雑誌正論掲載論文
映画「南京の真実」製作日誌 〝情報戦〟の最前線から(第75回)
2013年12月05日 03:00
日本文化チャンネル桜代表 水島総 月刊正論1月号
11月20日(水)「南京」月報
2673年の孤独
あの瞬間、天皇陛下の左袖に触れられた皇后陛下の御手、その意味はなんだったのか。陛下をお止めするがごとく、あるいはお支えするがごとく、皇后陛下は、静かに、しかし、しっかりと、これ以上考えられない優雅さで陛下の左袖に触れ、寄り添われた。
10月31日、天皇陛下主催の秋の園遊会での出来事である。参議院議員山本太郎は、招待客の後列にいたが、陛下が近づいて来られると、強引に前列まで進み、後ろから声を掛け「直訴状」なる手紙を陛下に差し出した。陛下は少し戸惑いながら、微笑んで受け取られた。あの瞬間、皇后陛下の御手が、心配そうに天皇陛下の左肘に触れられた。侍従や警備陣は、全く動こうとはしなかった。園遊会という場であり、陛下の御前ということもあって、取り押さえるのを躊躇したのだろう。どうしていいのか判らず、動けなかったというのが真相だろう。まさか、とも考えたろう。そのまさかを山本は犯した。
園遊会に限らず、他の行事でも、まず陛下から御声を賜るのであり、国民の側からという例はない。その伝統が破られただけでも異常事態だが、もし、陛下に御渡しした手紙が、凶器類、あるいは猛毒の炭疽菌やサリンの付着した紙だったらと考えれば、事の重大さは明らかだ。山本の行為は、凶器や毒物こそ持っていなかったが、皇族警備の隙を突くテロ同然のものと言わねばならない。手渡したのが「天皇陛下 御中」と記された礼儀知らずの手紙だったからで済ませられるものではない。
あのときの映像を見て、きりきりと胸の痛みを覚えた日本国民も多かったはずだ。私自身もそうだった。私たちは恐るべき「現実」を見てしまった。あのとき、陛下を命懸けでお守りしようとしたのは皇后陛下御一人だけだった。陛下の周りには、皇后陛下御一人しか、危機に対する感覚と対処意識を持つ人間はいなかった。この現実のあまりの「痛ましさ」に、私たちは衝撃を受けたのだ。
あのとき、私たちは見てしまった。華やかで平和な園遊会の風景の裏側に、ぞろりと姿を露わにした醜悪で腐敗した戦後日本社会の実相を。同時に、私たちは見たのだ。道義や正義が瓦礫と化した戦後日本社会に、凛として咲く白菊のように両陛下が寄り添い、秋風の中に佇んでおられたことを。私たちはその孤立の「痛ましさ」と「ありがたさ」に、胸を衝かれたのである。2673年の孤独……そんな言葉が私の頭に浮かんだ。
両陛下の御姿が、無言で伝えていたのは、「日本」の静かな慟哭である。戦後日本の落とし子のような山本太郎の無知無礼な振る舞いにも、天皇陛下は誠実で真心溢れる対応を示された。東北の被災地でも、グアム、サイパンの慰霊地でも、陛下の姿勢は同じだった。
私たちはあの時、「日本」を見ていたのだ。陛下の御姿に、純粋無垢な「日本」の魂を見ていたのだ。「日本」の気高い魂がとなり、日本の精神的中心として、荒廃した現代日本の中で、「持ちこたえて」おられる、その御姿を私たちは見たのである。
山本は、気高く美しい「日本」と「日本の魂」を、愚かで卑しい行為で穢そうとした。だからこそ、私たちは言い知れぬ悲しみと悔しさと怒りを覚えるのだ。
この事件は、天皇陛下を反原発プロパガンダに利用しようとした極めて悪質で計画的な政治的パフォーマンスだった。しかし、それだけではない。山本のしたことは、天皇陛下に対する一種のテロ行為である。少なくとも、容易にテロを実行出来ることを日本中に示した。両陛下は全国を行幸啓され、親しく国民と接しておられる。この皇室と国民との麗しい信頼関係を山本は破壊しようとした。我が国体の中心存在である天皇陛下としての国民との伝統的在り方に、汚水でも浴びせるような悪質な文化テロを行った。
つまり、この事件の本質は「戦後日本」から、皇室を中心に2000以上の歴史を形成して来た「日本」への悪辣な挑戦であり、「日本」へのテロ行為である。一言で言えば、戦後日本(左翼)が仕掛けた「日本」(国体)に対する破壊工作と考えるべきだ。山本当人がそれを意識していたかどうかは関係ない。山本は選挙において、過激派の中核派(日本革命的共産主義者同盟全国委員会)等から支援を受け、「革命的同志」と彼等から呼ばれている。恐らく、今回の事件も、山本の背後にいる人物や団体が仕組んだのだろう。
山本は、園遊会の五日後、参議院内閣委員会で「脱原発」について初の質疑をすることが決まっていた。その前宣伝として、山本は卑しい打算から、足尾銅山の鉱毒事件で奮闘した明治時代の政治家「田中正造」を気取りでもしたのか、議員の立場を利用して今回の事件を起こした。天皇陛下を政治プロパガンダの手段にしようとは、まことに不埒千万である。
山本は会見で、陛下の御心を痛めたことを猛省していると語ったが、内閣委員会の質疑では、この事件に関する「猛省」の弁は一言もなかった。一方、内閣委員会の委員たちの誰一人として、山本に対する議員辞職(除名)を求めることなく、批判や詰問さえもなかった。マスコミのカメラが押しかけ、山本とそのグループの脱原発プロパガンダはまんまと成功した。
山本太郎の行為は、単に政治家として政治的道義的責任が問われるだけではない。「日本」に対する日本人としての歴史的責任をも、問われるべきである。同時に、山本太郎という不見識、不敬の男が所属する参議院自体も、その責任を問われている。
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