雑誌正論掲載論文

堪えられない村山談話への自画自賛

2020年09月25日 03:00

産経新聞論説委員・政治部編集委員 阿比留瑠比 「正論」10月号

 馬齢を重ねるごとに年長者への尊敬心が薄らいでいくのを、反省しつつもどうしようもない。特に自身の名誉や権力に執着して意見が違う他者に攻撃的となり、いつまでも影響力を保とうと腐心する政治家の妄執を見ていると、敬老心など持ちようがない。

 最近では、戦後七十五年を迎えた八月十五日にあたり、村山富市元首相が発表した「村山談話に託した想い」なる談話を読んで、げんなりした。自画自賛と自己正当化、思い込みと決めつけに満ち満ちていたからである。

 村山氏が首相時代の平成七年八月の戦後五十年にあたって発表した「村山談話」は、日本による植民地支配と侵略に痛切な反省と心からのおわびを表明している。

 社会党左派だった村山氏が自らのイデオロギーと偏見を濃厚に盛り込んだものだが、語句の対象は曖昧で具体的にいつの何を指しているのかもよく分からない意味不明の談話だった。

 これは、二十年後に安倍晋三首相が明確なメッセージ性を持つ「戦後七十年談話」を出して上書きし、事実上無効化するまで日本外交、特に対アジア外交の手足を縛り、中国や韓国などに日本を抑えつける外交カードとして利用されてきた。ところが村山氏は今回、この談話についてまずこんな手柄誇りをしている。

 「『村山談話』は、中国・韓国あるいは米国・ヨーロッパなど、世界各国の人々や政府から、高い評価を受け続けているようで、光栄なことだと思います」

 それは村山談話を利用して日本を貶め続けたい国からは高い評価を受けただろう。とはいえ、最近、どこかの国が村山談話に高い評価を示したとは寡聞にして知らない。

 また、村山氏は中国・南京にある虚偽だらけの「南京大虐殺紀念館」をかつて訪問したことや、中曽根康弘内閣の後藤田正晴官房長官が首相の靖国神社公式参拝を差し控えるという談話を出したエピソードを散漫かつ意味ありげに綴っている。 そのうえで今度は、同じ敗戦国であるドイツに触れ、こんなことを書いていた。

 「西ドイツの、ワイツゼッカー大統領は、同じ戦後四十年にあたるドイツ敗戦記念日の一九八五年五月八日に、連邦議会で『過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる』との記念演説を行い、内外に感銘を与えました」

 村山氏は、このワイツゼッカー演説を念頭に「過去の歴史的事実を謙虚に受け止め、平和と民主主義、国際協調を基調とする日本の針路を明確に闡明する必要がある」と思って、談話の作成を決断したそうである。談話作成に協力した当時の河野洋平自民党総裁への感謝も述べられている。

 ワイツゼッカー演説の核心

  日本の左派勢力や韓国は、何かというと村山氏のように「日本はドイツを見習え」と声を揃える。そして、何度その演説への認識の間違いや、そもそもホロコーストを実行したドイツと日本を一緒にする錯誤を指摘されても改めようとしない。

 だが実際は、ワイツゼッカーの演説「荒れ野の四十年」は「過去の行為を心に刻む」と訴えつつも謝罪はしていない。それどころか逆にこう強く主張している。

 「自らが手を下していない行為について自らの罪を告白することはできません」

 「ドイツ人であるというだけの理由で、粗布の質素な服を身にまとって悔い改めるのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません」

 これは、平成七年の村山談話のありようとは全く異なる。むしろ、平成二十七年の安倍談話の次の言葉と符合する。

 続きは「正論」10月号でお読みください。