雑誌正論掲載論文

[総力特集 『はだしのゲン』許すまじ!]松江市教委はなぜ迷走したのか―そして子供たちが犠牲になる

2013年10月05日 03:00

ジャーナリスト・三品純 月刊正論11月号

 正真正銘のタブーを踏んだ。そんな思いである。8月中にメディアで大騒動になった松江市教育委員会の『はだしのゲン』閲覧制限問題。本作では怖い官憲や憲兵、軍国婦人が描かれるが、現代においてはむしろ「はだゲン憲兵」というべき信者たちがいる。

 本作の内容に少しでも異を唱えようものなら、はだゲン憲兵たちは「反動だ」「右翼だ」と激怒する。少年時代、こんな経験はないだろうか? 「おどりゃー」「やめてつかあさい」とふざけて言ってみる。姓に森がつく子には「クソ森」とあだ名を付ける。すると「不謹慎だ 」と激怒する教師や優等生はいなかっただろうか。8月の騒動はまさにはだゲン憲兵たちの逆鱗に触れた格好だった。そしてメディアが好む「表現の自由」「反戦報道」とも相まってまるで「はだしのゲン月間」となってしまった。

ステルスマーケティング

 閲覧制限に至る事実関係を整理しよう。昨年8月24日、松江市内の小中学校から作品の撤去を求める市民の陳情があった。12月に市議会は陳情を不採択とするも、市教委が市内の小中学校に閉架を要請。そして今年8月26日に閲覧制限の見直しを撤回した。正確には「撤回」とは異なるが便宜上、ここでは撤回としておく。

「はだしのゲンが閲覧制限?」─。第一報は地元『山陰中央新報』(8月16日付)に「松江の全小中校『閉架』に」などの見出しで掲載された記事だった。これを毎日新聞、共同通信などが全国に広め、TVニュース、ワイドショーなども大々的に取り上げた。

 当初この報を耳にした時、あまりに出来すぎたニュースだと不審に思った。というのは、ゲン騒動が大々的に報じられたのは終戦記念日の翌日だからだ。「終戦記念日とはだしのゲン」。あまりに話が出来すぎてはいないか。

 ご承知の通り、8月は新聞、テレビも戦争特集を組み、はだしのゲンが取り上げられることもある。おそらく同世代の方には同様の経験があるだろうが、子供会の類いで本作の映画、アニメ版が上映されることもあった。つまり8月は反戦月間でもあり、はだゲン月間でもある。閉架騒動の結果、案の定だが新聞の一面下には、はだしのゲンの書籍広告が多数掲載された。今も公立図書館では貸出中が続いている。

 そこで調べてみると案の定、メディアによるはだゲン・キャンペーンの疑いが強いのだ。松江市内の教育関係者はこう話す。

「山陰中央新報はすでに昨年12月の段階で閲覧制限を把握していました。その頃から市役所に取材をしていたから知らないはずがない。しかも4月には記事になっていたと聞いています。彼らが〝子供のため〟というならばなぜいち早く記事を掲載しなかったのか疑問です」

 なにしろ漫画界の聖域である本作のことだ。制限がかかるだけでもニュースバリューは十分だろう。それをあえて8月15日周辺にもってくるのは〝キャンペーン〟にしたかったからに他ならない。そこで同紙に掲載時期の意図について問うた。

「取材の過程については一切お答えできない」(『山陰中央新報』担当者)。

 この紋切り型の返答に、露骨なステルスマーケティングではないかとの疑いを強くした。現に一連の報道の結果、各自治体の図書館は貸出中が相次ぐ。はだしのゲンシリーズでお馴染みの汐文社・政門一芳社長によると「売り上げは微増といったところです。学校から注文があるとしたら夏休みあけの今からでしょう」と言うが電子版等は売り上げ増との報もある他、新聞の一面広告には本書の広告が頻繁に掲載されていた。これも反響の証しだろう。いずれにしてもキャンペーンはものの見事に成功した格好だ。松江市の対応はまさに渡りに船でまんまとメディアの罠にはまった。

読まれ読まれ方のおかしさ

 一方、閲覧制限の陳情者である中島康治氏は一連の報道を受けてこう語る。

「平和教育を否定したわけでもないし、はだしのゲンを県や自治体の図書館からすべて排除せよと言ったわけでもありません。しかし、報道ではあたかもはだしのゲンの焚書を求めたかのように伝えられたのが残念です。しかも、歴史問題など内容について提起したのに表現の自由に話がすり替わってしまいました」

 そして中島氏は本作の内容について疑問を投げかける。

「はだしのゲンが学校に置かれるのは不適切だと私が感じたのは①天皇の侮辱②君が代斉唱の否定③史実歪曲の三光作戦など歴史問題や過激な描写─です。作品の中ではアジアで3000万人を殺したなどまるで根拠のない話が出てきます。これを史実として教えていいのでしょうか」

 同時に中島氏が強調したのは「読まれ方のおかしさ」である。

「陳情で教育関係者の人やはだしのゲンの信奉者に話を聞くと〝はだしのゲンで子供たちに戦争の歴史を伝えるべきだ〟と言います。そこで〝三光作戦〟や〝三千万人の虐殺〟は史実なのか?と問うと〝細かな歴史問題が重要ではなく、反戦を貫くことが大事だ〟とこんなこと言います。しかしおかしいじゃないですか? はだしのゲンは「歴史だ」と言いつつ、事実関係を確認すると部分的な描写は問題ではないと言う。こういう読み方が果たして子供に必要でしょうか。それにもとただせば本書は日教組の機関紙に掲載されたものです。特定の団体の漫画が学校に置かれて、あたかも史実として使われるのは納得できません」

 はだしのゲンに一石を投じた中島氏の陳情だが、今後、どういう議論が展開されるのか目が離せないところだ。惜しむらくは中島氏が強調した「歴史問題」などは黙殺された格好だ。

続きは正論11月号でお読みください。

■ 三品純氏 昭和48(1973)年、岐阜県生まれ。法政大学法学部卒業。出版社勤務などを経てフリーライターに。「平和・人権・環境」運動に潜む利権構造や売国性に焦点をあてて取材を続ける。著書は『民主党「裏」マニフェストの正体』(彩図社)。