雑誌正論掲載論文

加速する「歴史の真実」探究 記憶も知識も断絶した先に

2011年12月11日 03:02

 大東亜戦争の開戦から70年という節目を迎え、若者の戦争観は大きく変容しているようだ。ある予備校の現代政治の講師が興味深いことを言っていた。憲法の授業で9条や自衛隊や戦争の話をする際、学生に日本が戦争になったときのことを尋ねても、「自衛隊が戦ってくれるから僕は大丈夫だし困ることはない」と安心顔なのだという。本人たちは自宅で普段通りの生活を行い、戦争が終わるまでのんびり暮らせると考えているそうだ。これには驚いた。本土決戦中も耐火構造の自宅で対岸の火を眺めるだけ。過度な個人主義、平和享受もついに新しい段階に到達したようである。(月刊正論1月号

 そんな現代の若者の戦争に対する考えは大きく3つに分かれると言っていい。まず、戦争にそれほど知識がなく、関心も薄い「無関心派」。2つ目は日本を護るために戦った将兵に感謝しようという考えである。靖國神社・護国神社に参拝する若者も多い。彼らを「英霊顕彰派」と名づけたい。そして3つ目は日本の過ちを謝罪し反省し、反戦・平和を訴えたいという考え方だ。ここでは「自虐史観派」と呼ぶことにしよう。

 今回、「若者たちの戦争観」というテーマで小学生から20代までの若者から2カ月間、話を聞き続けた。100人以上を取材した結論から言うと、「無関心」「顕彰」「自虐」派は人数では7対1対2の割合で圧倒的に無関心層が多かった。歴史の年輪は日々広がっていく。どんなに先の大戦が歴史的大事件だったとしても若者には大昔のこと、関心が持てないのは当然かもしれない。

 だが、このままで良いはずはない。自虐派の誤りを正し、無関心派を顕彰派へと変えていかなければ我が国は危うい。日本の安全保障上の脅威である中国や北朝鮮は、日本国憲法前文のいう「公正と正義」を信頼できる「諸外国」ではない。しかし自虐史観派が大手を振るう現状では、その憲法のくびきを取り払い、中国・北朝鮮の軍事力に対する抑止力を持つことさえ困難だからだ。

「あのドラマ、近未来フィクションでしょ」!?

 取材1日目、東京・渋谷センター街。ダンス教室を主宰している友人に4人の女子中高生を紹介してもらった。芸能界志望の可愛い少女たちだ。「若者たちの戦争観というテーマで若い皆さんの戦争に対する思いを聞いているんだ。戦争について学校ではどんな風に習ったかな?」「戦争、ですか。戦争…」「戦争って習ったっけ?」「良く分からないです」

〈最初から難しかったかな…〉「じゃあ、戦争のドラマは見たことがないかな?」と聞くと、「う~ん。ないな」。隣の友達が「え、あんた夏に佐藤健のドラマで騒いでたじゃん、あれ戦争の話なんじゃないの?」と助け舟を出すと、「えっ、あれ戦争の話なの?」

 女の子は驚いていた。私も驚いた。ドラマというのは平成23年夏、フジテレビで放映された「最後の絆~沖縄 引き裂かれた兄弟」だ。若手人気俳優、佐藤健演じる沖縄の少年は鉄血勤皇隊の少年兵になるが、米国に出稼ぎに行っていた実兄が米兵として沖縄派兵されて…という作品である。彼女は描かれた沖縄戦が史実ではなく、近未来の話だと思っていたのだ。戦争ドラマを見ても、もはや先の大戦だとは分からない?

「『火垂るの墓』は悲しかった」「『はだしのゲン』は怖かった」と言う彼女は、これらの作品も“架空の出来事″を描いたものだと思っていたという。

 正直、衝撃を受けた。記憶の風化がここまで進んでいたとは。平和・反戦教育が盛んな学校も多いが、教師が戦争関連の本やビデオを見せても、子供たちが戦争を知らなければ単に残酷なフィクションで終わってしまい、自虐史観すら植えつけることは出来まい。

 男の子はどうだろう。少年野球団に行ってみた。小6の少年は「全然分からない」、中1の少年は「良く知らないけど怖いってイメージ」と言う。他の少年たちも皆「余り知らない」「自分とは関係ない」と言う。ここまで教育は衰退してしまったのだろうか。(続きは月刊正論1月号でお読みください

佐波優子氏

 昭和54(1979)年、埼玉県生まれ。桐朋芸術短期大学卒業。平成13年、日本軍将兵の遺骨収集・ミャンマー派遣に参加。以後フィリピン、ニューギニア、ソロモン諸島、モンゴル、ロシア、硫黄島などの戦跡でご遺骨を迎え続けている。平成22年、予備自衛官2等陸士・普通科小銃手に任用。「祖父たちの戦争体験をお聞きする孫の会」代表。