雑誌正論掲載論文

「世界征服」者たちと苦闘した記憶の覚醒こそ

2014年01月15日 03:00

評論家 渡辺望 月刊正論2月号

3つの「世界征服」勢力に攻撃された近代日本

 岡田斗司夫の『世界征服は可能か?』(ちくまプリマー新書、2007年刊)という、とてつもなく面白い本がある。私たちが何となく理解したつもりになっている「世界征服」とは何か、ということを解き明かす本である。サブカルチャーの専門家であり創作家でもある岡田は、この本で、膨大な数のアニメや特撮で描かれてきた「悪の組織」を解説しながら、巧みに「世界征服」という言葉の意味に迫っていく。

「征服」と「支配」とは意味が異なるのか。「世界」とは何か。世界征服後の統治のビジョンが悪の側にあるのか。そんなことを突き詰めていくと、「世界征服」というのは複雑な概念であって、しかも現実がサブカルチャーの世界に反映されたものであることがわかってくる。

 たとえば『愛の戦士 レインボーマン』(1972~1973年にテレビ放映)を岡田は取り上げている。この作品に登場する「世界征服」組織は「死ね死ね団」という。「死ね死ね団」は、「日本国家と日本人の絶滅」を目指して日本人の殺戮や誘拐を企てる組織である。「日本国と日本人がいない地球」を実現しようとする「世界征服」もあるのだ。

「死ね死ね団」の構成員は「アジア系」というだけで最後まで国籍不明である。ただ彼らは、先の大戦中に家族や知人を日本軍に虐待されたと自称公言し、その復讐のために日本に殺戮戦をしかけてくる。この「死ね死ね団」と戦って日本を防衛するのが、インドで聖者に超能力を授かったレインボーマンことヤマトタケシ青年なのである。

 原作者の川内康範氏(1920~2008)は他に『月光仮面』の原作やアニメ『まんが日本むかしばなし』の監修を手がけた戦後日本を代表する脚本家である。戦没者の遺骨収集運動や全学連と対峙した機動隊の応援歌の作詞、自民党政治家の指南役などナショナリズム的活動でも有名だった。川内にしてみれば、「死ね死ね団」とは、戦後に日本民族が立ち向かわなければならなかった「何物か」の比喩であったに違いない。

 岡田による「世界征服」分類によれば、サブカルチャーの世界であらわれる「世界征服」の連中は、「正しい価値観で世界全体を敷き詰めたい」タイプ、そして「人類や民族の管理人=独裁者を求めたい」タイプが多いという。

 史実では前者の典型がマルクス主義であり、後者の典型がナチズムということになる。マルクス主義は、プロレタリア階級独裁という「正しい価値観」を世界で普遍化するという「世界征服」を志向した。

 ナチスの場合は、ヒトラーという独裁者にゲルマン民族の管理を委ね、繁栄を託すという「世界征服」であった。ただしナチスの場合は、全人類の独裁者の出現を求めたのではなく、自民族及び自国周辺地域だけの管理支配をヒトラーに期待したに過ぎない。もちろん、ナチスの管理に抵触するような国家や民族は容赦なく根絶されなければならない。

 岡田はまた、「スター・ウォーズ」を例に出して、「擬似ローマ帝国型」とでもいうべき「世界征服」の概念も提示する。この第三の「世界征服」国家こそがアメリカであるが、それが「擬似ローマ帝国」国家である理由については後述する。

 神話の時代から、日本ほど「世界征服」の概念と無縁な民族国家はない、といえる。半面、日本は、これら各種の「世界征服」の勢力の攻撃に翻弄され苦しんできた。特に近代日本は、上記3つのタイプの「世界征服」勢力の攻撃に相次いで遭った。「世界征服」なる思想が日本人には未知で無縁なものであるからこそ、日本人は激しい恐怖とともにその闘いを記憶に刻んだのではないだろうか。日本のサブカルチャーにおける「世界征服」集団の氾濫も、実はそうした民族的記憶の投影に他ならないものだと私は思う。

「コミンテルン」という厄災を招き入れた孫文の誤謬

 3タイプの「世界征服」勢力に近代日本が攻撃を受けるきっかけは、いずれも中国だった。

 そして、それらの始まりは孫文の誤謬であり、その誤謬を拡大して孫文の政治革命の方法を継承した蒋介石であった。孫文が創始した中国国民党の革命方法の最大の特色は、徹頭徹尾、外国に依存することである。この「依存」が、近代日本に大いなる災難をもたらしたのだ。

 孫文夫人の宋慶齢が回想しているように、孫文が世界中を駆けずりまわったのは、革命への観念的理解を求めるというような爽やかなものではない。経済的、軍事的に全面支援してくれる国家を探すこと、つまり都合よく自分たちに内政干渉をしてくれる国を探すためだった。どこの国にも最後には相手にされなくなった孫文は結局最後には、ソビエトに全面依存した。

 K・カール・カワカミも「中国国民党はその便宜主義の性格の故に国際共産主義者とソ連政府の暗躍を許し、その結果ひどい報いを受けるはめになってしまったのである」と正しく指摘している(『シナ大陸の真相』)。孫文にとって日本は「選択肢の一つ」に過ぎず、彼の人生前半での親日主義は、外国への病的な依存の表れであった。

 もちろん日本で孫文を支援した民間人は多く、彼らによって創作された「孫文神話」は今なお語られ続けている。彼らの側にも孫文に付け込まれる重大な内面的原因があった。「孫文神話」を創作した宮崎滔天や内田良平らナショナリスト的な志士たちは、明治維新のロマン主義をもう一度、孫文率いる国民党の辛亥革命の中に見出そうとし、日中提携という錯乱に陥っていたのである。熱烈な孫文支持者で知られた玄洋社社員の末永節は、孫文と辛亥革命を祝って、上海の船上で日の丸を振りはしゃぎまわっていたという(保阪正康『辛亥革命を助けた日本人』)。

 今日、中国政府は過去の日本が中国に「内政干渉」したことを激しく非難する。中でも、日本政府の対華21カ条要求(1915年)は、今なお反日運動が崇める最大の神話である。中国側を一番怒らせたのは、五号要求(当初は希望条項であった)にある「日本人顧問団の受け入れ・軍事方面は日本の保護を受け入れること」であり、中国が日本の保護国になるということを意味するとよくいわれる(『歴史の嘘を見破る』岡崎久彦)。孫文もこの対華21カ条要求によって生じた激しい反日主義運動に乗っかり、反日とソ連提携に傾いていった。しかしこれほど的を外れた日本非難も他にない。

 対華21カ条要求から何年か過ぎ、国民党指導部にはソビエトの政治顧問であるボロディンがやってきた。ボロディンは近代中国ではじめての軍士官学校(黄埔士官学校)をソビエト軍方式でつくっただけでなく、コミンテルン中国代表として中国政府内のど真ん中で堂々と諜報活動していた。黄甫士官学校ではソビエト軍の最高幹部だったブリュヘル将軍が軍事顧問として教育指導した。これらは、どうとらえても対華21カ条要求・五号要求の「ソビエト」版の現実化に他ならない。

 孫文は、同じことを日本にしてほしかったのだ。政治顧問と軍事顧問を派遣して国民党を導き、ソ連のように「内政干渉」してほしかった。ゆえに中国国民党が対華21カ条要求の五号要求に激怒したのは、日本側が顧問派遣を自分たちではなく、袁世凱政府に申し出たことへの嫉妬心からだった。「反日」は孫文の「疾妬」に由来するのである。

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■ 渡辺望氏 昭和47(1972)年、群馬県高崎市出身。早稲田大学大学院法学研究科終了。ブログ「倶楽部ジパング・日本」(http://nozochan.blog79.fc2.com/)を開設。著書に『国家論─石原慎太郎と江藤淳。「敗戦」がもたらしたもの』(総和社)、『蒋介石の密使 辻政信』(祥伝社新書)など。