雑誌正論掲載論文

世はこともなし? 第104回 再び「米山」のこと

2014年01月25日 03:00

コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫 月刊正論2月号

 明治を生きた伊予松山の書家・三輪田米山(みわだ・べいざん)のことは、一度、平成20年7月号で書いた。

 この異色の書家の作品と生涯は、これも異色の絵手紙作家である小池邦夫氏から教えられた。小池さんに米山の図録や資料をみせられ、うーむ、なるほど。これは凄い書の巨人であるわいとすっかり洗脳されたのである。

 はじめ小池さんは松山のご出身であり、米山は同郷の先人だから、敬愛のあまりひいきのひき倒しもあるかと少しいぶかった。ところがどうして、どうして。まぎれもなく巨大で豪快な書家であることが私にもわかってきた。

 三輪田米山の名は、手元にある人名辞典には載っていない。文政4(1821)年、四国松山の神官の子に生まれ、生涯を神職で送り、明治41(1908)年87歳で没した。明治維新の激動の時代に、神官でありながら大酒を飲んでは書を爆発させた。飲むほどに、酔うほどに、その書は魅力を増し、光を発した…。

 その三輪田米山の書や幟(のぼり)や拓本約100点をあつめ、この5月、「三輪田米山特別展」がふるさと松山市の椿神社・椿会館で開かれることになった。それをまた小池さんから教えられた。そして松山市の宗友福祉会の武田英三氏から米山の資料を送ってもらった。だからうれしくって書かずにいられない。及ばずながら太鼓をたたかせてもらいたくなったのである。

 折から昨秋、小池さんの「墨世界展」が銀座の鳩居堂画廊で開かれ、会場でもう一度小池さんの胸をたたいた。

 米山とはどういうところで出会ったのですか?

「ぼくは道後温泉近くの農家の生まれで、小学3年生のある日、リヤカーでみかん運びを手伝っていた。そのとき近所の大山積神社の前に建ってた神名石の石文を見たのです。書などわかるはずもない九歳のときでしたが、いうにいわれぬ迫力に圧倒されて、思わずしゃがみこんでしまいました。大ぶりの力のこもった字が彫りこまれてある。それがオーラを放っていた。深さ12センチもある字ですから。彫った石工さんの腕前は凄かったんですね」

 神名石には「大山積神社」と筆太に彫られてある。写真でみても、読むものの心にズシンと響く字だった。

 ほかの石文を写真でみると「鳥舞(とりまい)」「魚躍(うおおどる)」、また「年豊」「民楽」、「敬神」「愛国」などという極大な字が彫りこまれてある。

「上善如水」「無為而尊」「大巧若拙」の四文字もある。米山は独学で中国の古典を学んでいた。それらは自分の心をとらえた文句だったのだろう。

続きは正論2月号でお読みください

■ コラムニスト・元産經新聞論説委員 石井英夫 昭和8年(1933)神奈川県生まれ。30年早稲田大学政経学部卒、産経新聞社入社。44年から「産経抄」を担当、平成16年12月まで書き続ける。日本記者クラブ賞、菊池寛賞受賞。主著に『コラムばか一代』『日本人の忘れもの』(産経新聞社)、『産経抄それから三年』(文藝春秋)など。