雑誌正論掲載論文
世はこともなし? 第120回 みちのくの仏たち
2015年05月25日 03:00
コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫 月刊正論6月号
ことしの花冷えはきつかった。東京・上野公園のカンヒザクラ(寒緋桜)は、鮮やかな深紅の花ぶさを重たげに垂らして、寒さに震えていた。
上野にきたのは、国立博物館で催されていた特別展『みちのくの仏像』を拝観するためである。展示されていた仏たちは全部で26体。こぢんまりとした展覧会だったが、素人ながら驚いたことがある。仏たちの多くは、悟りすましたまなざしでなく、何か人間味ある苦悩のお顔をしていたことだった。
奈良や京都のように、ちょっと極端にいえば近寄りがたく哲学的な表情をした仏ではない。どちらかといえば苦虫をかみつぶしたような、素朴さにみちたみ仏たちが多かった。
山形・吉祥院の菩薩立像や、宮城・双林寺の薬師如来坐像に至っては、失礼ながら借金に困っているとか、水虫がかゆいよといった(そんなバカなことはないが)親しみのあるお顔で、拝むものに何かほっとさせるありがたみを覚えさせる。
うれしくなったのは、青森・恵光院の女神坐像である。頭からすっぽり綿入れのような衣をかぶった中年のおばさんなのだ。ネンネコといったか、チャンチャンコといったか、寒の戻りに震えて恥ずかしげにほほえんでおられた。いかにも北国の女神ではないか。
これも東北という厳しい自然風土とかかわりがあるのだろう。東日本大震災から4年、み仏たちは復興を祈願してみちのくからいらして下さったということだった。大震災といえば、牡鹿半島の石巻市給分浜観音堂にある3メートルの巨像・十一面観音菩薩立像も展示されていた。付近一帯は大津波に襲われたが、高台にあるため難を免れたという。
こうしてみると、みちのくの仏像たちには現代のわれわれの心を揺さぶる何かがある。厳しい自然風土のなかで、忍耐づよく生きてきた人びとの姿を映しているからだろう。
博物館を出て上野駅への道を歩きながら、このみ仏たちの心が東北が生んだ文学者のなかにどう伝わったかを考えてみた。東北の作家や詩人は、みなわが敬愛する人たちだが、第一は『春と修羅』の宮沢賢治だ。賢治は明治29年8月27日、岩手県花巻の古着屋兼質屋を営む宮沢政次郎の長男に生まれた。父は浄土真宗の熱心な信者だった。賢治もその血を継いでいる。菜食主義すなわち肉食拒否も法華経の信仰によるものだろう。
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■ コラムニスト・元産經新聞論説委員 石井英夫 昭和8年(1933)神奈川県生まれ。30年早稲田大学政経学部卒、産経新聞社入社。44年から「産経抄」を担当、平成16年12月まで書き続ける。日本記者クラブ賞、菊池寛賞受賞。主著に『コラムばか一代』『日本人の忘れもの』(産経新聞社)、『産経抄それから三年』(文藝春秋)など。