雑誌正論掲載論文
WHOが示す中国国連外交の野望
2020年04月15日 03:00
産経新聞パリ支局長 三井美奈 「正論」5月号
新型コロナウイルス騒ぎで、「最大の勝者」は皮肉なことに中国になるかもしれない。一連の騒ぎで、中国が支配する国連外交が浮き彫りになったからだ。
読者の中には、世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長の「中国寄り」姿勢に驚いた方も多いだろう。今年一月に感染騒動が始まって以来、中国に配慮した発言は目に余った。二月には明らかに世界的拡散になっていたのに、「パンデミックと呼ぶのは時期尚早」「いたずらに不安を煽るべきでない」と言い続けた。
三月十一日になってようやく、パンデミック宣言した。感染者が世界で十万人を超える中、あまりに遅すぎるという感は拭えない。すると今度は「欧州がいまや、世界の感染の震源」と語り、不安を増幅した。さらに、ウイルスを「COVID(コビッド)19」と命名し、「武漢ウイルス」「中国肺炎」いう俗称の広がりを阻止しようとした。
パンデミック宣言の直後、中国は「国内の流行ピークは過ぎた」と発表し、習近平国家主席はグテレス国連事務総長と電話で会談した。新華社電によれば、習氏は「中国人民の努力で、世界各国の感染拡大防止のために貴重な時間を稼ぎ、貴重な貢献をした」と自画自賛し、グテレス氏は中国の外国への支援に謝意を示した。武漢からウイルスの拡散が始まったのに、いつの間にか「中国は世界に貢献した。感謝せよ」というストーリーにすり替えてしまった。
中国の「恫喝」
WHOは、基本的人権としての「健康」を最高水準に高めることを目標に掲げ、約七千人の職員を擁する専門家集団である。なぜ、一国に偏向するようになったのか。
WHOのムードを象徴する事件が、一月二十二、二十三日に開かれた緊急委員会だった。ウイルス感染拡大に対し、「緊急事態宣言」を出すか否かが争点だった。
「中国大使の『恫喝』で、見送りが決まったのです」と語るのは、WHOを長年取材するフランス人の医療ジャーナリスト、ポール・バンキムン氏だ。緊急委員会は、各国の専門家十五人とアドバイザー六人による非公開会議。議事は紛糾し、異例の二日間に及んだ。いつもなら、委員会の開催前にあらかた合意ができている。
委員会にはテドロス氏の判断で、感染国の中国、韓国、日本、タイの代表が状況説明のため二日目の協議に招かれた。バンキムン氏によると、中国代表はその場で「中国では強力な感染封じ込め措置をとっている。非常事態宣言など問題外だ」と一喝した。気まずい沈黙が漂った。アフリカやアジアの専門家は中国に追随し「やはり時期尚早だ」と言い出した。米欧組は不満を示したが、結局、「宣言見送り」が決まったという。
テドロス氏は一月二十八日には北京に飛び、習近平国家主席と会談した。人民日報によると、「中国は情報公開し、記録的な速さで病原体を見つけた」と述べ、習主席を絶賛した。WHOが新型コロナ対策で国際協力や新薬開発に向けた六億七千五百万㌦のキャンペーンを発表すると、中国はこれに応じるように、WHOに二千万㌦の拠出金を発表した。
テドロスのルーツ
さまざまなメディアで、テドロス氏の出身国エチオピアに中国が巨大投資をしていることが指摘された。だが、根はもっと深い。
中国とテドロス氏の関係は少なくとも、二十年以上前にさかのぼる。エチオピアは一九七〇年代に帝政が倒れ、ソ連の支援を受けた社会主義独裁、メンギスツ政権が発足した。この後、内戦が続いて、「飢餓大陸」と呼ばれた時代があった。テドロス氏は「必要な薬がないために兄弟を亡くした」と、当時の惨状を回想している。
医学生だったテドロス青年は、エチオピアの反政府左派ゲリラに加わった。彼の組織はやがて、「エチオピア人民革命民主戦線」の主要勢力となり、中国や米国の支援を受けて一九九一年、メンギスツ大統領を倒し、政権に就いた。現在なら奇妙に映る「米中相乗り」だが、当時のアフリカでは東西冷戦と並行して中ソ対立の構図があった。テドロス氏は新政権で保健衛生政策に携わり、やがて保健相に就任。続いて外相を務めた。
エチオピア研究家である、米ウィリアム・パターソン大のアーロン・テスファイ教授は、「人民革命民主戦線は、元々はマルクス主義政党で、中国の支援を受けた。毛沢東思想の影響もあった」と話す。新政権はマルクス主義を放棄したが、中国との関係は続いた。
テドロス氏は二〇一七年、WHO事務局長に選ばれた。この人物の特徴を表すのが、就任早々、ジンバブエの独裁者、ムガベ大統領を親善大使に任命したことだ。「国民医療サービスの実現に尽力した」というのが理由だが、事務局長選でアフリカ票をまとめてくれたお礼だというのは、見え見えだった。ジンバブエは平均寿命六十一歳で、世界でも最も短命な国の一つ。米欧は一斉に反発し、テドロス氏は早々に任命撤回を迫られた。国際世論などかまわず、「自分を支持してくれた人には、手厚く」というのが流儀らしい。
中国にとって、エチオピアはアフリカ政策の要衝である。習政権の巨大経済圏構想「一帯一路」に加え軍事でも、重要な位置を占める。首都アディスアベバにはアフリカ連合(AU)、国連アフリカ経済委員会という二つの国際機関の本部がある。さらに、中国人民解放軍が唯一の海外基地を置くジブチは目と鼻の先だ。仏国際関係研究所によると、一九九二~二〇一六年、エチオピアへの外国投資のうち中国は二二%を占め、二位のサウジアラビア(一九%)を上回った。
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■ みつい・みな 昭和四十二年生まれ。一橋大学卒。読売新聞エルサレム支局長、パリ支局長などを歴任。平成二十八年、産経新聞に入社。著書に『イスラム化するヨーロッパ』(新潮新書)など。