雑誌正論掲載論文
世はこともなし? 第102回 「手紙は手書きで」と
2013年11月25日 03:00
コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫 月刊正論12月号
涙でつづりおえたお別れの手紙…は、由紀さおりが歌った『手紙』だが、ちかごろ嬉しかったのは文化庁の「国語に関する世論調査」だ。九月二十五日付の新聞各紙が大きく報じた記事で、「はがきや手紙を手書きにする若者が増えた」というのである。
「いまどきの若者は…」というエジプト古代文字時代から繰り返されてきた老人のグチやボヤキを一掃する快挙だった。
その調査によると、手紙を手書きにする人が十代と二十代の若者の七割もいた。「今後もなるべく手書きにすべきだ」と考える人は、十代~三十代の五割を超えている。嬉しいではないか。
文化庁は「メールに慣れた若者に『手紙は形式を踏まえて手書きにする特別なもの』との意識が強まったのではないか」と解説している。ナニそうではない。そんな型や形にとらわれたのではなく、活字やメール文字にはない手書き文字の筆蹟の美しさにめざめたのだ。毛筆は使わなくても、ボールペンなり万年筆なりの肉筆の味わいや温かさに気がついたのだ。
思えば、「書く」という行為は人間だけがなしうる知的作業であり、「手紙」はその大いなる場だった。情報の洪水やステレオタイプ(紋切り型)化された生活のなかで、伝達の機械化、機能化が進みすぎた時代に、失われた人間性を取り戻そうとしているのである。いや、それはちょっと大げさだが…。
絵手紙は文字どおりの手書きばかりだが、「下手でいい、下手がいい」は絵手紙作家・小池邦夫さんの教えのモットーだ。その小池さんの額がわが家の居間にかかっている。疾駆する古代中国の兵と馬の墨絵に、言葉が添えられていて、「今のまま そのままを エイと書く。考えすぎると筆がのびない 邦夫」という文字が奔放に躍っている。
手紙も時候のあいさつやしきたりの決まり文句にこだわらず、自由に、素直に書くのがいい。太宰治の恋文に、用件だけをきわめて事務的に書いたあとで、余白に片仮名で小さく「コイシイ」と書いたのがあるそうだ。
毎月二十三日は「ふみの日」だという。二十三が「ふみ」と読め、「文」に通じるところから郵便局が決めたものらしい。「郵便局というものは、港や停車場と同じように、人生の遠い旅情を思わすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ」、これは萩原朔太郎の言葉だった。
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