雑誌正論掲載論文
日韓の最悪回避も虚偽の払拭ならず
2023年04月01日 00:00
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授 西岡 力 /月刊「正論」5月号
日韓関係が急速に「改善」に向かっている。三月六日、韓国政府は戦時労働者問題に関する「解決策」を公表し、日本政府はそれを歓迎、十六日に尹錫悦大統領の訪日を受け入れた。北朝鮮が今年に入り、公然と核攻撃演習と称して各種ミサイルの発射演習を繰り返し、中国が台湾への軍事攻撃を視野に入れた軍拡を続ける中において、米国の同盟国で在韓米軍が北朝鮮への睨みをきかせて駐屯し続けている韓国と戦略的な協力関係を盤石にすることは我が国にとって必要だ。そのことを前提にした上で、私は尹政権の「解決策」と、その後の岸田文雄政権の韓国への急接近を手放しで喜ぶことが出来ずにいる。
歴史認識問題の観点から今回の「解決策」を評価すると、真の解決につながらない時間稼ぎと言える。私は「期限付き日韓関係最悪回避策」と呼んでいる。尹政権は戦時動員を強制連行・強制労働とみる韓国内に広がるウソと戦うことを避け、ウソを前提にしつつ、「解決策」を作った。尹政権が日本の外交的立場のかなりの部分を受容したので、岸田政権は、ウソが前提で長続きしない「解決策」だが、尹政権の任期中だけでも関係悪化を避けられるこの案を受け入れたのだろう。最悪を回避することが政治だ。私は現実政治の選択として岸田政権が「解決策」を受け入れた点は評価する。
一方で、日韓関係全体をみると、自衛隊機へのレーダー照射事件という残された重大懸案が棚上げになった。これは強く批判する。本稿ではこうした点を詳しく論じる。
レーダー照射問題
まず、自衛隊機へのレーダー照射事件を論じる。二〇一八年十二月、日本海で漂流中の北朝鮮の木造船を韓国の海軍イージス艦と海洋警察の大型船の二隻が救助していた。そこに海上自衛隊の哨戒機が近づいた。ところが、イージス艦が哨戒機に向けて攻撃用レーダーを照射した。自衛隊機では危険を知らせるアラームが鳴った。
日本の抗議に文在寅政権はレーダー照射がなかったと開き直り、謝罪も再発防止約束もしないという非友好的な態度をとり続けた。自衛隊幹部は、韓国に強い不信感を持っている。この状態では、日韓の安保協力は困難だ。
一体、韓国海軍は自衛隊に何を見せたくなかったのか。木造船には無線は積まれていなかった。日本の海上保安庁も自衛隊も救助信号を受信していない。なぜ、韓国海軍は木造船がそこにいることを知ったのか。木造船に乗っていた四人のうち一人はすでに死亡し、残り三人も衰弱していたはずだが、わずか二泊三日で北朝鮮に送還された。彼らに関する情報は一切公表されていない。
私が北朝鮮筋から聞いた話は衝撃的だった。二〇一八年秋から、金正恩を警護する護衛司令部で大粛清が実行されていた。同司令部の幹部が改造スマホを使って米国情報機関に金正恩の位置情報を伝えていたという事件が発覚したからだ。司令官、政治委員を含む幹部多数が処刑され、収容所送りになった。司令部傘下の東洋貿易総会社にまで粛清が広がり、逮捕を恐れた会社幹部四人が木造船を盗み、日本亡命を目指して逃走した。金正恩政権はあるルートで文政権に四人の亡命阻止と北朝鮮への送還を依頼し、韓国海軍と海洋警察がその作戦に動員された。
この話が事実なら、重大事だ。少なくとも、護衛司令部で大粛清が行われていたことは確認されている。
私は事件発生直後からずっと、日韓関係正常化には、韓国政府がレーダー照射を認め、徹底調査により真相を把握し責任の所在を明らかにして再発防止を約束することが不可欠と主張してきた。
ところが、尹政権はいまだにレーダー照射自体を否定した文政権の立場を引き継いでいる。それなのに岸田政権は事実上、事件を棚上げして日韓関係改善を急いでしまった。
韓国国防部のチョン・ハギュ報道官は尹政権が「解決策」を公表した翌日、三月七日の会見で「哨戒機に関連する案件は強制徴用問題と関係のないもの」としたうえで、「軍の立場はこれまでと変わっておらず、今後望ましい解決策を模索する必要がある」と述べた。つまり、従来の立場を堅持すると明言したのだ。
今年二月十六日に発表された尹政権初の国防白書「国防白書2022」でも事件について文政権時代と同じように、レーダー照射自体を否定し、自衛隊機が韓国駆逐艦に危険な接近飛行をしたとしてこう書いている。
「日本側は二〇一八年十二月救助活動中だった我が国艦艇に対する日本哨戒機の近接危険飛行を正常的な飛行だと主張し、我が国艦艇が追跡レーダーを照射しなかったことを数回確認したにもかかわらず、事実確認なしに一方的に照射があったと発表」(百七十四ページ)
この対応に抗議すべき浜田靖一防衛相は同じ三月七日の記者会見で韓国政府が発表した「解決策」について「日韓関係を健全な関係に戻すものだ」と評価し「日韓防衛当局間には課題があるが、北朝鮮の核・ミサイルを巡る対応など韓国との連携はますます重要」と語り、レーダー照射事件に具体的に言及することさえしなかった。
海上自衛隊のトップの酒井良海上幕僚長も三月十四日、韓国海軍との関係について、「(改善への)機は熟してきている」と述べ、「海自と韓国海軍の関係が(日米韓)三カ国の連携強化を阻害してはならない」と述べてしまった。肝心のレーダー照射事件については防衛相同様、具体的な言及を避け「過去の問題をしっかりと整理し、互いに関係修復へと歩みを進めていく」とだけ語った。
これでは操縦席で命の危険を感じながら任務遂行したパイロットをはじめ多くの自衛隊員が大きく失望しているはずだ。日韓の軍事協力の前提は信頼関係だ。それを根本的に破壊したのがレーダー照射事件だ。尹政権が非を認めない中で、岸田首相は日韓首脳会談を開くべきではなかったと考える。
求償権放棄は盛られず
次に日韓歴史問題に限定した私の意見を書く。戦時労働者問題や慰安婦問題など日韓間の歴史認識をめぐる外交紛争の解決策は、大きく分けて二つある。
→続きは月刊「正論」5月号でお読みください。