雑誌正論掲載論文
米国で起きている潮流 トランプ再選阻止のうごめきに注意
2020年08月15日 03:00
福井県立大学教授 島田洋一「正論」9月号
ジョン・ボルトン前米大統領安保補佐官の回顧録『 The Room Where It Happened 』は、大統領選が終盤戦に入る時期に元側近が「トランプを再選させてはならない」というメッセージと共に出したものだけに、出版前から政争の渦中に置かれた。それゆえ、いくつかの意味で読み方に注意を要する本である。 世論調査で不利を伝えられる中、巻き返しに全力を挙げるトランプ陣営の人々がボルトン氏を「裏切り者」と非難するのは当然だろう。誰もがトランプ大統領の「余計な発言」には困惑しつつも、総合的に見て民主党バイデン大統領候補より遥かによい、重要課題で突破力も見せてきたとの判断のもと、支持に回っているのである。
「トランプにもバイデンにも投票しない。誰か保守派の名前を書く。私の住むメリーランド州はバイデンの勝利が確実で、私が誰に入れるかに意味はない」といったボルトン氏の発言はやはり無責任だろう。彼の外交安保論に注目してきた人間として残念である。
私の友人で、国務省、国家安全保障会議(NSC)でボルトン氏の首席補佐官を務めたフレッド・フライツ氏(現、安全保障政策センター所長)は、
①ボルトン氏はせめて本の出版を選挙後まで延ばすべきだった
②トランプ大統領がイランへの報復攻撃を土壇場で止めたのが「転換点」で、決定的に幻滅した。トランプ大統領は選挙のことしか考えていないとボルトン氏は言うが、重大事態につながりかねないイラン領内爆撃を米側被害(無人偵察機の撃墜)との比較考量で中止としたのはトランプ大統領なりの「原則に基づく決定」であって選挙は関係ない
③大統領の内輪の発言を補佐官が公開することが許されれば、大統領は今後率直にアドバイスを求めることができなくなる④補佐官は大統領を支えるのが仕事で、喧嘩をしに行くのではない、ポンペオ国務長官はその点をわきまえているが、ボルトン氏は結局出処進退を誤った
―など、「非常に重い気持ちで」批判的なコメントを出している。トランプ氏の戦略的本能 トランプ大統領の外交をボルトン氏は「本能と思い付きだけ」と評するが、回顧録を子細に読めば、随所にトランプ流の戦略が浮かび上がってくる。確かに無節操な思い付きに溢れてはいるものの、トランプ大統領の戦闘的本能には侮れないものがある。
一例を挙げよう。二〇一八年にアルゼンチンで開催されたG20のサイドで行われた米中首脳会談の場で、習近平国家主席は終始用意したメモを読み上げていたが、トランプ大統領はアドリブ中心で米側出席者の誰も、次の瞬間にトランプ大統領が何を言うか予想がつかなかった。習主席がトランプ大統領の再選を望む旨の発言をし、トランプ大統領が「大統領は二期までという憲法上の縛りを自分に関しては外すべきとの声がある」とホラ話で応えるなど夕食会は和やかに進んだ。
本題に入ると習主席は、対中懲罰関税を撤廃するよう求め、パンダハガー(媚中派)の「ムニューシン財務長官がトランプに受け入れを説いていたところの見せかけの改善措置」を色々と並べた。トランプ大統領は全てについてただ「イエス」と頷き、米側の要求としては米農産物の輸入拡大を求める程度のことしか言わなかった。 ところが会談が終盤に入ったところで、トランプ大統領はおもむろに対中強硬派のライトハイザー通商代表の方を向き、「何か言い忘れたことはないか」と発言を促した。水を向けられたライトハイザー氏は、「構造問題に焦点を当て、ムニューシン氏が心から愛した中国側提案を切り裂き、会話を現実世界に戻すべく努めた」という。最後にトランプ大統領が、「ではアメリカ側は交渉の責任者にライトハイザーを充てる」と宣言し、首脳会談は幕を閉じた。
ブエノスアイレス会談から二日後、ホワイトハウスの大統領執務室で、結果を検証する政権幹部の反省会が開かれた。この場で、アメリカの知的財産を窃取して生産された中国製品はすべて輸入禁止にすべきというボルトン提案にトランプ大統領は改めて賛意を表している。
またムニューシン氏が米中協議に参加したい意向を示したが、トランプ大統領は、ムニューシン氏は「(中国に)別の種類のシグナルを送っている。なぜ関与したがるのか分からない。一体どうライトハイザーを支援するつもりなのか。君は為替の安定に努めよ」と撥ねつけ、「この問題についてはスティーブ(ムニューシン)ではなく君(ライトハイザー)の姿勢が欲しい、農産品の輸入を二、三倍に増やさせろ。グレイト・ディール以外はするな」と指示した。そして、中国側が応じなければ追加関税を課すとの方針を明確にしている。 ボルトン氏はこの日のトランプの態度を高く評価している。ただこうした態度が安定的に持続せず、思い付きに走ってブレがちというのがボルトン氏の不満点である。
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