雑誌正論掲載論文
石井英夫 世はこともなし? 大相撲は「もののあわれ」
2011年04月13日 02:55
随筆家・白洲正子のルポルタージュの名品『かくれ里(ざと)』(新潮社)のなかに、「油日(あぶらび)の古面」という一章がある。(月刊正論5月号)
白洲さんは京都の博物館で「福太夫」と名づけられた美しい能面を見た。油日神社蔵とある。そこで地図で油日神社をさがすと、JR草津線に油日という小駅(滋賀県)がある。駅で降りてタクシーの運転手に案内され、松並木の美しい昔のままの街道を行くと油日神社に着いた。そこは鈴鹿山脈のふもとで、たんぼのなかに鳥居があり、村人に大切に守られている神社だったという。
「福太夫」という能面は、大陸風とでもいいたいほどおおらかで、明朗な感じがあった。そして推古朝の呉公(ごこう)という伎楽(ぎがく)面によく似ていた。白洲さんはこう記している。
「伎楽はおそらく西域をへて中国に渡り、朝鮮経由で、七世紀の頃、日本に将来された芸能だが、外国では滅んでしまったその伝統が、日本の片田舎でこうして生きていることに私は、不思議な宿命を感じた」
前置きが長くなった。いいたいことは、白洲正子がおぼえた“不思議な宿命”である。その感慨は、実は日本の大相撲の文化や歴史にも共通するものではないか。私にはそう思えてならないのである。
「正論」昨年十月号のこの欄で「チカラビトの世界」という小文を書いた。野球賭博問題でヤイノヤイノという世間の大相撲たたきに腹を立てたからだ。この二月亡くなった宮本徳蔵の『力士漂泊』を読んで、目からウロコが落ちた話である。
チカラビトすなわち相撲は日本原産ではない。ユーラシア大陸から渡来した移入種なのだ。『力士漂泊』によれば、高句麗やいまの中国・吉林省の古墳の壁画には、素裸にマワシをしめた二人の男が激しく四つに組む姿が描かれている。まげを結ったチカラビトの表情は真剣そのものだという。日本の文献に相撲が初めて現れるのは皇極元(六四二)年だが、その古墳の壁画はそれより二百年も前の五世紀なのだ。
チカラビトは「草原と砂漠のまじりつつ果てしなくつながるアジアの北辺で生まれた」(宮本)のである。
問題はそのあとだ。われら日本人の祖先は、その大陸源流の競技を千数百年という悠久の時間をかけて「神事」の大相撲に転換した。「礼」の国風文化に練り直し、鍛えこみ、磨き上げていったのである。これが伝統文化でなくて何であろうか。
「彫刻でも陶器でも、私たちは外国から習い、習っている間に独自の形を創り上げていった。…一つ間違えばげて物に堕す、その危うい所に立っているのが日本の美術品で、そこの所にむつかしさもおもしろさもあると、私などは思っている」
これは『かくれ里』でいう白洲正子の能面文化観だが、まさに大相撲もそういう“むつかしさとおもしろさ”があるのではないか。
「なぜげて物に堕さなかったかと言えば、異常な好奇心と探究心をもって、外来の文化を吸収したからに他ならない。風通しがよかったのだ」(「油日の古面」)
それにひきかえ、昨今の大相撲八百長談議はどうだろう。風通しのよくないことこの上なしである。大相撲は野球やサッカーやレスリングなどと同列の競技ではない。単なるスポーツの論理では割り切れない精神性を有している。「日本書紀」聖武天皇の相撲節会(せちえ)以来の神事なのだ。それが日本の相撲文化であり、伝統国風なのだった。
正論読者には目ききがいる。四月号「読者のプロムナード」に、東京都町田市、神波紘夫さんの意見が載っていた。「…勝負に潜む『情』についてはそれをも否定すべきだとは思わない。日本人の持っている心の豊かさの部分が勝負の世界にも息づいてこそ、日本の国技だと考える」。その通りではないか。
むくつけきチカラビトたちの技比べを、雲上の神事に結びつけたところに古代日本人の優れた英知があった。敬虔な自然観があった。そこにこそ大相撲の精神性(もののあわれ)をうかがうことができる。
大相撲が神事であることは、東京の北のはずれにあるX川部屋の朝げいこを見学して再確認した。昨年の秋、野球賭博事件が明るみにでたころ、朝げいこを見る機会を得たのだが、記事がでることが言い訳やPRに受けとられかねないから書いてくれるな、とX川親方にきつくいわれた。その約束を破ることになり心苦しいが、名前は伏せてあえて書く。
朝早い見学のため、近くのビジネスホテルに泊まりこんだが、七時過ぎ駆けつけるとすでに土俵は熱気に包まれていた。従って開始時はわからない。しかし長く激しいぶつかりげいこが終わると、若い下っ端の力士によって土俵はもののみごとに掃き清められた。
チリ一つない土俵中央に土が盛られ、幣(ぬさ)が安置された。それを一同が手を打ってしめる。最後に神酒が注がれる。この日だけではない、これが毎日の厳かな行事であることに驚かないわけにいかない。日常の土俵まつりであり、五穀豊穣と土俵安泰を地の神に祈り願うのである。
土俵の下には、十五センチ角の穴が掘られてあり、米、コンブ、するめ、塩、勝栗といった鎮めものの御饌(みけ)が埋められてある。地霊への捧げ物であるという。
この部屋の神棚には皇大神宮のおふだとともに、日の丸と特攻隊兵士への鎮魂のしるしが飾られてあった。X川親方が知覧を訪れたとき、若き特攻隊員たちの母国への熱い心情に打たれたからだという。
何度でもいうが、大相撲は単なるスポーツではない。日本の神事であり伝統文化である。いまのわれわれが千数百年続いたその歴史を守らなくて何とする?(この他の論文は月刊正論5月号でお読みください
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コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫
略歴 昭和8年(1933)神奈川県生まれ。30年早稲田大学政経学部卒、産経新聞社入社。44年から「産経抄」を担当、平成16年12月まで書き続ける。日本記者クラブ賞、菊池寛賞受賞。主著に『コラムばか一代』『日本人の忘れもの』(産経新聞社)、『産経抄それから三年』(文藝春秋)など。