雑誌正論掲載論文

世はこともなし? 第98回 子供も〝裸〟だった

2013年07月25日 03:00

コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫 月刊正論8月号

〝本当の話〟がかえって真実をゆがめ、平穏な世間をかきまわし、ひいては国益を損ねてしまうということがある。そうだからこの世は難しいし、また面白い。人生は単眼の一筋縄ではくくれない。例の橋下発言はその典型だろう。

 ちかごろ何がうんざりさせたといって、あの慰安婦問題ぐらいうんざりさせたことはなかった。やりきれないというか、いまいましいというか。梅雨時の不快指数をさらにはね上げた。辟易したのは橋下大阪市長の発言、というよりむしろその反響や波紋の及ぼした後遺症に対してである。

 まず橋下発言についていえば、〝飛んで火に入る夏の虫〟。公人の言動がどんな国際的影響を与え、いかに外交問題化するかに思い至らず、自戒がない。浅慮というほかなかった。大体、ぶら下がりや囲み取材で、その場当たりをべらべらしゃべってはいけない。この政治家には何よりも国家観や歴史観が欠如している。

 だがそれにしてもこの反響や波紋の過剰さはどうだ。とくに朝日新聞のはしゃぎようは異様そのものだった。むりもないよ。週刊朝日の「ハシシタ出自」報道で土下座したばかりだから、リベンジに雀(こ)躍りした。嬉しくてたまらなかったのだろう。はしゃぐといえば、この新聞は東証急落でもアベノミクスの崩壊だとはしゃいでいる。

 大騒ぎした国内メディアのなかで、唯一まともだったのが小林よしのり氏の週刊ポスト誌「あえて問う、従軍慰安婦は必要だった」である。

「橋下徹は、まるで『王様は裸だ』と叫んでしまった子供のようである。どんな反応が起きるのかまったく考えず、愚直に〝本当の話〟をし始めている」

 全くその通りだ。何の準備も戦略的な下ごしらえもせず、いきなり〝本当の話〟をした。本当の話をしたばっかりに上を下への騒動になった。

 王様は裸だったが、そう叫んだ橋下徹氏も素っ裸で、パンツもはいてなかった。

 小林氏はこう述懐している。「10年以上前の慰安婦論争のときに、わしがどんな目に遭ったか知らないようだ」と。そうなのである。忘れもしない。当時産経抄を書いていた私もその当事者の一人で、世間の女性たちからさんざ白い眼で見られた。

 三浦半島の突端の町・横須賀で敗戦を迎えたとき、少年Hは中学一年だった。米海兵隊が横須賀へ上陸してきたのは八月二十日だが、その日から横須賀はヨコスカへ変貌した。特殊慰安施設協会(RAA)の肝入りで一夜にして「安浦ハウス」という名の慰安婦施設が生まれたのである。

『横須賀警察署史』などによると、米兵上陸直後から三百五十八人の接客婦が米兵相手の・慰安活動・を開始した。料金は「一回ニツキ十円、平座敷一時間二十円」と記述されている。

 おく手だった少年Hには、そこは〝禁断の館〟であり、〝妖(あや)しの家〟であって、何が行われているか定かにわからなかった。一葉の写真のコピーを見たことがある。二階建ての寄宿舎のような木造の建物が「コ」の字形にあり、その前の広場に数十人の米兵が詰めかけていた。白い水兵帽をかむった若者たちで、入り口の看板には「WELCOME YASUURA HOUSE 安浦ハウス」と英語と日本語で書かれてあった。

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■ コラムニスト・元産經新聞論説委員 石井英夫 昭和8年(1933)神奈川県生まれ。30年早稲田大学政経学部卒、産経新聞社入社。44年から「産経抄」を担当、平成16年12月まで書き続ける。日本記者クラブ賞、菊池寛賞受賞。主著に『コラムばか一代』『日本人の忘れもの』(産経新聞社)、『産経抄それから三年』(文藝春秋)など。