雑誌正論掲載論文

脱デフレのチャンスに「労働市場改革」の道草

2023年06月30日 00:00

産経新聞特別記者 田村秀男月刊「正論」8月号

 米国は銀行不安、中国は住宅バブル崩壊不況など不穏な世界経済情勢のもと、日本は四半世紀以上も続いてきたデフレから抜け出すチャンスを迎えている。異次元金融緩和を柱とするアベノミクスの遺産のおかげだ。それを生かして安定成長軌道に乗せる鍵は財政出動にあるのだが、岸田文雄政権は財政から目を逸らし、民間次第の労働市場改革など新しい資本主義に執着している。首相は母校の早稲田大学講演で自身について「道草、回り道の連続だった」と語ったが、国家にとって道草は無用である。

 岸田首相はこれまでのところという前提付きだが、経済に関してはツキまくっている。経済政策では、実際には実体経済を押し上げる具体的な政策を実行したわけではない。強いて言えば、岸田政権が何もしないことが景気回復基調を邪魔せずに済んでいる。あとで詳述するように、六月十六日閣議決定の「経済財政運営と改革の基本方針 2023 加速する新しい資本主義 ~未来への投資の拡大と構造的賃上げの実現~」などで「新しい資本主義」や「次元の異なる少子化対策」の題目を盛んに唱導しているが、しょせんはホッチキスで止めた官僚の作文集の域を出ない。

 現下の景気回復は二〇一二年十二月に始まったアベノミクスの遺産による。グラフ1は六月十三日発表の財務省による法人企業景気予測調査の四半期ごとの設備投資判断(BSI)と円の対ドル相場を対比させている。BSIは設備の不足の判断割合から過剰判断割合を差し引いた%ポイントで表わし、プラスは設備投資に前向きな企業の多さを示す。見れば一目瞭然、二一年からの円安トレンドと共に設備投資の意欲が回復してきた。アベノミクスは日銀の異次元金融緩和政策と機動的な財政出動を主柱とし大半は異次元緩和で終始してきた。安倍晋三元首相は二〇年九月に退陣したが、その後も異次元緩和政策は継続し、ことし四月に就任した植田和男日銀総裁も黒田東彦前総裁の路線を継承している。

 財政に関し、安倍政権時代に拡張型をとったのはアベノミクス当初だけで、あとは緊縮型で一四年四月、一九年九月と二度にわたって消費税率を引き上げた。しかし、安倍氏は新型コロナウイルス・パンデミックが起きた二〇年三月以降、所得制限なしで国民一人当たり十万円の一律給付、中小・零細企業向けの給付や補助で大規模な財政出動に踏み切り、日銀の大規模緩和と連動させた。この結果、家計収入への打撃や飲食、宿泊業など中小零細企業の雇用減は最小限に抑えられた。新型コロナが収束に向かうにつれて人の足が動き出すようになり、家計消費が急速に回復するようになった。税収もめざましい増加ぶりで、図らずも財政出動の効果が実体経済のみならず財政収入の面でも発揮されている、といったところが今の状況だ。

 だが、アベノミクスが最大の目標として掲げた「脱デフレ」のほうは達成に至らなかった。金融緩和一本で、新型コロナ発生までの大半の期間は緊縮財政で通したからで、安倍氏も首相退陣後は一回目の税率三%という大幅な消費税増税に踏み切ったことや、財務省が仕掛ける基礎的財政収支(PB、国債費を除く財政支出と税及び税外収入のバランス)の二〇二五年度黒字化に縛られたことを強く反省している。緊縮財政とは一口で言うと、民間から吸い上げた税を一〇〇%民間に返さず、国債の償還に回す政策のことである。国内需要が強く、賃金所得も伸びている正常な経済ならいざ知らず、需要が萎縮し、企業の売り上げが低迷して賃金が上昇しないデフレ圧力が根強い中で、政府が増税、歳出削減、社会保険料引き上げを行えば、デフレから脱出できない。

 グラフ2は二〇二二年度の一般会計の税収見込みと名目国内総生産(GDP)について、デフレ開始直前の一九九六年度、さらにアベノミクスが始まった二〇一二年度と比べている。緊縮財政が民間需要を奪った結果、実体経済がどうなったかを端的に示す。まず前者では二十六年間のGDPは二十三兆円余りしか伸びていない。それに対し、税収は二十兆円余り増である。一二年度比ではGDPは六・二五兆円増にとどまるが、税収は二十八・五兆円増える情勢である。税収増は財務省にとってみれば慶賀すべきだろうが、その分だけ民間の需要が前年度よりも奪われることになる。それを防ぐためには、少なくとも政府は税収増加分を景気対策として民間に還元すべきなのだが、アベノミクスの大半の期間ではそうならなかった。

 米国のノーベル経済学賞受賞学者サミュエルソンは経済学について「需要と供給の関係さえわかれば、オウムでもわかる」と喝破したが、日本政府は四半世紀以上もの大半の期間、わざわざ民間から需要を奪い続けてきた。デフレからの脱出に失敗した最大の理由は需要を萎縮させる緊縮財政にある。それを確信した安倍元首相は退陣後、自民党の積極財政派の先頭に立って岸田政権と対峙し始めたが、無念にも凶弾に斃れた。

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たむら・ひでお 昭和二十一年生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、日本経済新聞社に入社。ワシントン特派員、香港支局長などを歴任し退社。産経新聞社へ入社、編集委員と論説委員を兼務。