雑誌正論掲載論文

誰もが感じている次のロシア動乱

2023年08月01日 03:00

産経新聞外信部次長兼論説委員 遠藤良介月刊「正論」9月号

ロシアの民間軍事会社「ワグネル」による六月下旬の武装反乱が世界に衝撃を与えた。ロシアがクーデター、内戦の瀬戸際までいった危機的状況だった。今回の武装反乱は約二十四時間で収束したものの、プーチン露政権の脆さが白日のもとにさらされた。ウクライナ侵略戦争の帰趨によって今後、こうした反乱が繰り返される可能性は大いにあり、ロシアは動乱の時代に入ったと認識する必要がある。

プリゴジン蜂起が示すもの

まず、今回の武装反乱を簡単に時系列で振り返ろう。

ワグネルのトップ、プリゴジン氏が狼煙を上げたのは六月二十三日夜(現地時間、以下同)。ワグネルの部隊が露正規軍の攻撃を受けたというのが直接の口実だった。プリゴジン氏は、ワグネルがウクライナ東部の戦線を離脱し、二万五千人で「正義の行進」を行うと宣言した。

二十四日未明には、越境してロシア南部ロストフ州に入り、州都ロストフ・ナ・ドヌーの南部軍管区司令部を易々と掌握した。南部軍管区司令部というのは、ウクライナ侵略戦争の前線統括拠点といってもいい。そこが何の抵抗もなくワグネルに占拠された。

プリゴジン氏はさらにモスクワへワグネル部隊を進軍させると表明し、途中の飛行場や軍施設を掌握してしまった。二十四日夜、プリゴジン氏は「部隊を撤収させる」として反乱は収束したが、この時点でワグネル部隊はモスクワまでわずか二百キロの所まで進んでいた。

プリゴジン氏は最終的に、反乱が十分な同調を得られず、目的を達せられないと判断したのだろう。それでも、一日で約千キロも進軍できたのは驚きである。

この間、プーチン大統領はどう動いたか。

ワグネル部隊がモスクワに向かい始めた後の二十四日午前十時、国民向けに緊急のテレビ演説をした。こうした緊急演説自体が異例のことだが、プーチン氏は黒のスーツに黒のネクタイといういで立ちで、ときに鬼のような形相を見せて演説した。

プーチン氏はこの中で、ワグネルの反乱は「背中から刺す行為」であり、「裏切り」だと厳しく指弾。反乱に加担する者は「必ず罰する」と力説した。プーチン氏はまた、軍や情報・特務機関には「断固たる措置」をとるように命じた。

プリゴジン氏が矛を収め、撤収を発表したのは演説から約十時間半が経った頃である。

ペスコフ大統領報道官の説明によれば、ベラルーシの独裁者、ルカシェンコ大統領が仲介し、「手打ち」が成立したという。反乱の参加者は、ウクライナ戦線での功績を考慮して責任を問わない。反乱に参加しなかったワグネル戦闘員は、国防省の契約兵となることができる。プリゴジン氏はベラルーシへと出国する|という内容だった。

プーチン氏が沈黙を破り、再び国民向け演説をしたのは、反乱収束から丸二日後の二十六日午後十時すぎだった。国民の「支持、団結、愛国心」に感謝するとし、「いかなる恫喝や内乱の試みも失敗を運命づけられていることが証明された」と述べた。社会の「団結」「結束」こそが勝利したのだと誇った。
 今回の武装反乱はむろん、プーチン政権に対する蜂起にほかならない。ただ、プリゴジン氏の目的は、ショイグ国防相とゲラシモフ参謀総長を更迭に追い込むことだった。プリゴジン氏自身が言うように、プーチン体制を転覆させる意図はなかっただろう。

「プーチンのコック」

まずミクロの視点でこの反乱を解釈すると、これはプリゴジン氏の「承認欲求」が引き起こした行動だった。

彼は十年近く、ワグネルやネット情報攪乱の「トロール(荒らし)工場」などを使い、プーチン政権のハイブリッド戦争を担ってきた。いわばプーチン政権の「汚れ仕事」を一手に担ったわけだが、表舞台で日の目を見ることはなかった。

ところが、ウクライナ侵略戦争では国防省がヘマばかり続け、戦果は非常に乏しい。そこでワグネルを投入して同国東部の要衝バフムトを制圧し、自分の方がよほど有能だと誇示した。彼の金銭欲はすでに十分に満たされていたはずだが、閣僚や知事など公的なポストが欲しかったのだろう。

この過程でプリゴジン氏と国防省の対立は激化した。プリゴジン氏はとりわけ今年二月以降、「弾薬を回さない」などと国防省を猛烈に非難し、ショイグ氏らを公然と動画声明で罵倒した。ショイグ氏はプーチン氏の了承を得てウクライナのワグネル戦闘員を国防省傘下に収めようとし、これが今回の反乱の引き金になった。

プリゴジン氏は、プーチン氏と同じくレニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。二十代の九年間を強盗罪などによる服役で過ごし、ソ連末期の一九九〇年にホットドッグのチェーン店を開業して大当たりさせた。

その後、サンクトペテルブルクで開いた高級レストランはエリート層の御用達となり、プーチン氏の首脳外交でも使われた。政府関係のケータリングや学校給食なども次々と受注して財を築いたことから「プーチンのコック」の異名をとる。プーチン氏の「サンクトペテルブルク人脈」の一角を成す。

二〇一三~一四年ごろには、政権の「汚れ仕事」にも手を染めていった。プリゴジン氏はネット上の情報操作を目的とする「インターネット・リサーチ・エージェンシー」(IRA)を設立。IRAは一六年の米大統領選で、共和党のトランプ候補(当時)が有利となるようサイバー工作を仕掛けたことで知られる。

ワグネルは一四年、国防省参謀本部情報総局(GRU)の支援で秘密裡に設立された。当初は一四年からのウクライナ東部紛争に、次いでシリア内戦やアフリカ諸国に雇い兵を送り込んだ。ワグネルは、露軍が表立って活動できない場所で、政権の意を受けた「別動隊」として暗躍した。

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