雑誌正論掲載論文
香港デモが収束しない理由
2019年10月05日 03:00
産経新聞外信部次長 矢板明夫 「正論」11月号
香港の緊張が高まっている。「デモシスト」と呼ばれる若者による抗議活動が盛り上がりを見せ、習近平政権や香港政府の出方が大いに注目されている。一九九七年に中国に返還され、「一国二制度」のもと二十二年。香港は今後どうなっていくのか。本稿では中国に反旗を翻した香港人が共産党に支配された香港をどう捉えているのか、を押さえつつ事態が今後、どのように展開していくのかについて検証した。
今回のデモが発生する引き金となった出来事は香港政府が進めていた逃亡犯条例改正案だった。逃亡犯条例とは罪を犯した容疑者の身柄引き渡しについて定めたもので、香港は中国や台湾、マカオとはそうした取り決めを結んでいなかった。中国で罪を犯しても香港に逃亡すれば摘発を免れることができる。これでは香港は犯罪の〝解放区〟と化してしまう恐れがあった。
昨年、香港人のカップルが台湾を旅行中、男が女性を殺害する事件が起こった。男は逃亡し香港に戻った。この事件を受け、香港政府は台湾からの身柄引き渡しの要請とともに、身柄引き渡しの取り決めも作ることを決めたが、その際台湾だけでなく中国やマカオとも作ることになった。それが今回の逃亡犯条例改正案であり、決してはじめから弾圧を狙って作られた法律ではなかった。そもそも中国政府が本気で香港の自由を奪い弾圧したいのであれば、逃亡犯条例などなくても現行法でできるのだ。
逃亡犯条例の改正審議を進める動きが批判を浴びて抗議活動が拡大していったのは事実だが、あくまでもそれは引き金に過ぎない。香港にはもともと中国政府に対する根深い不満や鬱積がたまっていたのだ。それが条例改正の動きを機に一気に火が点いてあれほどの大規模デモになったということなのである。
では香港の人々は中国政府に一体、どのような不満を抱いているのだろう。まず注目したいのはデモをしている人たちは二十歳代が中心になっていることだ。若者主導のデモで、逮捕された中には十二歳の生徒もいたというから驚きだ。これに対して英国時代の教育を受けた年配の人たちが今回のデモで暴れたという話はあまり耳にしない。
私がここで着目していることは、デモに参加した二十代の香港の若者たちは全員が「共産党教育」を受けた世代だということだ。香港が中国に返還されたのは一九九七年七月一日。二十二年前だ。つまりこの時、小学生になった子供(七歳)は今、二十九歳になっている。
すなわち学校で「われら愛する中国共産党」「わが祖国は偉大だ」「特色ある中国の社会主義は素晴らしい」といった共産党への賛辞がちりばめられた教科書で学んだ者が今、反中、反共産の最前線に立っているということだ。彼らは「一国二制度」として中国の支配下となった香港に共産党がいろんな形で浸透してきた光景を肌で実感してきた世代ともいえるだろう。
なぜ若者は不満を抱くのだろうか。まず教育の不平等がある。香港には優れた教育を行う名門私立学校が沢山ある。当然、そうした名門校はステータスになっており、入学には厳しい競争が課され、学力だけでなく、家柄や親の職業などを示す推薦状が不可欠で、相当な狭き門となっている。
ところが、香港が中国の支配下となって以降、共産党の幹部たちや国有企業の幹部の子息が相次いで通うようになった。彼らは中国国内の学校教育よりも香港の学校に自分たちの子供を通わせたがる。転入学も多く、政治力を使って〝コネ入学〟を果たし、いい学校に通わせているのだ。当然定員枠があるから、香港にもともと住んでいた子供はそのあおりを受けて入学がより困難となる。
共産党独裁体制のもと、鄧小平氏が改革開放路線を推し進めた結果、共産党が完全に利益集団と化した弊害といっていい。共産党幹部がいろいろな場面で搾取する存在として現れ、私腹を肥やしていく。そして共産党の特権を抑える法律も世論もないため、こうした不公平が構造的に常態化してしまったのである。
続きは「正論」11月号でお読みください。