雑誌正論掲載論文
翁長知事の台風被害の視察遅れと「オール沖縄」の綻び
2015年10月15日 03:00
八重山日報編集長 仲新城誠 月刊正論11月号
台風15号の被災後、迅速に石垣島を視察しなかった翁長知事
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設問題で翁長雄志知事は9月14日、前知事による辺野古沖の埋め立て承認を取り消し、移設を阻止すると表明した。翁長知事は今や、日本の安全保障政策を揺るがす巨大な存在だ。しかし離島住民からは、翁長知事の別の顔が見えてくる。
石垣市に8月23日、大型の台風15号が襲来し、石垣島地方気象台の観測史上1位となる最大瞬間風速71・メートルを記録した。
台風一過の翌朝、石垣島では電柱が倒れたり、信号機が折れたりと、惨憺たる被害が明らかになった。石垣島は「台風銀座」と呼ばれるが、ここまで強烈な台風は、同様に大きな被害をもたらした2006年の台風13号以来で、ほぼ10年ぶりである。農作物や公共施設など、被害総額は八重山諸島全体で6億円以上と見積もられた。
ここでクローズアップされたのが翁長知事の対応だ。知事は昨年12月の就任以来、一度も八重山を訪れていなかったが、この台風被害後も、知事はおろか副知事さえ、現地視察のため八重山入りしようとする動きは全く見られなかった。
県議会野党で、石垣市選出の砂川利勝氏は県政の緩慢な対応に激怒。「離島軽視ではないか」と抗議し、それが八重山日報に掲載された。砂川氏の抗議は波紋を呼び、翁長知事は急遽、9月1日に視察のため石垣市にやって来た。しかし台風襲来から、既に1週間以上が経過していた。9年前の台風13号襲来時には、当時の仲井真弘多知事が台風襲来の翌日に石垣島を視察している。翁長知事との差は歴然としていた。
被害に遭ったサトウキビ畑などを回り、報道陣から視察の遅れについて尋ねられた翁長知事は「菅義偉官房長官との会談やウークイ(沖縄の方言で旧盆のこと)もあった。個人的な話で恐縮だが、長男の結婚式もあった」と悠然と答えた。
翁長知事が言及した普天間飛行場(宜野湾市)辺野古移設をめぐる政府と沖縄県の第4回集中協議は那覇市で開かれたが、日付は8月29日である。旧盆入りは8月26日だ。祝い事である知事の身内の結婚式についてはあえて口を挟まないが、いずれにせよ、8月23日に襲来した台風被害の視察に来なかった言い訳としては苦し過ぎる。
知事は「被害の状況は、担当から逐一報告があった」と述べ、県としての対応に問題はなかったと強調した。
しかし、史上最強の台風が到来し、甚大な被害が出たのだ。担当からの報告のあるなしにかかわらず、知事自らが現場に足を運び、トップが復旧へ陣頭指揮していることを住民に示すべきだった。視察にはそういう意義がある。伝言ゲームのような感覚で危機管理をやられても困るのだ。
パフォーマンスのような視察旅行を終えて沖縄本島に戻る知事の姿を見て、率直に感じたことがある。足もとで起きた台風被害にさえ、この程度の危機管理能力しか示せない翁長知事に、一国の安全保障に関わる普天間移設問題を語る資格はあるのか。
普天間移設は、増大する中国の脅威から沖縄や日本をどう守るかという国の大事であり、国民の存亡にもかかわる問題であるはずだ。
その点、1週間遅れでノロノロと八重山の台風被害を視察するような知事は、いまだに那覇市長の感覚から脱し切れていないように見える。目に入っているのは沖縄本島だけなのだ。知事としての権力を維持するだけならそれで十分なのだろうが、一国の安全保障に容喙する器とはとても思えない。
基地問題に忙殺されて、離島の台風被害に貴重な時間を割いている暇などないというのが本音かも知れない。それならそれで、県政は機能不全に陥っていると言える。離島の隅々まで目配りする余裕を失っているなら、離島住民の信頼を失う日はそう遠くない。
「チーム沖縄」の発足と翁長県政の隠された二重基準
県内の保守系首長の中には、そうした翁長知事を見限る動きも出てきた。翁長知事の後継者が市長を務める那覇市と、辺野古移設に反対する稲嶺進市長の名護市を除く沖縄県内の9市の市長が「保守系市長の会」を発足させたのだ。
略称を「チーム沖縄」と呼ぶ。辺野古移設反対派が提唱する「オール沖縄」の向こうを張ったのだろう。
チーム沖縄は菅官房長官と東京、沖縄で面会し、沖縄振興予算の確保などを要請した。メンバーの1人、中山義隆石垣市長は「沖縄は基地問題だけでなく、経済振興や財政問題などの課題がたくさんある。県政と国政のいろんな対立はあるかも知れないが、市長と国のパイプを作りたいという思いで要望した」と説明した。
中山市長は「必ずしも『反翁長』の団体を作ったのではない」「辺野古移設推進の組織ではない」としているが、沖縄11市のうち9市の市長が、県政とは一線を画して独自の動きを始めたことの意味は大きい。
中山市長は9月7日に日本記者クラブで講演し、辺野古移設をめぐる報道について「反対だけが沖縄の意見として報道されているような感触がある。沖縄にはさまざまな意見がある。ぜひ中央のメディアも沖縄に足を運んでほしい」と要望。辺野古移設賛成を明言するとともに、尖閣を抱える自治体として、安倍内閣が整備を進める安保法制にも改めて賛意を示した。
この講演で中山市長が「(辺野古移設と)同じような事例が県内にはもう一つある」と切り出したのが、米陸軍の那覇港湾施設(那覇軍港)を浦添市の浦添埠頭地区に移設する計画だ。
普天間飛行場の辺野古移設と同様に、海域を埋め立て、米軍施設を「県内移設」する計画なのだが、翁長知事は容認している。辺野古移設に反対しながら、浦添移設を容認するのはダブルスタンダードだという批判の声もあるが、県紙はほとんど報じない。
中山市長は「(報道は)非常にいびつだ。報道する権利や報道しない自由はあるかも知れないが、実際に沖縄で何が起こっているか調べて報道してほしい」と、改めて報道のあり方を疑問視した。講演には沖縄タイムスや琉球新報の記者もいたはずだが、中山市長の問題提起に対し完全に沈黙していた。
基地問題や安保法制をめぐる県紙報道の「いびつさ」は、さまざまな場面で明るみに出ようとしている。
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■ 仲新城誠氏 昭和48(1973)年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、平成11(1999)年に石垣島を拠点とする地方紙「八重山日報」に入社、22年から同紙編集長。イデオロギー色の強い報道が支配的な沖縄のメディアにあって、現場主義と中立を貫く同紙の取材・報道姿勢は際立っている。著書に『国境の島の「反日」教科書キャンペーン』(産経新聞出版)。