雑誌正論掲載論文

選挙における警護警備のあり方をどうするか <月刊「正論」令和4年11月号掲載>

2023年04月15日 19:02

公益財団法人公共政策調査会研究センター長 板橋 功

 第二十六回参議院議員選挙期間中の令和四年七月八日に、遊説先の奈良で凶弾に倒れた安倍晋三元内閣総理大臣に対し、心より哀悼の意を表します。

 この事件を受けて、警察庁では検証・見直しチームを設置し、国家公安委員会での議論を踏まえながら検証・見直し作業を行い、同年八月二十五日に「令和四年七月八日に奈良市内において実施された安倍元内閣総理大臣に係る警護についての検証及び警護の見直しに関する報告書」を発表した。本報告書においては、当日の事件に至る状況や警護員の動きなどについて詳細に調査し、分かりやすく整理されており、検証報告書としては評価できるものであろう。

 しかしながら、この検証及び警護の見直しに関する報告書では、今回の事件における最も重要な問題が抜けているように思う。そこで、筆者が考えるいくつかの視点で今回の事件の警護警備について考察を行いたいと思う。

選挙応援中の事件

 そもそも、この事件は選挙の遊説活動において発生したものであることを認識しておかなければならない。選挙における警備の難しさ、すなわち、選挙においては候補者や応援者が有権者の中に入り、距離感を縮めたり、握手などする故に警備が難しい、と指摘する専門家や識者などは多いが、今回の事件の本質は単にそのような問題ではない。たとえ警護警備といえども、選挙に介入するわけであり、過度な警護警備は民主主義の根幹である選挙の自由や公正性を歪める可能性を内包している。それゆえに、今回の事件の最大の課題は選挙における警備の在り方をどうするかという問題である。

 また、事件発生当初から、「なぜ後方の道路を通行止めにしなかったのか」との専門家や識者の指摘が多くのメディアなどでなされた。著者自身、当初、演説場所の後方に車両が通行している点には違和感を持ったが、この問題については、二つの視点から考える必要がある。

 一点目は、法的な問題である。遊説場所の後方の道路を通行止めにするための法的な根拠は何か。法律に詳しい何人かの専門家にも聞いたが、明確な法的な根拠は無いとのことである。道路交通法第六条(警察官等の交通規制)を適用して行い得るのか、難しいところであろう。

 二点目は、政治的な問題である。この遊説場所の後方の通りは、駅前の通りで重要な生活道路である。この道路を遊説のために通行禁止にした場合、多くの市民から不満が出る可能性がある。すなわち選挙活動中であり、有権者の不評を買い、候補者に不利な結果を招く可能性がある。すなわち、選挙の自由や公正を歪めてしまう可能性があるわけである。

 また、「なぜ後方に街頭宣伝車等を止めなかったのか」との指摘もあった。

 都道府県で定めている道路交通法施行細則等で、公職選挙法に基づく選挙運動用又は政治活動用の自動車で、その目的で使用中のものについては、選挙期間中に車両通行禁止や駐車禁止の規制対象から除外される。奈良県道路交通法施行細則においてもそのような規定がなされている。また「警護列自動車」についても同様に、同施行細則において交通規制の対象から除く車両に指定されている。

 ただ、道路交通法四条において「交差点及びその側端から五m以内の部分」や「横断歩道(自転車横断帯)及びその前後の側端から五m以内の部分」、「バス停の標示柱の位置から十m以内の部分(運行時間中に限る)」などは駐車できないとされており、今回の街頭演説場所は、いずれにしても街頭宣伝車の駐車が出来ない場所である。遊説場所の選定に大きな問題があり、遊説場所には向いているが、警備には向いていない典型的な場所であったと言わざるを得ない。

 ちなみに、選挙期間中以外で公道上に街頭宣伝車を停車するためには、道路交通法第七十七条第一項の道路使用許可を得る必要があるとされる。それどころか、警察庁では、道路において街頭演説を行う場合には、道路使用許可が必要との見解を示している。

 令和二年十一月十日付の「参議院議員熊谷裕人君提出政治活動の自由と道路使用許可に関する質問に対する答弁書」によれば、「道路交通法(昭和三十五年法律第一〇五号)第七十七条第一項においては、同項各号のいずれかに該当する者は、それぞれ当該各号に掲げる行為について当該行為に係る場所を管轄する警察署長の許可(以下『道路使用許可』という)を受けなければならない旨が規定されている。

 警察庁においては、御指摘の街頭演説を含め、道路において演説その他の方法により人寄せをすることは、一般に、これによって道路に人が集まり、その結果一般交通に危険を生じさせるなどして、同項第四号に規定する『道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼす』ことがあり得るものと認識しているところであり、道路において演説その他の方法により人寄せをする者は、一般に、同号に掲げる者に当たり得るものと考えている」としており、街頭演説そのものに道路使用許可が必要としている。

一変した岸田遊説

 事件の翌日の九日、岸田文雄内閣総理大臣は、山梨県富士吉田市と新潟市で遊説を行った。

 山梨県の演説会場は約二メートル毎に制服の警察官が配置され=写真、入り口では金属探知機と目視による手荷物検査が行われた。また新潟の演説場所でも制服の警察官が大量動員され、演説の街頭宣伝車の背後のアーケード上にも制服の警察官が配置された。

 このような警備が行われている場所に、一般の有権者は足を向けるであろうか。これが選挙の警備として正常な形であろうか。通常の選挙において、このような警察官だらけの演説場所に一般の有権者はおそらくは行かないであろう。すなわち、選挙における過剰な警備は、民主主義の根幹たる選挙の自由や公正性を歪める可能性を内包しているわけである。

現職並みは非現実的

 事件後、なぜ現職総理大臣並みの警護警備を行わなかったのか、という意見も目立った。有識者や専門家でもそうした指摘が多数見られたが、冷静に良く考えて欲しい。前職や元職と、現職の内閣総理大臣とでは、国の公安への影響は明らかに異なる。警護警備の規模や内容が異なるのは当然である。民主主義国家において、元職に現職並みの警護警備を行う国があるであろうか。

 もちろん具体的に脅迫状の送付や確度の高い攻撃情報がある場合はその限りではない。だが警護警備の規模は小さくなるのが通例である。また、前・元内閣総理大臣であっても、自身の選挙では一候補者に過ぎず、これらの選挙における警備の問題は、選挙の自由や公正に直接的に係わってくる問題であることから、こうした選挙における警護警備の在り方も考えておく必要がある。

 仮に、前職や元職に対する警護警備を強化するとなると、存命の内閣総理大臣経験者は計十人(旧日本新党一人、旧社会党一人、自由民主党五人、旧民主党三人)である。もし一律に現職並みの警護警備を行うとなると、相当の人員や予算が必要となることから、国民的な理解が不可欠である。本当に前職や元職の警護警備を強化すべきなのか、しっかりと議論をするべきである。

 ちなみに、米国大統領の場合は、その家族を含めて終身で警護を行うことが合衆国法典で定められている(米国法典第十八編三〇五六条米国シークレットサービスの権限及び職務、責任)。一九九四年にはコスト削減のため退任後十年に制限する法案を可決したが、オバマ政権下の二〇一二年に終身とする法律を可決している。当然、現職大統領と異なり、警護の規模はかなり縮小される。それでも、CBSによれば、元大統領一人につき年間数千万ドルの費用がかかるとしている(二〇一三年一月十二日、CBSニュース)。

 米国大統領は国家元首であり、その経験者は元国家元首となるからであろう。もちろん、これらの警護は対象者の意思で辞退することができる。

 また興味深いことに、米国においては正副大統領候補とその配偶者は、大統領選挙投票日まで百二十日を切って以降は、現職正副大統領と同様にシークレットサービスの警護が行われることになる。

 これらの筆者の指摘は、今回の警護警備を正当化するものでも、免罪符を与えるものでも無い。すでに警察庁は警護警備の不備を認めている。警護対象者の生命が失われているのは事実であり、それは非常に重い。しかしこの事件の貴重な教訓を生かすためには、冷静かつ客観的にこの事件の本質を考える必要がある。

選挙とは異なる国際行事

 警察庁は今回の事件を受けて、三十年ぶりに警護要則を見直し、また「治安の根幹を揺るがす要人警護の失態で失われた警察組織への信頼回復へ『一から出直す』」との考えを示した。しかしながら、今回の事件の「選挙における警護警備」と多数の外国要人などが参加するサミットや国家の重要行事などの「国際的・国家的行事の警護警備」とを混同しては見誤ると筆者は考える。

 同じ警護警備でも本質的に異なるということである。「選挙の警護警備」では、対象者の安全と共に、選挙の自由や公正性が重要であり、このバランスが極めて重要である。一方「国際的・国家的行事の警護警備」は、何よりも要人の安全が最優先され、そして行事の円滑な運営が重視される。

 国際的、国家的な行事の警備については、これまでも警察庁が関与してきた。二〇一九年は、天皇陛下のご退位やご即位に関連する行事、大阪でのG20サミット、ラグビーワールドカップ、東京二〇二〇大会(オリンピック、パラリンピック)の一年前の諸行事など、国際的、国家的なイベントが目白押しの年であった。

 当時は、欧州などで多くの人が集まる、比較的警備の緩いソフトターゲットを狙ったローンウルフなどによるテロが続発しており、オリンピックを控えて日本のプレゼンスも上昇し、さらにIS(イスラム国)がオンライン機関誌などで日本をターゲットとして名指ししていたことから、これらの行事の警備については筆者自身もかなり危機感を持ち、心配していた。しかし、いずれも何事もなく、無事に終えることができた。また一年延期されて二〇二一年に開催された東京二〇二〇大会も何事もなく、無事に終えている。

 このような国際的・国家的行事の警護警備は、多くの過去の蓄積の上に成り立っており、さらに開催場所やその時々の情勢に応じて工夫がなされてきている。

 二〇〇五年七月の英国グレンイーグルスサミットの際には会場から約六百キロ離れた首都、ロンドンで同時多発テロが発生したことから、二〇〇一年の9・11事件やこのロンドンのテロ事件後、日本で初めて開催された二〇〇八年七月の北海道・洞爺湖サミットでは、会場周辺及び首都東京の警戒警備を行う「二正面作戦」がとられた。

 世界各地でソフトターゲットがテロリストに狙われる時代になると、二〇一六年五月の伊勢志摩サミットや二〇一九年六月のG20大阪サミットなどでは、会場周辺や首都東京はもとより、主要都市や鉄道、空港、大規模収穫施設、重要インフラなどを含めて警戒を行う「多正面作戦」(警察庁は「三正面警備」としている)がとられている。

 またドローン対策として無人航空機対処部隊(IDT)を設置して経空テロに備えたり、東京二〇二〇に向けて臨海部初動対応部隊(WRT)を新設して海上警備を強化するなど対策強化を行ってきている。

 来年五月にはG7広島サミット、また二〇二五年には関西大阪万博と、今後も我が国において国家的、国際的な行事が開催される予定である。今回の事件による警護警備の見直しで、これまでの成功要因や教訓などが歪められ、萎縮を招くなどして、警備の穴が出来てしまうことが心配である。遺漏無く警備活動を実施して頂きたいと考える。

 ちなみに米国では、サミットなどの重要な国際会議(過去にG7サミットや核セキュリティサミット、NATOサミットなどが指定)や大統領就任式、一般教書演説、民主党大会や共和党大会などテロや犯罪の標的となるような潜在的な脅威のある国家的、あるいは国際的な重要イベントは「特別な国家的セキュリティ行事(NSSE:National Special Security Event)」として、対応する制度が設けられている。

 これは、大統領決定指令第六二号(PDD62)を根拠とし、大統領の指示により、国土安全保障省(DHS)が指定し、傘下のシークレット・サービス(SS)が中心となり当該イベントのセキュリティに関する計画から調整、そしてオペレーションを行うことが規定されており、また米国法典第十八編三〇五六条においてもシークレットサービスの権限として明記されている。

 国の法執行機関であるシークレットサービスが、NSSEの警備の企画立案、FBIや沿岸警備隊、ローカルの警察などの関係機関との調整、脅威の評価などを中心的に行うことになる。

 今回の事件を受けて国家公安委員会規則である警護要則を見直し、警察庁が情報収集・分析とその結果の都道府県警察へのフィードバックや警護計画に関与するようになったことは、一つの方向性として評価できるが、細かな地理的な問題やその地域特有の情勢などもあることから、警察庁と都道府県警察とのコミュニケーションがより重要になるであろう。

最近の治安情勢と警備

 今回の事件もそうだが、日本でも一人で犯罪を計画して実行する、いわゆる「ローンウルフ型犯罪」が多発している。主な事件をみると、西武線爆破未遂事件(二〇〇七年五月〜六月)や秋葉原無差別殺傷事件(〇八年六月八日)、皇居飛翔弾事件(〇八年九月十八日)、官邸ドローン事件(一五年四月二十二日)、東海道新幹線内自殺未遂事件(一五年六月三十日)、宇都宮連続爆発・殺人未遂事件(一六年十月二十三日)、原宿竹下通り車両暴走事件(一九年一月一日)、最近でも京王線車内無差別刺傷事件(二一年十月三十一日)、大阪クリニック放火殺人事件(二一年十二月十七日)、東京メトロ東大前駅放火・東京大学前無差別刺傷事件(二二年一月七日)など続発している。テロではないが、テロに類似したローンウルフ型犯罪が多発していることがわかる。

 彼らは一人で犯罪を計画し、実行することから、当局が犯罪者を探知することや事前に犯行を察知することが非常に難しい。車やナイフ、手製の爆発物など比較的身近なものを使うことも多く、特に最近では、爆発物や銃器の製造方法などが、インターネットのSNSサイトなどで入手できたり、共有されたりして容易に製造可能になっている。

 二〇一八年に手製爆薬TATP(過酸化アセトン)を製造したとして名古屋の大学生が逮捕された事件では、SNS上で爆発物や3Dプリンターによる銃器の作り方などを共有し、手製の爆発物などを製造、所持していたとして東京の高校生も書類送検されている。

東京二〇二〇レガシー使え

 今回の警護の見直しでは、教育訓練の強化や装備資機材の強化(3D、ドローン、AIの活用等)、警護対象者等との連携強化、インターネット上の違法・有害情報対策及び爆発物原料対策も含めて非常に重要で有り、早期に実施して欲しい。

 特に、警護警備のための装備資機材については、東京二〇二〇に向けて多くの機器メーカ等が注力して技術革新を行ってきた。カメラ技術やAIを使った画像解析技術などは、まさに東京二〇二〇の警備のレガシーといっても良い。これらの技術を、今後の警備に積極的にいかして欲しいと思う。

 テロ対策や警護警備は国民の権利や自由を制限する側面があり、国民の理解と協力が不可欠である。ゆえに、国民の理解と協力を得るための努力を丁寧かつ継続的に行って頂きたいと考える。

 繰り返しになるが、今回の事件は選挙活動中に起こった事件であり、今回の事件の最大の課題は、民主主義の根幹である選挙において警護警備をいかに行うかということである。筆者は、その本質が異なるサミットなどの国家的・国際的な行事の警護警備とあまり混同するべきではないと考える。

 民主主義国家である以上、国政レベル、地方レベルでの選挙は永遠に続く。来年春には統一地方選挙も控えている。選挙の警護警備は、警備当局だけで決められる問題ではない。与野党含めた政治の側と警備の側とがしっかり議論して、早急にガイドラインを作る必要がある。選挙における警護警備については、各政党は民間の警備会社の活用も考えるべきである。これらは、警察庁の立場ではなかなか言及できない問題かも知れないが、この問題こそが、この事件の最大の課題であり、この教訓を今後に生かすためにも、しっかりと議論し、政治の側との調整を行う必要がある。これこそが国家公安委員会の役割ではないかと考える。