雑誌正論掲載論文
出国禁止8カ月、韓国からの帰国
2015年05月07日 03:00
産経新聞前ソウル支局長・社会部編集委員 加藤達也 月刊正論6月号
突然だった出国禁止解除
8カ月に及ぶ韓国当局の出国禁止措置がようやく解除され、私は日本に帰国することができました。私の置かれた状況を打開するためにこれまでお骨折りいただいた全ての方々にこの場を借りてまずお礼を申し上げたいと思います。裁判は継続しており、事態が完全に解決したわけではありません。しかし、一歩前進であることは間違いありません。さらに私の境遇を案じていただいた正論読者はじめ全ての方にも感謝申し上げます。多くの方が私の身の安全を案じ、韓国の不正常な判断に憤慨され、私と思いを共有して下さった。私自身、感激しています。本当に有難うございました。
突然の解除劇でした。13日になって弁護士のもとに検察当局から連絡があって仮に帰国した場合でも今後の法廷には必ず出廷する旨約束した「誓約書」を提出するよう求められました。これまでも同様の文書を関係機関に何度か提出していましたが、検察から提出を求められたのは初めてでした。もしかすると、出国禁止措置が解除されるかもわからない、と思いましたが、弁護士からは「過剰な期待は持たないように」。こう戒められました。
これまで裏切られてきた弁護士がいうことももっともでした。大事なことは大統領が決め、もしくは大統領の顔色で決まる国です。大統領の意向を忖度している人々が「こんな案件は大統領に見せられない」などと滲ませただけで、決まるものも決まらない。
韓国の検察庁は大統領の〝忖度政治〟の歪んだメカニズムが特に顕著に見られる機関だ、というのが弁護士―彼自身、かつては検察に身を置いていましたから、よくわかっているのです―の実感でした。「過剰な期待は持たずに待ちましょう」というのはそういう意味で、閣僚でさえも青瓦台の動きを掌握できない―つまり必要な情報が大統領の顔色如何に左右され、きちんと風通し良く流れないのでしょう―出来事が散見される国です。正常な判断がなされる可能性は少ないと考えた方がいいだろう、というわけです。ですから翌日に日本に帰国できたのは自分自身もびっくりしました
されど裁判は続く
それにしても8カ月は長かった。昨年の8月、韓国メディアの報道で出国禁止となったことを知り、「今年の夏は日本に帰れないかもしれない」と覚悟していたら、一夏どころか相当長期化するだろうという見通しとなり、年まで明けてしまった。冬が過ぎ、桜の季節も終わって娘は大学生になっていた。久しぶりに自宅に戻ると、ふだん父親が帰宅した時とは違って、家族全員が帰宅を祝い、労をねぎらってくれました。家族もひとまず安心できたと思います。
帰国はできましたが私が起訴されている状態に変わりはありません。そもそも裁判について私は裁判が開廷された以上は、自分の身の潔白―自分の行為が刑事罰を負わされる類いのものではないという民主主義社会の常識、良識といってもいいと思います―を逃げずに勝ち取ろうと法廷で戦うことを決意しました。ですがその前に訴追自体には憤慨しています。日本の政府当局も「不正常な状態に変わりはない」「今回の解除措置は当然のことであって、満足はしていない」と表明しています。
次回公判は6月1日です。4月20日に私が引用した朝鮮日報のコラムを書いた記者が証人として出廷する予定でしたが、彼が日本に出張するなど延期が重なって六月に延びたものです。現地のメディア関係者やメディアの専門家などが証人として出廷し、私の尋問などもまだ手続きとしては残っています。月一回の割合で開かれたとしても論告や最終弁論も含めると恐らく早くとも秋までは続くでしょうし、証人が出廷を拒めばさらに長くなる可能性はあります。
大統領を忖度し何事も決まる国
今回の出来事を通じて強く感じたことは韓国と価値観を共有することの難しさ―共有など極めて困難であり、無理と言ってもいい―でした。日本の記者として日本語で執筆した記事で刑事責任が問われる。日本に限らず自由主義社会ではまず考えられないことです。ところが、それが韓国では罷り通ってしまう。それも大統領という国家の頂点に立つ人物の利害や思惑が忖度され、それで左右されてしまうのです。
続きは正論6月号でお読みください