雑誌正論掲載論文

世はこともなし? 第113回 認知志ん症がいい

2014年10月25日 03:00

コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫 正論11月号

 いろんなタイプで人を区分ける見方がある。たとえば犬好きと猫好き、タヌキ派とキツネ派、ソース顔としょうゆ顔というように。

 では文楽型と志ん生型というのは、何を基準にした分け方か。それはボケたときの分類だそうだ。

 文楽型がいいか、志ん生型がいいか。どちらを選ぶかというのが漫画家の高信太郎さんの設問で、当の高さんは断然志ん生型がいいと『ボケを生きる』というコラムで書いていた。

 八代目桂文楽と五代目古今亭志ん生といえば、〝昭和の名人〟の双璧だろう。文楽の最後の落語が『大仏餅』だったことはよく知られている。昭和46(1971)年8月31日、国立小劇場の落語研究会で、しゃべりなれた演目なのに神谷幸右衛門という人物の名前がどうしてもでてこず、絶句してしまった。

「申しわけありません。もう一度勉強し直してまいります」。客席にふかく頭を下げて高座を下り、そして二度と高座に出ることはなかった。その年の12月12日、肝硬変で79年を一期に終えるまで、とうとうひと言も落語を口にすることはなかった。

 寸分の狂いのない機械のような正確さで、その日演じる演目は必ず直前までさらい直すほど几帳面な努力の人だった。

 文楽の内弟子だった柳家小満んさんから聞いた話だが、弟子のしつけには厳しく、毎日内湯の残り湯でハンカチの洗たくをさせる。それをガラス窓にはりつけて乾かすのだが、ハンカチが少しでもずれたり曲がったりしてると「お前の根性が見えてますよ」と叱られたそうだ。

 そんな四角四面の人だったから、自分の絶句という事態が許せなかったのだろう。老人になれば、日常生活で人の名がでてこないなんてことはしょっちゅうあるのに。

 実はこの日に備えて「もう一度、勉強し直して…」というわび口上までけい古していた、と演芸評論家の矢野誠一さんは書いている。

 ところが、もう一人の名人、志ん生にも同じことがあったそうだ。

「えー、その侍の名前てえのが…」で詰まってしまった。お客がどうなることかと息を止めていると、志ん生は「どうでもいい、そこらによくある名前」といってのけた。この一言で満場の客は大爆笑となったという。高信太郎さんは春風亭柳昇門下で、春風亭蛾昇の高座名があるくらいだから、そのへんのことはくわしい。

 同じような高座でおきたピンチで、文楽と志ん生のどっちがどうというものでもない。この違いは2人の芸風の差によるものだろう。

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