雑誌正論掲載論文
世はこともなし? 第77回 続・チカラビトの世界
2011年10月21日 04:03
昨年10月号に『チカラビトの世界』という小文を書いた。大相撲の賭博や八百長問題で、世論や民意なるものがヤレ裏社会と手を切れの、ソレもはや国技に値しないとかまびすしかったころである。その大合唱にへそが曲がった。世人のしたり顔にうんざりして「大相撲はおおらかで、おおざっぱでいい。ずぼらで、ちゃらんぽらんでいい」と書いた。「そもそも非合法で、反時代的であるところに大相撲の価値体系があり、存在理由がある。それがチカラビトの国風文化だ」と書いたのだった。(月刊正論11月号)
NHK大相撲の解説者で、スポーツキャスターの舞の海秀平さんは、この問題でこれまで多くのことを語ろうとしなかった。立場上、いえないこともあったのだろう。それが沈黙を破ってこのたび本をだした。『土俵の矛盾』(実業之日本社)だ。
それを読んでうれしくなった。さすが専門家である。素人のへっぽこ論議と違う。大相撲の歴史から説きおこして、いまの問題を一つ一つ明らかにしていた。
うれしかったのは、冒頭、辛口のコラムニスト山本夏彦の言葉、「汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす」を引用していた。これはエッセー集『やぶから棒』のなかの文章で、“正義″や“良心的″という偽善の皮をかぶったもののうさん臭さを鋭く衝いた箴言である。
このエッセー集にはこんな一節もあった。
「大きな声ではいえないが、私は袖の下またはワイロに近いものは必要だ、と思っている。世間の潤滑油だと思っている。人は潔白であることを余儀なくされると意地悪になる。また正義漢になる」。その通りではないか。
そうか、舞の海は山本夏彦ファンであったのか。つづけて『土俵の矛盾』のまえがきはこう書いている。
「大相撲はスポーツではありません。神事や伝統文化・芸能であり、スポーツとして成立するルールを持ち合わせていません。曖昧です。取り直しがあったり、行司の差し違えがあります。
かつての日本人はこの曖昧さと矛盾を大切にする、よき国民でしたが、このところ八百長問題については黒か白かの西洋的価値観で捉えています。…大相撲は矛盾だらけの日本人社会の縮図です。大相撲に文化論はあってもおせっかいな正義は必要ありません」
舞の海さんよ、よくぞいってくれた。胸がすーッとした。たぶん、建前を通さなければいけないNHKのテレビやラジオではいい切れなかった本音だろう。茶の間さじきからは文句がでるかもしれないが(私は実はでないと思っている)、舞の海はここで茶の間の正義は無用である、むしろ道を誤ると喝破していた。このまえがきの一節が、本書の骨子であり、本書のすべてであるといっていい。
舞の海は「大相撲はスポーツでない」という。スポーツでないとすれば何なのか。マンダラ(曼荼羅)だという。世の中が織り込まれたマンダラだという。(続きは月刊正論11月号でお読みください)
コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫
いしい・ひでお 昭和8年(1933)神奈川県うまれ。30年早稲田大学政経学部卒、産経新聞社入社。44年から『産経抄』を担当、平成16年12月まで書き続ける。日本記者クラブ賞、菊池寛賞受賞。主著に『コラムばか一代』『日本人の忘れもの』(産経新聞社)『産経抄それから三年』(文藝春秋)など。