雑誌正論掲載論文
ケネディ大使への手紙 靖国と従兄の君の『特攻』をめぐって
2014年02月28日 03:00
文藝評論家・小川榮太郎 月刊正論4月号
ケネディさん、日本大使就任おめでたうございます。
今、日本はやうやく、20年近くのデフレと内向き志向から脱却し、「善をなす強い日本でありたい」と宣言する安倍首相を得て、力強く世界に向けて水進し始めたところです。
安倍政権の1年で日本の空気は本当に一変した。これまでの数年、日本は政権の統治能力が疑はれる状況下、「決められない政治」といふ言葉が流行し、国内には諦めムードが漂つてゐた。それが今や、経済、安全保障、外交、教育、オリンピックなど全ての案件がダイナミックに動き始めました。丁度日本がさうなつたその時に、あなたは日本に来られた。
私はあなたの就任を心から歓迎したい。その理由は幾つもあります。
まづ第一にアメリカきつての名家であるケネディ家の出身、特に、あのケネディ大統領の娘であることだ。
我が国は本来――今や少々怪しいのですが――血統と名誉を重んずる国柄です。
日本は万世一系と言はれる125代に渡る天皇家を国の中心に頂いてゐる。古い国の通例として、我が国も古代では神話と歴史の境界線が曖昧なのですが、神話的な年代設定では、約2700年近く前、天照大神といふ太陽の女神の子孫である神武天皇が初代天皇として世を統べて以来、たつた一つの皇室を戴き続け、その下で緩やかな共同生活を営んできたのが日本です。
かと云つて、天皇信仰に雁字搦めになり、身分の固着した国ではない。現状にチャレンジする人間は2000年以上にわたる日本の歴史にたくさん存在しました。その一人織田信長は、16世紀の戦乱の世を平定した武将ですが、同時に、当時の日本に世界でも先駆的な市場経済的発想を導入した合理主義者です。人材登用も身分や出自に拘らなかつた。ヨーロッパとの交際にも非常にオープンでした。フィギュアスケートの世界的な選手だつた織田信成さんは彼の子孫です。
天皇を頂きながら、自由で果断な織田信長のやうな人材も輩出する。――高貴な家系とチャレンジャーのどちらをも大切にする日本人から見ると、若い国アメリカの中で、20世紀を通じ、アメリカに最も影響を与へてきたケネディ家は、強い尊敬の対象です。しかも、ケネディ大統領は、世界史へのチャレンジャーであり、民主主義を新たに定義づける大きな存在でした。
次に、あなたを歓迎する理由、それはあなたが自由な議論を率直に受け入れる勇気を持つてゐる事です。
今年の1月23日に朝日新聞に掲載されたインタビューを、私は大変興味深く拝読しました。
その中で、特に目を引いた一節がある。安倍総理の靖国神社参拝に対して失望したとした大使館の談話について質問され、あなたはかう答へてをられる。
「強固な関係の特徴は、お互いの立場の違いについて正直に話し合えることです。」
そしてまた、イルカの追込み漁に反対するツイートに多くの賛否が寄せられたことについて「この問題では賛否両方の返信がありました。とても健全なことです。他の課題でもツイートすることは重要でそこから会話が始まれば良いと思います。」と話されてゐる。
このやうに自由な議論を呼びかけるあなたの姿勢は、いはゆる外交のプロにはかへつて打ち出せないものでせう。アメリカの民主主義の伝統の中枢を生きてきたといふあなたの伸びやかな誇りが、自由な議論への率直な呼びかけになつてゐる。
かうしたやり取りを見て、私は、ふと、安倍総理夫人である昭恵さんを思ひ出した。
彼女は総理の政治的立場を理解する一方、原発問題などでは相反する議論でも、敢へて問題提起しようとすることがある。時には政権与党である自民党の政策に対しても議論を投げかける。そして反対意見に対しても女性らしいしなやかさでこれに応じる。この夫人の自由闊達さと、それをあへて許してゐる安倍首相の懐の深さが、安倍政権の日本を風通しのよいものにしてゐます。
あなたを歓迎する、より政治的な理由も挙げたい。言ふまでもなく、あなたとオバマ大統領との深い信頼関係です。そしてそのことを象徴するかのやうにあなたはこのインタビューでかう発言してゐる。
「日本は米国にとって、最も価値の高い同盟国、信頼する友人であり、その外交戦略の中心にあります。米国は中国とは建設的に関わりたい。と同時に米日関係は中国の行動によって規定されるものではありません。」
日米中韓の4か国関係が、従来よりも難しい舵取りを要求される今、オバマ氏に近いあなたが、日米の同盟関係と米中関係との相違を、明確な言葉で再確認した。これは四か国すべてにとつて小さくない事実です。
最後にもう一つ、あなたが文学を愛することが、私には大変嬉しい。大使就任直後も、あなたは早速スピーチに日本の古典を引用してくれた。
川の流れが絶えない、しかし川はその場にある。
これが13世紀の日本の最も有名なエセーである『方丈記』から取られたのではないかと、我が国ではだいぶ話題になりました。
原文はかうです。
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
日本には1800年程遡ることのできる、詩歌の伝統があります。歴代天皇は皆詩人であり、彼らの多くは歴史に残る名歌を残してゐる。逆に、農民や兵士さへ、同じ形式の詩、つまり和歌を古代から詠んできた。日本人は身分を越え、男女の別なく、古来、和歌といふ形式に喜怒哀楽を込め、それによつて絆を深めてきた。私自身、政治学者ではなく、文藝評論家です。あなたの文学愛好が嬉しくないはずはありません。
靖国参拝を議論する前提として
その上で申し上げたい。
まさにあなたが仰つた自由な議論がこれほど緊急性を要する主題は他にありません。首相の靖国神社参拝といふ問題です。
あなたはこの問題について、昨年末に続き、1月のインタビュー記事でも「失望」の表明を繰り返された。
そして「強固な関係の特徴は、お互いの立場の違いについて正直に話し合えることです」、だから、率直に言ふのだと仰つた。
率直な議論が大切なのも、強固な友情があればそれが可能なのもその通りです。しかし日本において靖国問題をはじめとする先の大戦に関する歴史認識は、率直に話してはいけないテーマになつてしまつてゐる。その実情をまづ知つてほしい。
言論空間そのものが歪んでゐるのです。
例へば、日本において安倍首相の靖国参拝がどう報じられたか、ご存知でせうか?
世論調査では参拝の是非は均衡してゐた。中韓を刺激するから行くべきでないといふ意見も多い一方、両国の干渉への拒絶も多数意見でした。靖国参拝が問題化したのは近年のことで、戦後40年それは何ら問題ではなかつた。従つて、日本には賛否両論拮抗しつつ、様々な立場の議論が存在する。
ところが、日本の報道は、安倍氏の参拝への国内外の反対意見のみを並べ立てました。12月29日のTBSサンデーモーニングといふ、日本を代表する政治ショーは、作家や国際政治学者や新聞記者を含む7名のコメンテーター全員が、安倍氏の靖国参拝を批判した。穏健派とされるニュースキャスターの代表的存在、池上彰氏の番組(1月13日 テレ朝 池上彰の学べるニュース)でさへ、この件について、安倍外交の国際孤立を強調し、靖国参拝の意義や好意的反応は一点も紹介しない。そもそもこれらの報道は安倍首相が、参拝に際して発表した「恒久平和への誓ひ」といふ非常に中身の濃い、重要な公式見解に全く触れてゐません。そして、靖国問題で率直な議論をしようとする人間には右翼といふレッテルを貼つて、「率直な議論」を、国民や世界の世論の眼から覆ひ隠さうとする。
率直な議論から日本は逃げるな。――ニューズウィーク日本語版の靖国神社特集号(2014・1・28号)は、この靖国参拝について、中韓の抗議が如何に欺瞞に満ちたものかを公正に指摘すると共に、日本側も、「国民的議論や説明を抜きにして、事を進めようとしている」と、批判してゐる。全くその通りです。ただ、今書いたやうに、メディアが、右翼といふレッテル貼りに終始し、「率直な議論」を隠蔽してゐる以上、政治家が「率直な議論」を発しようものなら、中身は伝へられず、右翼呼ばはりで社会から抹殺されかねません。かうした圧倒的に歪んだ言論空間の中で、例外的に己の信念を主張することに成功してきたのが安倍晋三氏なのです。それが今度の靖国参拝となつた。
どれだけ多くの国民が安倍氏のさうした在り方に感動を覚え支持してゐることか。
安倍政権発足から一年経つて、内閣支持率60%といふ数字は、日本の政治史で初めての事です。ケネディさんに、まづはさうした日本の実情を知つておいて頂きたいと思ひます。
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■ 小川榮太郎氏 昭和42(1967)年生まれ。大阪大学文学部卒業。埼玉大学大学院修士課程修了。創誠天志塾塾長。主要論文に「セルジュ・チュリビダッケ」「福田恆存の『平和論論争』」「川端康成の『古都』」「ティーレマンの奇跡」など。処女作『約束の日―安倍晋三試論』(幻冬舎文庫)がベストセラーに。近著に『国家の命運 安倍政権奇跡のドキュメント』(幻冬舎)『永遠の0と日本人』(幻冬舎新書)。