雑誌正論掲載論文
[総力特集]中国という刹鬼 尖閣のてっぺんに日の丸を掲げた元特殊部隊員の激白
2012年10月05日 19:16
見よ!これが日本の意志だ なぜ私は前人未踏の山を登り、国旗を据え付けたのか(元二等海佐・海自特別警備隊先任小隊長・伊藤 祐靖 月刊正論11月号)
極秘潜行、そして上陸
「舛谷さんって、旗屋さんだよな?」
「そうですけど」
「俺がこの世で一番大きな国旗が要るって言ってたと伝えてくれ」
「えっ、どうすんですか?」
「そのまま伝えてくれ」
「判りましたけど…」
「枡谷さんは、何も聞かないよ」
「我々が尖閣に行くことは知っていますからね」
今年8月16日、私は秋田の農業従事者、工藤氏と電話でしゃべっていた。
2日後の18日、尖閣諸島沖に向かう船に乗り込む石垣島で、国旗3枚を受け取り、それぞれに細工をした。旗の4隅に厚手の布を重ねて鳩目(靴ひもを通す小穴についている環状の金具)を打ち込んだ。これでロープさえあれば、どこにでも設置ができる。
最大で幅3メートルの国旗3枚、直径6ミリのロープ60メートル、直径3ミリのパラシュートコードというロープ50メートル、ターボライター、ビニールテープ、ナイフ3本、サランラップ10メートル、コーラ、ジップロック2枚を防水パックに入れた。重量が20キロ前後あったので、空気を少し残して浮力を確保した。
準備は終わったが、協力は誰にも頼めない。後は、「第一桜丸」が灯台沖に着く時間にもよるし、その時に周りに仲間の漁船が居ないかも大事だし、その時に保安庁がどんな形で漁船団に接触しているかも影響する。条件がそろって、頭に何かが閃いたら決行しよう。まずは体力の蓄積、温存だ。出港前と、20時30分に出港した直後に弁当を食べて、ビールを1リットル飲み、21時には寝た。翌19日午前1時に起きて確認すると、到着予定時間は4時だった。再び寝る。3時半起床。新月で快晴にも関わらず、星があまり見えない。北方をみると、中国のイカ釣り漁船の光芒で魚釣島のシルエットが浮き上がっていた。この明かりのせいだ。集団漁業活動に参加をしている一般の人にしてみれば、新月で、快晴で、稀有な機会だったのに気の毒だった。プラネタリウムより、遥かに多くの星が見えるチャンスだったのに。 4時過ぎ、こっそりとフィン(足ひれ)を着けた私は、見知らぬ男性に伝言を頼んだ。
「9時までには、灯台のあたりに戻って来ると船長に伝えて下さい」
「えっ」
内側を向いて「第一桜丸」の船べりに腰掛けていた私は、海側に振り向くように、フィンを付けている足ごと船外に出し、「うそでしょ、ちょっと…」という男性の声を残したまま、無音で漆黒の東シナ海に足から入った。垂直に潜行し水深5メートルに達したところで、頭を魚釣島に向け、水平移動に切り替えた。付近の漁船に知られないよう、50メートルは水中で移動しなければならない。20回のドルフィンキックを終え、久しぶりの呼吸をしながら仰向けの体勢で全周警戒を終えると、どの漁船も絶対に私のシルエットに気付かないだけの距離を確保したと確信した。そこからは、背泳ぎのような体勢で頭越しに魚釣島の灯台の明かりをおさえながら、顔面だけを水面に出して、約300メートルを近接した。
潮騒で陸地が近づいたことを知る。ベタ凪とはいえ、ギザギザの岩盤へ押し寄せる波のなかを上陸するのは、タイミングを間違えると危険である。波が砕ける頂点より、やや後方に位置し、岩盤に波が叩きつけた直後に柔らかく着地する。ただ私にとっては、海自特殊部隊を辞めた後に滞在したミンダナオ島の海洋民族との生活で、ほぼ毎日使っていた技術であり、タイミングを外してしまうはずも無かった。波の推進力を最大限に利用し、4時20分、魚釣島への上陸を完了した。
点滅する灯台の強い光で夜目になれない状態で、ギザギザの岩盤の上を灯台に向かって進んでいた。人が居るわけはないと思いながらも、自分だけがシルエットとして浮き上がっているのは気味が悪く、ほとんど四つんばいで進んだ。警戒されていたら、ここに隠密上陸することは無理だ。灯台へ着くと、はやる心を抑えながら3つ持ってきた国旗の一番小さいものを白く塗られた金属で作られた灯台の支柱にくくり付けた。時計を見ると4時30分。約束の9時まで、4時間半しかない。島を東西に走る尾根まで直線距離1キロ、高低差300メートル、そこから、直線距離400メートル、高低差60メートルの尾根上に切り立った崖を見つけて旗を設置する。作業時間を考えると余裕なんか全くない。
山中の行動で肉体にダメージを与える要因は、傾斜、重量、植生、速度等である。私の場合、速度は、時速1000メートルで300メートルの高低差、重量物40キロ。昼間、道のないルートなら所要時間1時間が基準となる。夜間でスピードは半分となるものの、植生は特別に困難というわけでもなく、尾根までの1000メートルを2倍の2時間というスピードが基準となる。
人生最高の景色
登り始めて30分。馬鹿にきつい。口から心臓が出てきそうなほど苦しい。スピードはおそらく基準の2倍はでている。限界を越えている。このスピードでは、1時間で南側の斜面に到着するが、その1時間後には一歩も動けない状態になるだろう。残っている体力で、断崖絶壁に国旗を設置できるだろうか、そして、その後同じルートを引き返し、灯台まで戻ってこられるだろうか。しかも、海で体温を奪われ、上陸後は大量の汗で水分を失っている。体力の限界ギリギリのところで、いつまでもつかを計算するのは非常に気が滅入る。少しでもその状態を脱しようと、コーラを飲んだ。呼吸が乱れることを防ぐため、コーラの炭酸は、あらかじめ抜いてあった。糖分というエネルギーが、指の先まで、脳の奥深くまで染み込んでいった。なんで早めに補給しなかったんだろう。昔とそれほど変わらない体力を維持していると思いたい気持ちが、補給のタイミングを遅らせた。年齢による衰えとは、実際の衰えより「そんなはずはない」「認めたくない」「そう思われたくない」という具合に、現実を直視する潔さを失うことを言うのかもしれない。 疲労感を通り越し絶望感の中にいた私は、「止めてしまおう。だって、そもそも…」と計画中止を正当化する理由を考え始めていた。この「止めてしまおう」という感情が、自分の身体からの危険信号から来ているのか、苦しさから逃れたいという精神の弱さから来ているのかを見極めるのが難しい。しかし、私は知っている。危険信号か、弱さかを自分で識別する方法を知っている。目的をもう一回考えたとき、「止める」という気持ちの増殖が一瞬でも止まればそれは弱さからくる逃げである。危険信号からきている場合は、逆に止めるべきだという気持ちが強くなる。「俺は、どうして、魚釣島の絶壁に国旗を掲げたいんだ?」「それは、国民の意志を示すため」「誰に?」「どうしても、知って欲しい人達がいる」 自問自答の結果、止めたい気持ちが一瞬どころではなく、しばらく停滞した。弱さからくる逃げたい衝動にすぎなかったのだ。しかも、しばらく停滞したのだから、限界はまだまだ遠い、ということである。 出発から1時間後、魚釣島を東西に走る尾根に出た。少なくとも、30分は稼げただろう。あと1時間以内に旗を設置する断崖絶壁を見つければいい。続きは月刊正論11月号でお読みください
■伊藤祐靖氏(いとう・すけやす) 昭和39(1964)年生まれ、茨城県出身。日本体育大学卒業後、昭和62年に海上自衛官任官、2等海士。防衛大学校指導官、イージス艦「みょうこう」航海長などを歴任し、海上自衛隊特別警備隊創設に関わった。42歳で退職後、各国の治安機関などに訓練指導を行っている。チャンネル桜ゲストコメンテーター、予備役ブルーリボンの会幹事。本誌4~6月号に「能登沖不審船事件 緊迫怒濤のイージス艦出撃」を連載。