雑誌正論掲載論文

世はこともなし? 第116回 外食券食堂

2015年01月25日 03:00

コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫 月刊正論2月号

 ことし(平成27年)は、はや戦後70年、今は亡き池部良はエッセー集でこういうように書いていたという。

「大東亜戦争はどうして敗けてしまったか。敗因ははっきりしている。戦争に引っ張り出された兵士の、食いものの恨みに似た祟りだ」

 あ、若い世代には池部良が何者か、知らない人がふえていることだろう。池部良は昭和を代表するイケメンだった。大正7(1918)年、東京・大森生まれ。父は画家の池部釣、母は漫画家岡本一平の妹。『青い山脈』や『昭和残侠伝』に出演した銀幕スターで、エッセーの達人でもあった。

 ここは映画ではない、食いものの話である。戦争に引っ張り出された兵士(といっても最後は中尉だった)の池部は、南海ハルマヘラ島のジャングルで飢餓に苦しみ、トカゲやカエルばかりか、ナマケモノやワニまで食った。隊長は「最後のタンパク質資源はミミズだ。ミミズを集めろ」と命令し、海水でゆでて食べたと。

「食」にまつわる戦争体験は、だれにとっても悲惨で、ひもじさの感覚や食いものへの思いを、あの世代はそれを共有している。

 ところで霜月某日、評論家の芳賀綏さんから近況を伝えるはがきがわが家に届いた。晩秋の一日、所用で西武新宿線の新井薬師に出かけ、ついでに野方界隈に足をのばしたという。芳賀先生は昭和3年生まれだが、昭和26年から27年にかけて学生時代に下宿していた懐かしさにつられて。そのころ野方商店街に「野方食堂」という外食券食堂があり、よく利用していた。訪ねてみるとあった、あった。店の構えは六十余年前と変わっていたが、2代、3代目の子孫が店を継いでいた。

「この店のおかげで食いつないだんです」と話すと、「よく訪ねて下さいました」と喜び、昔の写真を出してきた。「この祖母がやっていたでしょう?」「そうです、このおばさんです!」

 芳賀さんは昭和50年代も一度訪ねたことがあった。その時〝おばさん〟は健在で、「あの時の学生さんよねえ」と喜んでもらい、著書を贈ったそうだ。

「お待ちしてます、またお出かけ下さい」という現代の店主たちに見送られ、しあわせな〝晩秋好日〟を過ごした、とはがきは結ばれていた。野方食堂は昭和11年創業で、戦後の食うや食わずの荒波をくぐりぬけてきた。そしていまも庶民の〝大衆食堂〟を自任し、メニューは100種以上あるという。

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■ コラムニスト・元産經新聞論説委員 石井英夫 昭和8年(1933)神奈川県生まれ。30年早稲田大学政経学部卒、産経新聞社入社。44年から「産経抄」を担当、平成16年12月まで書き続ける。日本記者クラブ賞、菊池寛賞受賞。主著に『コラムばか一代』『日本人の忘れもの』(産経新聞社)、『産経抄それから三年』(文藝春秋)など。