雑誌正論掲載論文

世はこともなし? 第105回 わが恋人の名をかけば

2014年02月25日 03:00

コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫 月刊正論3月号

 この年齢になるというか、この年齢になってもというか、「恋人」という言葉を使うのはどこか気恥ずかしい。

 文字に書いてもそうだし、口に出しても顔が赤らむ気がしてくる。シンガーソングライター五輪眞弓に『恋人よ』がある。なかなかの名唱だが、それを聴いてもなぜか目を伏せたくなる。昭和一ケタ族がそれをいうなら彼または彼女だ。それとも黙って小指をだすか。せいぜい口にするならレコだろう。

 下世話なことはともかく、日本の近代短歌史で、初めて「恋人」という言葉を使った歌人はだれだろうか。与謝野晶子か北原白秋かと思っていたら、それは気仙沼市出身の国文学者で歌人だった落合直文(1861─1903)だという。

 気仙沼といえば魚の町であり、由緒深い歴史的建築物の多い町だったが、3年前の東日本大震災で津波に呑みこまれた町である。津波はJR南気仙沼駅前の繁華街を壊滅させたが、その駅前のがらんとした空き地に、その落合直文の「恋人」の歌碑が建てられた。それが被災地に勇気とうるおいを与えているという。

   砂の上にわが恋人の名をかけば

    波のよせきてかげもとどめず

 うーん。明治のロマン調歌人の歌とすれば、この抒情は清新であり、この感傷は甘美を極めている。〝ビロードの声〟といわれた米国歌手パット・ブーンに『砂に書いたラブレター』があったが、この歌はそれに先駆するものではないか。

 恋愛至上を人生のモットーとした与謝野晶子は、鉄幹とともに直文の影響を受けていたはずだが、〝情熱の歌人〟晶子の恋の陶酔感に比べれば、これはすこぶる禁欲的ではある。

 ところで直文の「恋人」の朗報を知らせてくれたのは、気仙沼の知人・藤田孝子さん(62)である。

 藤田裕喜・孝子夫妻はともに自衛官出身だ。だから産経抄ファンだった。河北新聞気仙沼南販売店を営み、10年にわたってミニコミ情報紙「ふれあい交差点」を発刊し、読者に配ってきた。それがあの大震災で、支店も津波で流失、300軒の読者を失い、電気も水道もとまって人びとは完全な情報難民と化していた。

「なんとしても必要な情報を届けたかった。それがミニコミ紙の役割でしたから」

 震災発生後一週間、なんとか新聞の戸別配達ができるようになると、藤田夫妻は新聞に折り込んで読者の元に「ふれあい交差点災害特別号」を届けることにした。第一号は三月十八日付、手書きである。「ガンバロウ!! 気仙沼は負けないぞ」の大文字がくろぐろと一面に躍った。そのミニコミ情報紙が、栄えある日本新聞協会の地域貢献特別賞を受賞したことは平成二十四年三月号の小欄でご報告した。いま「ふれあい交差点」は三百号を超えている。

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■ コラムニスト・元産經新聞論説委員 石井英夫 昭和8年(1933)神奈川県生まれ。30年早稲田大学政経学部卒、産経新聞社入社。44年から「産経抄」を担当、平成16年12月まで書き続ける。日本記者クラブ賞、菊池寛賞受賞。主著に『コラムばか一代』『日本人の忘れもの』(産経新聞社)、『産経抄それから三年』(文藝春秋)など。