雑誌正論掲載論文

あらかじめ破壊された精神の再生は…

2014年04月15日 03:00

評論家・三浦小太郎 月刊正論5月号

 一人の痩せて鋭い目をした若者が布団から起き上がり、ゆっくりと歯を磨く。布団を片付け、パソコンの電源を入れ、冷蔵庫からミルクとコーンフレークのようなものを取り出し、さしてうまそうでもなく機械的に口に運びながらパソコンの画面を見る…。映画「北朝鮮強制収容所に生まれて(原題:Camp14/監督:マルク・ヴィーゼ/2013年ドイツ映画/公式サイトhttp://www.u-picc.com/umarete/)」は、そんな世界中にありふれた風景から始まる。

 しかし、この若者が歯を磨くことを覚えたのは、北朝鮮強制収容所を脱出した23歳以降であり、その収容所での食事はギリギリ生命を保つにも足りない、1日70グラムのトウモロコシ粥と白菜汁だけだったこと、おそらくミルクなどというものは見たこともなかったことを思う時、この映像は全く違う意味を持ち始める。青年は申東赫(シン・ドンヒョク)。1982年、北朝鮮平安南道价川市の国家保衛部管轄の第14号管理所(強制収容所)で、囚人の子供として生まれた。このドキュメンタリー作品は、単なる北朝鮮人権問題への告発ではない。生まれたその時点から誰にも愛されず、世界に拒絶され、未だに自らの位置する場所を見いだせていない傷つき漂流する魂の記録である。

 この映画でも明らかにされる申東赫の体験は、彼の証言をアメリカ人ジャーナリストのブレイン・ハーデンがまとめた『北朝鮮14号管理所からの脱出』(白水社)に詳しい。本書は映画を見た後で読みなおすと更に圧倒的な迫力を持って迫ってくる。一方で映画は証言録に描ききれなかった申の絶望をより鮮明に映し出す。これは映画が説明不足だとか、文章だけでは分からないものが彼の表情から読み取れるといった単純な話ではない。他者が易々と描くのを許さない深い絶望、いや絶望という言葉でさえ表現できない世界がこの世に存在すること、申の内面を私達北朝鮮強制収容所の外に住む人間が理解することの困難さ、さらには申東赫自身が自らの体験を語ることが如何に苦痛であるかを証明しているのだ。

 申東赫は、自らの証言や映像が、世界に北朝鮮の人権侵害の実態を広めていくことが出来たことを、勿論喜んではいるだろう。しかし同時に、お前たち外の人間に何が分かるかとも思っているはずだ。その申の苦悩を読み取ることが出来るか否か、この映画は私達見る側にも厳しい問いを突き付けてくる。

「自由」も「親子」も知らない

 この映画の申東赫の眼は、常に底知れぬ闇を見つめているようにも見え、また時として、本当は目を閉ざしたいが、それによって自らの記憶と向き合うのも辛すぎるために、ただ無理に目を開けているかのようにも見える。そして、収容所での拷問のありさまや自らが行った過去を語るときには、しばしば言葉に詰まり、発言そのものを拒む。その彼の沈黙は、時として証言以上に雄弁に、北朝鮮強制収容所で何があったのかを語っている。

 申東赫が言葉に詰まるのは、たとえば次のような記憶だ。ハーデンの著書から引用する。

 1989年、申東赫がまだ7歳のころの話だ。収容所の学校で子供たちの持ち物の抜き打ち検査が行われた。飢えたある少女が、ポケットの中に、こぼれたトウモロコシの粒を数粒隠し持っていたのが見つかった。教師は怒りを爆発させ「このあばずれめ、トウモロコシを盗んだな」と罵倒し、棒でその少女が気を失うまで頭を叩いた。申東赫らは気絶したままの少女を家まで運んだが、その夜、おそらく脳出血か何かだろう、そのまま少女は死んだ。

 これは収容所の規則「食料を盗んだ者、あるいはそれを隠匿するものは射殺する」に照らし合わせれば問題のない行為だった。しかし、最も恐ろしいのはこの教師の残酷さではない。申東赫が「その子が罰を受けたのは公平なことだと思い」「教師に怒りを感じることもなかった」ことなのだ。

 申東赫がこのエピソード(本来は殺人事件なのだが、収容所に於いてはごく日常のエピソードにすぎない)を語る前に、苦しそうな沈黙の時間を過ごすのは、残酷な事件を思い出したくないからだけではあるまい。射殺規則の異常性やこの殺人を悪として意識できなかった過去の自分に向き合うのが辛いからなのだ。

 強制収容所という特殊な空間の内部で生を受け、徹底的に「収容所教育」を受けてきた申東赫によって北朝鮮の外の世界に伝えられたのが、収容所内での「表彰結婚」制度だ。模範囚の男女を、金日成、金正日の誕生日に選び出し、5日間ほど同じ部屋に同居させる。収容所では男女の接触は勿論禁止されているが、この表彰結婚は模範囚の「特権制度」「最高の栄誉」として存在する。

 しかし、その結婚は男女の恋愛とは何のかかわりもなく、そこで生まれた子と親の間には愛情も生まれようがない。もともと実の夫婦であっても一緒に暮らすことは許されず、収容所内には「家庭」というものはないのだ。

 そのような夫婦から生まれた申にとっては、共に暮らす母親も乏しい食料を奪い合うライバルだった。空腹に耐えられない申が母親の留守に彼女の分の食事を食べてしまうと、母親はひどい暴力をふるった。

 収容所の保衛員たちは、申をはじめとする子供たちに、お前たちがここにいるのは、両親が罪を犯したせいだと教育し、申もそれ以外のことは考えられなくなっていた。申はハーデンに「僕は家族よりも保衛員に対してずっと忠実だった。家族のものはお互いにスパイでした」と語っている。

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■ 三浦小太郎氏 昭和35(1960)年、東京都生まれ。獨協学園高校卒業。「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」代表。著書に『嘘の人権 偽の平和』『収容所での覚醒 民主主義の堕落』(ともに高木書房)。