雑誌正論掲載論文
明治神宮が「同性婚の聖地」になる日
2015年04月05日 03:00
麗澤大学教授 八木秀次 月刊正論5月号
10年以上前、全国の自治体で「男女共同参画」という名のジェンダーフリーを実現するための条例が制定されていた頃、千葉市が男女共同参画の広報パンフレットを作成した。『ハーモニーちば』(2000年)と題されたこのパンフの裏表紙にはカタツムリがインク瓶をよじ登っているイラストが描かれ、「男女共同。」という字の下に次のような文句が書かれていた。
「カタツムリは雌雄同体。〝結婚〟すると、両方の個体が土の中に白くて小さな卵を産みます。同じ一匹で雄の気持ちも雌の気持ちも良くわかるなんて、ちょっぴりうらやましいような……」
カタツムリは「ジェンダーフリー」のシンボルとされていた。ジェンダーフリーの主唱者たちは、《男女には社会的文化的役割に違いがないのみならず、生物学的にも違いがない》と主張していた。アメリカの性科学者、ジョン・マネーが『性の署名』(一九七五年)で展開した、今では完全に否定されているトンデモ学説に依拠したものだ。それによれば、「男らしさ」「女らしさ」という社会的文化的性差(ジェンダー)の意識が生物学的性差(セックス)を規定しているのだという。
男女共同参画社会基本法の原案を作成したとされる東京大学教授の大沢真理氏もその信奉者で、「セックスが基礎でその上にジェンダーがあるのではなくて、ジェンダーがまずあって、それがあいまいなセックスまで二分法で規定的な力を与えている、けれど本当はあなたのセックスはわかりません、ということ」としながら「女で妊娠したことがある人だったらメスだと言えるかもしれないけれども、私などは妊娠したことがないから、自分がメスだと言い切る自信はない」(『上野千鶴子対談集 ラディカルに語れば』平凡社、2001年)と言い放っていた。 このように男女に生物学的な違いもほとんどないとするならば、結婚を男女の組み合わせに限る必要はない。男と男、女と女の組み合わせだってあっていい。ジェンダーフリーは同性愛に基づく「結婚」をも認めるべきだという主張に行き着く。
東京都渋谷区が3月区議会に提案した「男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例(案)」は、同性愛に基づくカップルを「結婚に相当する関係」と位置づけ、区民や事業者にも同性愛者を含む「性的少数者」に対するあらゆる「差別」を禁止するものだが、これはジェンダーフリーの進化形と言っていい。ジェンダーフリーという発想に本来的に織り込み済みのものに他ならず、その破壊的な要素が遂に顕になったということなのだ。
この広義のジェンダーフリー条例は当然のことながら我が国の家族観、結婚観を大きく揺るがす内容を有している。本稿の締め切り時点では条例案の行末は不透明だが、渋谷区に追随する動きをみせている自治体もある。ここではこの条例の持つ問題点を明らかにし、条例の制定に慎重もしくは反対の姿勢を示したい。
論理の飛躍だ!条例案の提案理由
この条例案の内容が一般に伝えられたのは今年2月中旬のことだったが、その際、報道では、渋谷区が「同性カップルを『結婚に相当する関係』と認め、証明書を発行する条例案を盛り込んだ2015年度予算案を発表した」とし、条例が必要とされる理由について「同性カップルがアパートの入居や病院での面会を、家族ではないとして断られるケースを問題視し、区民や事業者に、証明書を持つ同性カップルを夫婦と同等に扱うよう求める方針だ」としている(共同通信2月12日配信)。
同区が報道機関に発表したものをベースにした記事であろうが、ここで先ず問題にしたいのは、個別の具体的問題と一般原則が混同されているということだ。世の中には同性愛者が一定程度存在し、同性カップルも存在する。その人たちの人権への配慮は必要だ。アパートへの入居や病院での面会を、家族でないとして断られるケースがあるとするならば、その不利益は救済されるべきである。ただそれは、そのレベルで救済すればよく、入居や面会を家族以外に広げるような個別の施策を実施すれば済む話であり、何も同性カップルを「結婚に相当する関係」と認める、すなわち後述するような憲法や民法にも抵触し、国民の家族観、結婚観を揺るがすような大きな話にする必要はない。
その前に、現在、アパートへの入居や病院での面会を家族でないとして断るケースがそれほどあるのか疑問だ。「アパート」という言い方も一昔前のものであるが、若者の間では他人が部屋を分けて同居する「シェアハウス」が流行している。結婚前の男女が同棲するケースも珍しくない。病院での面会も独居や身寄りのない老人が増える中、家族に限定しているところは多くないはずだ。どこか作り話の臭いがする。
繰り返すが、仮にそのようなケースがあるとしても、何も一般原則を変更しなくても解決できる問題なのである。ここに論理の飛躍がある。夫婦別姓もそうだが、小さなところで解決できる問題を大きな問題に仕立て上げ、社会の原則自体を大きく変えようとするのは、このジェンダーフリー、同性婚推進を含む左翼運動の常套手段だ。
「結婚は男女による」ことを含意した憲法24条に抵触
この条例案が問題である理由を3つ述べたい。第一は、条例案は憲法に抵触する可能性が高いということだ。憲法第24条は、第1項で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」とし、第2項で家族法制は「両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と規定している。明らかに婚姻=結婚は「両性」すなわち男女によるものと想定し、同性婚は排除している。民法もその前提に立っている。
学界の一部には「24条は婚姻をかつての『家制度』から解放することが主眼で同性婚を排除していない」との見解もあるが、多数説を形成していない。一般的には「婚姻とは『子どもを産み・育てる』ためのものだという観念がある」ので、「民法は、婚姻の当事者は性別を異にすることを前提にしている。同性では子どもが生まれないので、同性カップルの共同生活は婚姻とはいえないということだろう。民法典の起草者は書くまでもない当然のことを考えていたので、明文の規定は置かれていない。(中略)少なくとも現段階では、同性婚を認めたり、性転換者の婚姻を認めることは困難だと思うが、同性カップルに対して契約的な保護を拒む必要はないだろう」(大村敦士『家族法〔第3版〕』有斐閣、2010年、大村氏は東京大学法学部教授)とする見解が支配的だ。
渋谷区は「いや、法律上の婚姻とは区別している。あくまで『結婚に相当する関係』だ」と反論するかも知れないが、「相当する」とは、それそのものではないけれども、限りなくそれに近いものをいう。少なくとも実態としては法律上の結婚に準ずるものとして取り扱われる。憲法24条に抵触する可能性は高い。
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■ 八木秀次氏 昭和37(1962)年、広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業。同大学院政治学研究科博士課程中退。専攻は憲法学、思想史。著書に『日本国憲法とは何か』(PHP新書)、『憲法改正がなぜ必要か』(PHPパブリッシング)など。平成14年に正論新風賞受賞。教育再生実行会議、法務省相続法制検討WTの各委員。