雑誌正論掲載論文
花盛りの保守系ネット番組 「品位」欠けば生き残れない
2020年01月25日 03:00
ITジャーナリスト 宮脇睦 「正論」2月号
「テレビを見なくなった」という人が、「保守系ネット番組(以下、保守系番組)」に流れてきています。いわゆる「マスコミ」に地殻変動が起こっています。それは左派が叫ぶ「右傾化」などではなく、日本の「正常化」だと私は評価しています。
事件や騒動が起きたとき、その分野の専門家の解説を、ツイッターやブログを通じて、一般市民でも知ることができます。官公庁の大半はサイトで最新情報と、各種議事録を発信しています。ネットで閲覧できる専門書も多く、職位職歴、地位や立場に関係がなく、好奇心というエネルギーさえあれば、誰でも「識る」ことができ、同時に「発信」することができる時代になりました。
ネット空間に発信された情報は、半永久的に保存され、たやすく引用ができます。ウソやデマは一日ほどの歴史の審判にも耐えられず、その場限りの発言は、丁寧に事実をもって批判されます。そこから、現代日本の最先端の「言論」は「保守系番組」にあるといっても過言ではないでしょう。
むろん、話し言葉と書き言葉の違いがあり、思考を一つの様式でまとめる「文章」の良さを否定するものではなく、私自身がいまでも「活字中毒」だと告白しておきます。しかし、その文章は紙に限らず、ツイッターでもブログでも同じ効果を期待できます。つまり「媒体」のネットへの置換が起こっているということで、もはや「テレビを見なくなった」というより、テレビという存在そのものの必要性が問われているのです。
そこで、本稿では「保守系番組」とはどういうものか、果たしてリスクはないのか、未来は、と網羅的に「地殻変動」の最前線の舞台裏も含めて紹介します。これらの番組には世界基準でみれば「リベラル」の人も数多く出演しているので、本稿における「保守」とは「理性的な愛国者」と定義しておきます。
人気を集める四つの理由
代表的な保守系番組としては「チャンネル桜」「言論テレビ」「真相深入り!虎ノ門ニュース(以下、虎ノ門ニュース)」「文化人放送局」などが挙げられます。これらの多くが、「ユーチューブ」や「ニコニコ動画」など、複数の動画配信サービスを利用しています。時事問題を扱うものが多いのですが、「channel AJER」のように様々なジャンルの専門家が見識を披露するものや、「チャンネルくらら」のように、市場経済や憲政史の専門家の見解を語るものなど様々です。
番組の構成は新聞記事などを中心に解説する一人語りのものから、対談、複数の有識者が集まった鼎談や雑談などがあります。また、コンピューターグラフィックス(CG)を表示し、アフレコで語る「Vチューバー」や、原稿を合成音声が読み上げるタイプのものもあります。
保守系番組が人気を集める理由は、大きく分けて四つあると私は考えます。
まずは「即時性」です。いわゆる「地上波テレビ」と情報の鮮度に遜色はありません。例えば「虎ノ門ニュース」は、毎週月曜日から金曜日の朝八時から十時までの二時間、共同通信の記事などを踏まえて生放送をし、本誌の田北真樹子編集長もコメンテーターとして出演されております。
第二に独自の情報や見解が紹介されるところです。令和元年十一月二十九日、共同通信は「安倍首相、国連演説を断られる」と題した記事を配信し、報道機関はこれを転電しました。しかし、令和元年十二月二日配信の「虎ノ門ニュース」にて、田北編集長は取材情報をもとに「安倍首相側が断った」と解説していました。共同通信や時事通信といった「通信社」が配信する以外の「情報」に、保守系番組では接することが出来るのです。
そして、三つめの理由は「政治的な偏り」を公言しているところです。保守系だからと、誰もが安倍晋三首相を応援しているわけではありません。とりわけ「憲法改正」が遠のくなか、辛らつな安倍批判を繰り返す論客も増えてきています。「自分は誰を応援している」ということを、正々堂々と明言して発言しているので、視聴者はそうした「偏り」を踏まえて、それぞれの論客の見解に触れることができるのです。これは「放送法」に縛られない「ネット番組」だからできることです(地上波テレビに偏りがないとは思っていませんが建前論として)。
最後に保守系番組の多くが「ファクト(事実)」を元に議論を展開します。「モリカケ騒動」のとき、地上波テレビは国会に参考人招致された加戸守行前愛媛県知事の証言を「報道しない自由」を行使して伝えていませんでした。しかし、保守系番組では加戸前知事の証言という「ファクト」を繰り返し伝え、既存マスコミの「報道しない自由」を批判しました。
続きは「正論」2月号をお読みください。