雑誌正論掲載論文

原発と皇軍~「神話」の崩壊にみる日本人の精神構造

2011年06月01日 05:00

 東日本大震災とそれによる津波は天災であって回避できないことであったが、それがもたらした甚大な被害、とくに東京電力の福島第1原子力発電所の爆発事故による放射能漏れの被害は人災の面が大きく、関係者の対策如何によって避け得たか、または少なくともはるかに低い程度にとどめることができたと思われる。(月刊正論7月号

 わたしのように第二次大戦中に少年期を過ごし、もう少し早く生まれていれば、兵士になって戦死したか餓死したかもしれない世代の者は、写真で見ただけであるが、津波に襲われた地域の光景と空襲で破壊された市街地のそれとがよく似ていることもあって、おのずと東日本大震災の被害から大東亜戦争の被害を連想する。

 大東亜戦争における日本人の死者は、非戦闘員も含めて、310万人、今回の震災の死者および行方不明者はその100分の1程度だとのことであり、その規模は大いに異なるが、関係者の間違った判断、浅はかな判断が、招かずにすんだかもしれない被害を招いた点、あるいは、はるかに少なくすんだはずの被害をいたずらに大きくした点では共通しているところが非常に多いのではないかと思われる。

自閉的共同体の寄せ集めだった日本軍

 敗戦後、わたしは、ミッドウェイ、ガダルカナール、インパールなどでの日本軍の惨敗を知るにつれ、なぜ日本はこのような負ける戦いをしたのかという疑問が心の隅にひっかかり続け、そのうち忘れるだろうと放っておいたが、やはり気になってしかたがないので、あるとき決心して遅々としてではあるが集中的に戦争の記録を読み始めた。

 そこで気がついたことをあれこれの文や本に書いたので、詳しくはそれらを読んでもらうしかないが、要するに、日本軍の惨敗には多くの原因があるが、第1の重要な原因は、日本軍が多くのばらばらな自閉的共同体の雑多な集まりであって、1つの確乎とした目標をめざし、全体を視野に収め、統括する統合された団体ではなかったということであった。わたしがいつも強調しているように、自閉的共同体は視野狭窄になっていて、そのメンバーの安全と利益しか眼に入らず、共同体外の者がどうなろうと無関心なのが特徴である。

 とくに陸軍と海軍が仲が悪かったのは有名で、陸軍がある作戦で海軍の協力が得られないので、海軍なんか当てにしていられないとばかりに、陸軍独自の潜水艦を製造したという信じられないような話があるぐらいである。こういう例もある。海軍は、台湾沖航空戦で敵の空母11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻などを撃沈したと発表し、あとでそれが誤認であることに気づいたが(実際には巡洋艦2隻を大破しただけであった)、そのことを陸軍に通知しなかった。

 海軍の発表を信じた陸軍は、誤報に基づいて作戦を変更してレイテ島の攻防戦を戦い、消滅したはずの敵の大軍の砲撃に晒されて、いたずらに大損害を出してしまった(敵にほとんど損害を与えることなく、8万名近くが戦死)。しかしまた、陸軍は陸軍として、海軍は海軍としてまとまっていたわけでもなく、それぞれの下部組織もばらばらであった。

 たとえば、山本五十六連合艦隊司令長官の搭乗機がソロモン諸島上空で米軍機に撃墜されて、長官が戦死したとき、軍は、長官の飛行予定を友軍基地に知らせた暗号が解読されたのではないかと考え、暗号班に調査させたが、暗号班は調査の結果、暗号が解読されたはずはないと結論した。そのため、その暗号を使い続けた海軍の作戦はその後も米軍に筒抜けであった。

 暗号班は、暗号が解読されたと認めると、暗号を作成した暗号班の上司や同僚の落ち度になるので、心のどこか隅のほうで気づいていても、無意識的にタブーが働いて、暗々裏のうちにそれを認めることを避けたと考えられる。暗号班の調査員が事態を明確に認識していながら、上司や同僚を守るために、意識的にあえて暗号が解読されたことを否認したのではない。そこが恐ろしいところである。日本の暗号は、外交関係のものも、軍事関係のものも、日米開戦前からアメリカ当局に解読されていた。長官の搭乗機が撃墜された事件は、そのことを知る絶好のチャンスだったのに、日本はみすみすそのチャンスを逃がしてしまった。(続きは月刊正論7月号でお読みください

(略歴)岸田 秀氏

 昭和8(1933)年、香川県に生まれる。早稲田大学大学院修士課程修了後、フランスのストラスブール大学大学院に留学。和光大学名誉教授。昭和52年に刊行した『ものぐさ精神分析』(青土社)で「唯幻論」を唱え注目を集める。著書に『二十世紀を精神分析する』(文藝春秋)、『日本がアメリカを赦す日』(毎日新聞社)、『「哀しみ」という感情』(新書館)など。