話です。慰安婦問題解決に向けて私の劇団に足を運んでくれた方、慰安婦の碑建立のために募金や署名活動をしてくださった方々に申し訳ない思いでいっぱいです」
東丘さんが最初に尹貞玉氏に会ったのは91年11月。社会党女性局主催で開催された女性シンポジウムに講師として来日した折のことだ。「その時に時間を調整して会いました。それ以前から手紙や電話では遣り取りしていましたけれど、最初に慰安婦慰霊碑について前向きな返事をいただいた時にはとっても感動しました。ところが92年10月に来日された際、尹氏の態度が急変したのです。わざわざ成田までお迎えに上がって、東京に行く列車の中で交わした会話に大変な違和感を覚えました。
彼女の方から突然、〝これからは募金もいらないし、今まで慰安婦の碑建立のために集めた署名名簿もいらない〟とおっしゃるのです。思わず聞き間違いか…と聞き返しました。だって尹さんが韓国で建立のために署名が必要だと最初におっしゃっていたのですよ」。
そう言って尹氏が東丘さんに宛てた直筆の手紙を見せてくれた。『挺身隊 追慕碑建立のための署名・悪夢のような日帝植民地時代の残酷は半世紀が過ぎた今も我ら民族の痛みとして残っている。(略)90年1月から韓国教会女性連合会は政府の文化部に挺身隊追慕碑建立のために敷地を払い下げしてくれるように要求したけれども拒絶された。(略)』という書き出して始まる文章のあとに『東丘さん だいたいこのような内容です。署名紙を二枚同封いたします。東丘さんのお心有難く思っております(略)1992年1月9日』
文面からして尹氏の方から東丘さんに署名の協力を求めたのは明白だ。
「お金はともかく、署名まで拒絶する理由がまったく見当たりません。依頼を受けてから10カ月の間に2500人くらいの署名は集めていたし、雑誌や新聞などでも報じてもらっていたので、それまで募金や署名してくれていた善意の日本人に全く顔向けできないではありませんか…。そこで何故署名もいらないのですか?としつこく聞いたのですが、尹氏は〝もう必要ない〟の一点張り。挙げ句、その日の夜のアポもキャンセルされ、東京駅でお別れしました。小一時間の電車の中のやりとりで、尹氏の意志か挺対協の意志かはわかりませんけど、私の活動はきっぱりと彼らから拒絶されたのは確かです。それまでは私の活動に感激し、手をとりあっていた仲だったのに…一体何が起こったのか理解することができませんでした。とにかく脱力感に見舞われ、それから長く、何故?という疑問だけが残りました」
「とはいえ、今になって冷静になって思い返すと尹氏の不可解な行動が甦るのです。あれは確か1991年、衆議院議員会館の一階の応接室で尹氏と私、大杉実生氏(元政治家の秘書で東丘さんの署名活動に協力していた)と三人で、打ち合わせをしていた時のことです。いきなり土井たか子氏の秘書の女性が現れ、我々の目の前で尹氏に〝いつものです。活動費に使ってください〟と封筒に入った札束を渡したのです。5万や10万の薄っぺらいものではなく厚みがあったのでおそらく数十万から数百万単位だったと思います。尹氏はその札束を領収証を書くわけでもなく、手慣れた手つきで、スムーズにカバンにしまったのです」
その場に居合わせた大杉氏もこう証言する。
「その様子を見て現金の授受は初めてではないことがわかりました。もし初めてなら〝いえいえ、このようなものいただけません〟とか何らかのリアクションがあってしかるべきでしょう。それに土井たか子の秘書もずいぶんと杜撰というか脇が甘いという印象を受けました。そういった領収証を切らない大金の受け渡しを第三者の前でしますかね?」
東丘さんは他にも何枚か尹氏からの手紙を見せてくれた。ここでは尹氏の態度が豹変した直後に書かれた手紙の一部を紹介する。
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■ 大高未貴さん 昭和44(1969)年、東京都出身。フェリス女学院大学卒業。世界100か国以上を訪問。著書に『日韓〝円満〟断交はいかが?』(ワニブックス)、『イスラム国残虐支配の真実』(双葉社)、『強欲チャンプル 沖縄集団自決の真実』(飛鳥新社)など。