雑誌正論掲載論文

理想を胸に抱いた現実主義者に続け

2023年08月01日 03:00

安倍晋三元首相が日本から、世界からいなくなって丸一年が過ぎたが、喪失感はまだまだ大きい。あれだけ大きな存在を突然失ったのだから当然だが、いまだに安倍氏の名前を何かで見たり、聞いたりしない日はない。

一周忌に当たる七月八日には、暗殺された現場である奈良市の近鉄大和西大寺駅前と、そこから東へ約五キロの三笠霊苑に建立された慰霊碑「留魂碑」を訪ね、献花をした。どちらも、途切れることのない人の列は静かで、安倍氏を心から悼む真情が表れていた。

間違いなく歴史に残る大事件の痕跡も、憲政史上最長の政権を築いた大宰相の生涯を示すものも何もない事件現場では無常感も覚えた。ただ、それでも人々の胸に刻まれた安倍氏の思い出はずっと消えることはないと実感した。

日本も世界も、安倍氏の生前と死後とでは一見、全くありようが変わったように思える。だが、安倍氏が何をやり遂げ、またやろうとしたか、安倍氏の言動が人々の記憶にある間は何とかなる。そんな淡い希望を抱いた。

この日は奈良市に行ったため、東京・芝公園の増上寺で営まれた一周忌法要や都内で開かれた安倍氏の功績をしのぶ会合への出席はかなわなかったが、各種報道やSNSでその様子の一端は知ることができた。

その中でも特に、昭恵夫人が都内の会合であいさつした際の次の言葉には胸を打たれた。

「皆様方、主人がいなくなって悲しいという思いは持たれていると思います。私も本当に悲しいですけども、怒りの感情、恨みの感情を持つのではなく、どうか主人が亡くなったことで奮起をしていただき、この日本の国のために力を合わせていただくことが主人に対する供養だと思いますし、語り継いでいただければと思います」

昭恵さんは「怒り」や「恨み」の感情ではなく「奮起を」と呼びかけていた。

安倍氏の死後、やり場のない憤りや不満を政府や政治家にぶつけたり、社会現象や著名人を批判することで紛らそうとしたりする傾向は強い。私自身もそのきらいは否めないが、そればかりではいけないと反省させられた。

現状に腕をこまぬき、ただ文句を垂れているという姿勢は、政治家、安倍氏のあり方とは無縁である。安倍氏は目標に向かって粘り強く、匍匐前進も厭わず、とにかく前に進もうとする人だった。常に物事を前向きにとらえ、明るくユーモアを持って乗り越えていった安倍氏に、私たちは学ばなければならない。

日本のために必要なこと

翌七月九日の読売新聞朝刊を読むと、岸田文雄首相が八日、安倍氏をしのぶ食事会でこう述べたと紹介されていた。

「私が今、首相として政権運営にあたれているのも、内政、外交で安倍氏が築かれた基盤があってこそです」

それが分かっているなら、もう少し抜かりなく毅然としていてほしいとも思うが、ここではそれ以上は触れない。ただ、岸田首相には外交・安全保障から憲法改正、拉致問題解決まで安倍氏が長い歳月をかけて敷いたレールの上をしっかり走ってもらいたい。

安倍氏の「遺志を継ぐ」と何度も言っているのだから、そこは是が非でも曲げないでほしい。

また、高市早苗経済安全保障担当相がこの日の会合で、こう述べたのも印象的だった。

→続きは、正論9月号でお読みください。

あびる・るい 産経新聞論説委員・政治部編集委員。昭和四十一年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、産経新聞入社。政治部で首相官邸キャップなど歴任。