雑誌正論掲載論文
「震災後」を生きる 福島第1原発はどうなっているのか
2011年05月21日 03:00
東京電力福島第1原子力発電所で世界の原子力発電史上、例のない事態が進行している。マグニチュード(M)9・0という巨大地震によって引き起こされた大津波が発電所を襲い、6基の原発が被災した。地震発生時に運転中だった3基は、原子炉の冷却に失敗して炉心溶融。定期検査で燃料が貯蔵プールに移されていた1基も、プールの冷却不全に陥った。水素爆発が相次ぎ、原子炉建屋が大破。安全上の多重防護も破られて、空や海に放射性物質(放射能)が漏れ出した。4基同時進行という異例の原発事故に、完全収束の兆しはまだ見えず、事故の重大度はチェルノブイリと同じ「レベル7」に位置づけられた。一進一退の推移を世界中が固唾をのんで凝視する日々が続く。東電の対応は、監督する経済産業省原子力安全・保安院、さらには菅直人首相をトップとする官邸の動きは適切だったのか。まさかの事故はなぜ起きて、かくも長期化することになったのか--。混乱の1カ月を検証する。(月刊正論6月号)
「冷やす」に失敗したことで
3月11日午後2時46分、太平洋に臨む東京電力福島第1原子力発電所を強い揺れが襲った。三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震(M9・0)の発生である。第1原子力発電所が位置する福島県大熊町と双葉町の揺れは震度6強。
同発電所には沸騰水型の六基の原発があり、4~6号機は定期検査で停止中。運転中だった1~3号機の炉心には自動的に制御棒が挿入されて、炉心の核分裂反応はすみやかに止まった。
原子炉の安全三原則は「止める」「冷やす」「閉じ込める」。その第一ハードルは問題なく越えたが、次の「冷やす」でつまずいた。
ウラン燃料は核分裂反応が終わっても、かなりの崩壊熱を出し続ける。冷却水を循環させて、燃料が並ぶ炉心を冷却しなければならないが、地震による停電で冷却システムが止まった。非常用ディーゼル発電機が起動する。普通ならこれで難なく乗り切れる。
だが--。地震から約40分後、沖から巨大な津波がやってきたのだ。第一波の襲来は、午後3時27分。その後も津波は繰り返し発電所を襲った。
各号機の非常用ディーゼル発電機は、この津波で冠水して次々止まった--。
日本の原発が初めて経験する「全外部電源喪失」という事態である。原子炉が冷やせない。巨大システムが復元力を失い始めた瞬間だった。
検証1 津波の進入は防げなかったのか
津波に突破されさえしなければ、全外部電源喪失には至らなかった。そうなってしまったのは発電所の津波防備に甘さがあったのか。これは難しい問題だ。
なぜなら、国が認めた第1原発の設置許可申請書での津波の評価は3・1メートルだった。これとは別に土木学会が5・4メートルという津波の高さを見積もったので、東電は最大の津波を5・7メートルと想定した。
建設にあたって東電は、2倍の余裕を見込んで海面から10メートルの高さに敷地面を造成している。ところが、今回の大津波は14~15メートルにも達した。原発の主要エリアは、厚さ4メートル以上の海水に覆われたのだ。
非常用ディーゼル発電機は各号機に用意されていた。1~5号機までは各2台、6号機は3台を装備していたが、設置場所は地表から約8メートル下の最地下階だったのだ。地震の揺れに強い場所であるうえに、同時に損傷しないよう、1台ずつ別々の部屋に置くという配慮はされていた。
だが、津波に進入されると最地下階は、ディーゼル発電機にとって最悪の場所に一変した。別室に置くことによるリスクの水平分散は無意味だった。上方階にも置くというリスクの垂直分散がなされていれば、破局を免れたはずである。
一方、津波の大きさについてはどうだろう。ここでM9・0の巨大地震が起こるとは、ほとんど考えられていなかった。貞観地震(869年)の再来なら、1000年周期の大津波だ。500年周期の地震による大津波説もある。1000年周期で大津波が繰り返されていることが確認され始めたのは近年のことである。(続きは月刊正論6月号でお読みください)