雑誌正論掲載論文

李登輝氏が果たし、遺したもの

2020年09月05日 03:00

産経新聞台北支局長 矢板明夫 「正論」10月号

 台湾の李登輝元総統が七月三十日、亡くなりました。私が大学生の時に総統だった李氏と作家の司馬遼太郎氏の対談を読みました。そのときの新鮮な感動は今でも忘れられません。 左翼的言説があふれた当時の日本の言論空間のセオリーにならえば李氏は「軍国主義の被害者」でなければなりません。ですが、李氏は決してそうではありませんでした。「台湾に生まれた悲哀」を説きながらも中国や韓国の指導者のように日本を糾弾したりはしなかったのです。日本が台湾統治時代に行った良かった面についても公正な目で評価していました。

 「日本の教育で学んだ奉公精神が素晴らしかった」と日本の台湾統治への賛辞もありました。李氏は、日本の持っている価値観に対して、もっと自信を持つようエールを送り、戦前に学んだ「教育勅語」や「武士道」「勤勉、自己犠牲、責任感などの日本精神」の強みを堂々と説いたのです。目が覚める思
いがしました。

 私だけではありません。多くの日本人が李氏の文章を日本への応援メッセージ、日本人への励ましと感じたのでしょう。李登輝ファンは増えていきました。

 李氏の逝去を受けて大使館に相当する東京都港区の「台北経済文化代表処」には献花台が設けられ、そこには長蛇の列ができたそうです。

 記帳には四日間で四千人が訪れました。一般の庶民レベルまで、本当にたくさんの人が詰めかけたのです。日本での李登輝人気が高いことを物語る光景で、私はそれを台湾のテレビニュースで知りました。

 李氏はすでに二十年も前に引退した政治家です。李氏がいまでも日本で愛され続けている光景は台湾では少し意外に映り、興味深げに受け止められたようです。改めて偉大さに気づいた、という台湾人もいました。「なぜ日本人は李登輝を尊敬するんですか?」。一体何人の台湾人に聞かれたことでしょう。私はそのたびに「李登輝さんは日本、日本人にとって自分を叱咤激励してくれる父親のような存在だからです」と答えています。〝終身総統〟を葬る 李氏の業績は二つあるといわれています。一つは台湾を民主化に導いたことです。それまで密室の政治によって決まっていた総統を住民の直接選挙で選ぶ。そのことを決断し、実現させた李氏の力量はすでに多くの識者が絶賛しています。私もそれはその通りだと思います。

 ですが、李氏が本当に偉大だったのは、選挙で決めるというルールを確立したことです。強調したいと思います。李氏は九六年、初めての総統選に勝利します。初の民選総統です。ですが二期目の選挙には出馬せずに、総統の座を退くのです。 李氏が出馬しなかった理由、それは年齢的なものもありますが、それまでの台湾では、蔣介石も蔣経国も亡くなるまで辞めない〝終身総統〟でした。「個人独裁」が当然だったなかで、民主化を実現すべく風穴を空けた。その自分が「個人独裁」につながることはしない。それで身をひいたのだと思います。その意味は決して小さくないと思います。

 李氏が構築した新しいルールによって、その後の台湾では政権交代が二回も起きています。選挙に敗れれば政権が変わる。それが当たり前の政治光景になりました。もし、李氏があのとき辞めなかったら、台湾の政治風土はここまで変わっていただろうか。そんなことも思うのです。

 これは、中国と比較すればよくわかります。今の中国は、習近平氏が独裁強化にひたすら邁進しています。かつて中国には鄧小平という改革者がいました。鄧小平以前の中国憲法では、主要な国家指導者のポストに任期など設けられていなかったのです。

 これが毛沢東による個人独裁を許し、大躍進政策、文化大革命と二度にわたる悲劇と大混乱をもたらし、晩年は思いつきの人事も横行しました。そこで鄧小平はじめ、毛沢東に追われ、没後復権を果たした者たちが中心となって、中央軍事委員会主席を除く重要ポストの任期を二期十年までとする変更を、新憲法制定に合わせて導入しました。これは最高指導者の終身制にピリオドを打つ改革でした。

 ところが、その改革は習氏によってあっさり葬られました。憲法にあった「連続して二期を超えて就任することができない」という文言は削除され、現在二期目にある習氏は、今後も最高指導者として君臨し続けることが可能となりました。終身国家主席の復活です。

 中国は個人独裁に回帰し、再び毛沢東時代に舞い戻った、といってもいいでしょう。李登輝氏の判断がどれほど妥当なものか。台湾に何がもたらされ、中国でこれから何が起きるか、を考えれば、李氏の判断の持つ意味の大きさがはっきりするのではないでしょうか。

続きは「正論」10月号でお読みください。