雑誌正論掲載論文
自由統一は成るか 「金正恩の北」最新情勢報告
2012年02月13日 03:00
金正日の死で不安定化する北朝鮮。その行方を左右する3つの勢力。韓国では自由統一論が広がり始めた。(月刊正論3月号)
注目される米韓の2009年ビジョン
昨年12月に金正日が死んだ。その後の日本の報道は見るに堪えないものが多かった。特に、テレビは北朝鮮のテレビの画面を無批判で流し、あたかも外国の偉人が亡くなったかのような、おかしな報道を続けた。善悪を区分する価値観がない。自由、民主主義、人権、法治という人類の普遍的価値観を拡大するためにわが国が何をなすべきかという問題意識がない。ただ天気予報のような解説ばかりがあふれていた。
金正恩政権はいまだ権力基盤が弱い。いつ、北朝鮮で政変が起きるか、あるいは混乱が起きるかわからない。すでに米韓首脳は2009年6月、「自由民主主義と市場経済に則った平和統一を志向する」と共通ビジョン(米韓同盟未来ビジョン)を明らかにしている。米韓軍は北朝鮮混乱時に備えた北進作戦も準備している。
韓国が米韓同盟、日韓基本条約を維持している限り、統一韓国は日本の国益に最もかなう。最悪のシナリオは普遍的価値観に逆行する中国共産党が北朝鮮を属国化し、韓国に強い影響力を行使するという半島全体の全体主義化だ。
韓国の保守勢力の中でいま急速に、2009年米韓ビジョンに沿う自由統一論が拡散している。これまで、統一コストが膨大だから即時統一ではなくある期間北朝鮮を中国に任せて経済復興させてから統一すべきという、いわゆる2段階統一論が強かった。しかし、統一ドイツが経済大国と成った実態を目のあたりにして、自由統一こそが韓国の経済成長のフロンティアとなりコストより利益が大きいという認識がひろがりつつある。
自由統一論は、事実上の赤化統一案だと韓国保守派が批判してきた金大中・金正日会談(2000年)時の「6・15南北共同宣言」を反故にするものだ。朝鮮労働党政権の解体による自由統一を謳った大韓民国憲法にも合致し、学者や言論人、在野保守運動家の中では主流となりつつあるが、いまだに自由統一を掲げる政治勢力は存在しない。12月に予定されている大統領選挙に向かい、自由統一を掲げる保守勢力の政治勢力化が実現するかどうかが当面の課題だ。
韓国の保守勢力の中では日本は中国とともに統一に反対しているという論調が根強くある。一方、日本の保守勢力の中には、韓国の保守は中国と体を張って闘う覚悟はなく、半島全体の中国属国化は防ぎようがないというあきらめの議論がある。ソ連を崩壊させたレーガン大統領は「我々は勝つ」という信念が戦略だと答えている。自由の拡散という歴史の大きな流れは東アジアにおいても必ず実現するという信念をもった日韓の連携が求められている。そのためにも、野田首相は早急に、2009年6月に米韓首脳が明らかにした自由統一ビジョンへの支持を表明すべきだ。
金日成・正日父子の暗闘
金正恩体制の今後を考えるにあたり、歴史的な検証をしたい。金正日は金日成の死後、「先軍政治」を掲げた。金正日の先軍政治の本質は、住民への配給を止めて餓死させながら核ミサイル開発と対南政治工作をつづけ、自分と家族、側近だけは贅沢な暮らしを送り、逆らう者は地位の高低に関係なく家族連座制で政治犯収容所に収容して虐待し、韓国にテロと武力挑発をつづけ、日本をはじめ世界の多くの国から多数の人々を拉致して抑留続けるという「悪業」そのものだった(金正日の拉致犯罪については本誌2月臨時増刊号収録の拙稿で詳しく論じた)。
ここで注目しておくべきことは、1980年代以降、中国共産党から継続して導入を進められている改革・開放政策、すなわち資本主義的手法を大胆に取り入れて住民の生活を向上させる政策を金正日が最後まで拒否し続けたということだ。
彼は1995年から98年くらいまでに北朝鮮住民300万人以上を政策として餓死させた。日本の大多数のマスコミがそのことに目をつぶっているので、ここで具体的根拠を挙げておこう。父親である金日成が1994年7月に死んで、名実ともに北朝鮮の独裁者になった金正日は、95年頃から社会主義体制において住民の生活の根本である主食の配給を止めた。
彼は労働党39号室を使って管理している個人資金をスイス銀行などに約40億ドル持っており、それを使って核ミサイル開発や父親の遺体保存などを行っていた。その一部を食料輸入に使えば、配給を持続することは十分可能だったが、政策としてそれをしなかった。特権層が住む平壌の二百数十万人、軍人、治安機関、地方の党と行政幹部など合わせて400万人くらいはその後も配給でなんとか暮らしていけたが、それ以外の1600万人以上、人口の8割が配給を待っていると飢え死にするという状況となった。特に、金正日に対する忠誠心の強い者たちがばたばた死んでいった。
韓国に亡命した黄長●(=火へんに華)氏は、生前私に次のように語った。「1996年11月、大量餓死が心配になって腹心の部下を労働党組織指導部の担当者に送ってたずねたところ、『1995年に50万人が死んだ。そのうち党員が5万人だった。96年は11月までに100万人死んだ。このままいけば97年も100万人死ぬだろう。毎日のように将軍様に報告をあげているが対策が下りてこない。このままではいつ暴動が起こるか心配だ』との答えをえた。98年までに300万人以上が死んだだろう」
同じ頃、韓国のNGOが1997年から98年にかけて中国に逃げてきた脱北者1700人と対面調査した結果、1995年から98年までの自分を含む家族の死亡率がなんと29%だった。隣組のような相互監視組織である人民班の死亡率は、やはり自分を含んで28%だった。北朝鮮人口2200万人のうち、上記の配給で食べられていた人口400万人と協同農場農民600万人を除く1200万人に29%をかけると348万人になる。
米国政府も「1995年以後の飢饉のための死亡率は10~15%、200万~300万人に及ぶものと思われる」(1998年8月付・在韓米国大使館秘密報告書)と、中国政府も「1995年からの凶作により北朝鮮人口が300万人減少したという話は信じるに足る」(1999年中国政府傘下研究機関秘密報告書)と、300万人餓死を認識していた。(詳しくは『現代コリア』1999年11月号と12月号掲載の拙稿参照)。
大量餓死は1999年ごろにほぼ収まった。金正日が配給を復活させたからではない。1995年以降、日本をはじめ韓国、米国などから大量の食糧支援を受けたが、大部分は軍や治安機関にまわり配給は今に至るまで止まったままだ。住民らは自力でチャンマダンと呼ばれる市場で、ヤミ商売をして生き残った。配給停止から5年目となる99年頃には配給に頼らずヤミ商売ができるものだけが生き残り、大量餓死が止まったのだ。
晩年の金日成はこのままでは国が崩壊すると強い危機感を抱き、金正日と対立しながら何とかして経済を立て直そうと80歳を過ぎた高齢の体を酷使するなか、1994年7月に心臓病で急死した。金日成死亡直前に金正日との間での激しい暗闘があった。そのことを、元朝鮮労働党幹部である張哲賢氏が韓国の月刊誌に手記を寄せている(新東亜2005年8月号)。私は張氏から直接、詳しく話を聞いたが、金日成の警護を担当していた護衛総局最高幹部の見聞をもとにしたその証言は具体的でたいへん信憑性が高い。日本では紹介されていない貴重な証言だから、骨子をここに記しておく。(東京基督教大学教授 西岡力=にしおか・つとむ)続きは月刊正論3月号でお読みください
■西岡力氏 昭和31(1956)年、東京都生まれ。国際基督教大学卒。筑波大学大学院地域研究科東アジアコース修士課程修了。在ソウル日本大使館専門研究員などを歴任。「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)会長。著書に『韓国分裂』(扶桑社)『金賢姫からの手紙』(草思社)など。