雑誌正論掲載論文
私は拉致されかけた! 都庁職員が40年前の体験を激白
2019年10月25日 03:00
「正論」編集部 溝上健良 「正論」11月号
本誌六月号の荒木和博氏の寄稿「都庁職員拉致未遂事件は北朝鮮の仕業か」は、大きな反響を呼んだ。被害者の都庁職員Aさん(現在五十九歳)は事件当時、後述の理由で警察に被害届を出していなかったため、本誌報道を受けて今年五~六月、警視庁や石川県警から事件当時の事情を聴かれた。そして七月十二日、能登半島で行われた特定失踪者問題調査会の特別検証にAさんも同行。その証言をもとに、北朝鮮工作員による拉致未遂事件を再現する。
◇ 「ここへ来るのは事件以来、四十年ぶり。当時とはずいぶん、この辺りも様子が変わってしまったように感じます」。富山県氷見市の石川県境に近い国道わきの駐車場に姿を現したAさんは、詰めかけた報道陣を前に、四十年前の事件当時を振り返った。
都庁に入庁したばかりで十九歳のAさんが、半年後に結婚することになる女性とともにドライブで石川県の和倉温泉に向かったのは昭和五十四年五月五日(土曜)のことだった。早朝に出発し、明るいうちに到着する予定だったが途中、信州・松本から高山方面へ抜ける安房峠が通行止めになっていたため、引き返して大幅な迂回を強いられる。途中で渋滞にも巻き込まれ、能登半島にさしかかる頃には日が暮れていた。
富山湾沿いの国道一六〇号線を北上していると、後ろに白いスカイラインが現れた。Aさんの車も同車種だったため、よく覚えている。Aさんが速度を上げても落としても、白いスカイラインはピタリと追尾してきた。「当時はそういう言葉はありませんでしたが今で言う『あおり運転』でした」とAさんは話す。
嫌な感じがしたAさんは車をいったん路肩に寄せて、相手の車をやり過ごすことにした。すると白いスカイラインは追い越す際、わざと速度を落としてAさんの車をじーっと覗き込んできた。相手の車には男四人が乗っていた。運転手と目が合ったが、感情の読めない、尋常ではない目だった。ともかく相手をやり過ごし、Aさんは「あの目は一体、何だったのだろう」と不気味な思いを抱きながら速度を上げた。
すると少し先の、カーブを曲がった先に白いスカイラインが横向きに、国道をふさぐように止まっていた。やむを得ずAさんは、相手の車の十メートル以上手前で停車。相手の車からは、運転手一人だけが降りてきた。男は短髪で、身長は一六〇センチかそれ以下。作業着のような地味な服を着て、サンダル履きだった。Aさんの車に近づくと、早口で何か叫ぶように話した。外国語のようで聞き取れなかったAさんが車の窓を十センチほど開けると、いきなり相手が顔面を殴りつけてきた。 「事件後しばらく経って病院に行ったら鼻の骨が折れていたのですが、あのわずかな隙間からそんな威力のあるパンチを出せることは驚きでしかない。相手の肩のあたりから、まっすぐ拳が飛んでくるような感じでした。まさに訓練されたプロの仕業。もし一般人だとしたら、空手の達人かボクサーかでしょう」とAさん。
隣に乗っていた女性もAさんが殴られたことに気づかないほどの早業だった。一瞬、気を失ったAさんだったが、相手の男が車のドアを開けようとするガタガタという音で意識を取り戻した。幸い、ドアにはカギがかかっていたため開けられずに済んだ。
すると今度は、男が窓の隙間から手を入れて、Aさんののどを絞めてきた。とっさの判断でAさんは車を急発進させた。男の手をふりほどき、道路脇の縁石に乗り上げて、相手の車の脇をすり抜けた。しかし相手の車もすぐに後を追ってくる。必死で逃げた。 「時速百キロくらい出したでしょうか。速度計を見る余裕もなかったけれど、とにかくスピードを出しました。初めて通る道で街灯もなく、道幅も今より狭かった。事故を起こさなかったのは奇跡としか言いようがありません」
続きは「正論」11月号でお読みください。