雑誌正論掲載論文
世はこともなし? 第119回 心優しき無頼派よ
2015年04月25日 03:00
コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫 月刊正論5月号
先日、東京・目黒の日本近代文学館から、資料がぎっしり詰まったレターパックがわが家に舞い込んだ。なにしろ日ごろから〝非文学的〟な生き方をしている老蛙生だから、これには驚いた。中身は「①永井由佐様ご寄贈資料のリスト②坂口安吾書簡コピー③渡辺彰氏についての資料」と記された三つ。
これにはわけがある。
永井由佐さん(52)は、老蛙生が敬愛した元産経新聞婦人部記者の先輩・赤岡東さんの令嬢である。赤岡さんが平成25年秋に他界し、地下の書庫で遺品の整理をしていたところ、亡父渡辺彰にあてた坂口安吾の手紙を多数発見したという。坂口安吾という作家の名前だけは知っていたが、なにしろ〝遠い人〟である。思いあまって元産経文化部の清水孝夫さんに相談、日本近代文学館に持ち込んだのだった。
東京の駒場にある公益財団法人・日本近代文学館は、明治以降日本の現代文学関係の資料を収蔵している。原稿、書簡、筆墨、日記などその数、130万点。昭和42年に開館し、常時一般に公開されているという。
で問題は、なぜ坂口安吾の手紙が赤岡家の書庫に収まっていたのか。
その一部始終は「文学館報3月号」に掲載されたが、ひょんなことからそれを老蛙生が書くはめになった。
いきさつは、ざっとこうである。
「5、6個あったダンボールは、古ぼけた書類や新聞の切りぬきや古本でいっぱいでした。捨てるほかないと思っているなかに、坂口安吾という人の手紙の束がでてきたのです」
由佐さんは地下の書庫で両親の遺品を整理していた時の模様をそう話す。由佐さんの父渡辺彰氏は出版社勤務と文化放送のラジオ番組制作者だったが、すでに昭和48年、結核で57歳で他界していた。
赤岡東さんと結婚する前のことで、渡辺さんは文化放送に入社前に『日本小説』という雑誌の編集をしていた。敗戦の絶望と混乱がつづく昭和22年、渡辺さんは編集の下働きのようなことをし、作家坂口安吾の担当になったらしい。
昭和21年、坂口安吾は『堕落論』を世に問うて、大きな衝撃を与えた。「人間は生き、人間は堕ちる。それ以外に人間を救う道はない」
安吾はたちまち太宰治や織田作之助ら・無頼派・と呼ばれる流行作家の仲間入りを果たした。しかし殺到する注文に追われ、覚醒剤(ヒロポン)や睡眠剤(アドルム)を使うようになる。
『日本小説』に「不連続殺人事件」を連載したのは、そんな薬物中毒さなかの昭和22年8月から翌年8月にかけて。この作品は探偵作家クラブ賞を受賞し、戦後の傑作といわれた。
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■ コラムニスト・元産經新聞論説委員 石井英夫 昭和8年(1933)神奈川県生まれ。30年早稲田大学政経学部卒、産経新聞社入社。44年から「産経抄」を担当、平成16年12月まで書き続ける。日本記者クラブ賞、菊池寛賞受賞。主著に『コラムばか一代』『日本人の忘れもの』(産経新聞社)、『産経抄それから三年』(文藝春秋)など。