雑誌正論掲載論文
日中関係象徴する北大教授拘束 試される安倍政権
2019年12月15日 03:00
産経新聞論説副委員長 佐々木類 「正論」1月号
現在の日中関係を象徴するような事件が発覚した。北海道大学教授の拘束事件である。十一月十五日に解放され、帰国したが、なぜこの事件が今の日中関係を象徴するのかは、このリポートを最後まで読んでいただければ分かると思う。
九月に中国を訪問した四十代の男性教授が、中国当局に身柄を拘束されていたことが十月十八日に判明した。産経新聞は前日の自社サイトに流していた。産経は翌日、一面トップで詳しく報じ、朝日新聞や民放各社が後追いした。
教授岩谷將氏は日本人で、防衛省付属機関の防衛研究所や外務省に勤務した経験がある。スパイ活動など国家安全危害罪に関連する容疑を受けたとみられるが、濡れ衣である可能性が高い。具体的根拠を示さないまま、「反スパイ法に違反していた」などと発表しているためだ。
岩谷氏は中国社会科学院近代史研究所の招待に応じて訪中した。二週間の滞在予定だったが、九月初め、訪問先の北京から家族に電話で、「体調が悪くなったからしばらく帰れない。滞在が長引く」と話し、消息を絶った。岩谷氏はかつて、筆者に対し、研究のため訪中するたびに尾行がつき、盗聴されていると苦笑いしていた。
日本国内にいても、在京中国大使館に立ち寄ったり、在留中国人と接触するとその日の晩、行動を確認する電話が入ったりするなど絶えず誰かに監視されていた。事態は現在進行形であり、この場ではつまびらかに出来ないが、筆者は岩谷氏から直接それを聞いている。
一九九〇年代、産経新聞社会部の警視庁で経済事件や外事・公安事件を担当していた筆者の推測に過ぎないが、日本国内でも彼の動静は中国大使館のみならず、さまざまな方面から注目されていたのは間違いなかろう。平穏な日常生活に身をやつしていると、独裁国家と関わることが、それが純粋に学術的研究であったとしても、深い闇が広がっていることに気づきにくいものなのである。ご家族の心中はいかばかりかと思う。授業をとっている学生も一刻も早い岩谷氏の帰国を待っていたはずだ。無事帰国の報せに安堵しただろう。
さて、その岩谷氏だが、中国政治が専門で、二〇〇七年に防衛研究所戦史部教官のほか、外務省大臣官房国際文化協力室主任研究官を務め、一六年から北大法学研究科と法学部の兼任教授となった。慶応大出身の法学博士である。
中国政治が専門といっても、岩谷氏の研究実績をみると、「日中戦争初期中国的対日方針」「中国共産党情報組織発展史」「北伐後における中国国民党組織の展開とその蹉跌」―など、戦史に関する論考がほとんどだ。公表された論考を見る限り、陸海空やサイバーや宇宙、電磁波などのいわゆるインテリジェンス(軍事情報)とは縁遠い研究をしていたようである。
岩谷氏について、中国外務省の華春瑩報道官は十月二十一日の記者会見で、「中日領事協定の関連規定に基づき、日本側のために必要な協力を行う」と述べ、身柄を拘束していることを事実上認めた。拘束容疑など具体的な状況については「把握していない」と説明を拒否したが、「日本側は自国民に中国の法律を尊重し、中国で犯罪活動を行わないよう注意を与えてほしい」と拘束を正当化した。
解放後、耿爽報道官は会見で「中国の国家機密に関わる資料を収集していたため取り調べを行った。教授は事実を認め反省の意を示したため、法律に基づき保釈した」などと語った。
だが、思い出してほしい。三権分立を否定する中国で、中国共産党の支配から独立した司法判断は存在しないのである。習近平政権はしきりに「法に基づく統治」を唱える一方で「法治」は党の指導下にあるとも強調している。中国による法の恣意的運用は疑い出せばきりがない。政治の風向き次第で人身の自由を奪うことは中国のお家芸だ。
中国当局の見解にだまされてはいけない。二重基準(ダブルスタンダード)は目に余る。その見本が、中国の通信機器大手、華為技術の孟晩舟副会長が昨年十二月、米国の要請でカナダ当局に逮捕された一件だ。中国外務省は、「理由を示さないままの身柄拘束は人権侵害だ」とカナダ当局を批判したが、いったいどの口がそれを言うのか、あきれるばかりだ。
独裁国家はやりたい放題
もっとも、中国共産党一党支配という独裁国家にあって、何をしようがしまいが、利用価値があると目をつけられれば、何とでも理由をつけて拘束されてしまう、それが今の中国なのである。頼まれて温泉掘削に協力し、穴を掘ろうとしただけで捕まったケースもあるから酷いものだ。
中国当局は二〇一五年以降、スパイ活動に関与したとして、邦人男女十三人を拘束した。いずれも温泉を掘り当てようと穴を掘った技術者を含む民間人だ。一連の事件で準公務員である国立大学教員の身柄拘束が確認されたのは初めてだ。彼らは死刑を科すことも可能なスパイ罪などで拘束された。
このうち四人は容疑が晴れたとして釈放されたものの、九人を起訴し、八人に懲役十五~五年の実刑判決を言い渡している。昨年二月に広州市国家安全局が拘束した大手商社、伊藤忠商事の四十代の男性社員は現在、公判中だ。
岩谷氏の拘束で想起するのが、東洋学園大学の朱建栄教授の身柄拘束事件だ。
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■ ささき・るい 昭和三十九年生まれ。早稲田大学卒業後、産経新聞社に入社。社会部、政治部を経て、平成二十二年にワシントン支局長。論説委員、九州総局長兼山口支局長などを歴任し、三十年十月から論説副委員長。著書に『静かなる日本侵略』(ハート出版)、『日本人はなぜこんなにも韓国人に甘いのか』(アイバス出版)など多数。