雑誌正論掲載論文
戦後イデオロギーを排して「国家」取り戻せ
2019年06月15日 03:00
文藝評論家 小川榮太郎 月刊正論7月号
安倍晋三氏は常々「政治は結果である」と語つてゐる。
安倍政治が「真の保守」かどうか――勿論、「真の保守」とは何かも含め――は、安倍政治それ自体に問ふに若くはないであらう。
第一次安倍政権において、安倍氏は「戦後レジームからの脱却」を前面に打ち出して登場した。これは正に戦後イデオロギーに直球勝負を挑むイデオロギー戦として政権を立ち上げたことを意味する。
戦後レジームとは何か。
端的に、GHQの占領政策とイデオロギーを遵守してきた戦後空間の全体を指すと考へてよい。とりわけ日本国憲法第九条を価値基軸として、最大限それに寄り添ふ事がその根本教義だ。日米安全保障条約による米軍基地、米軍の核の傘によつて維持されてゐる平和と繁栄を享受しつつ、その事は曖昧にごまかし、「戦争を放棄した平和国家」といふフィクションを死守する。前者を強調すれば親米保守派になり、後者を強調すれば東京大学、岩波書店、朝日新聞による戦後論壇主流派となる。東京大学法学部出身者が上層部を占める霞が関も、日米安保を曖昧化し、その利益を最大限引き出しつつ、公式のイデオロギーは平和国家日本といふフィクションに立つてきた。
安倍氏が「戦後レジームからの脱却」を総理として打ち出した時、氏は内心、この欺瞞的構造全体に正面から挑むつもりだつたに違ひない。
事実、安倍氏は、矢継ぎ早に戦後イデオロギーの価値観の基軸に切り込んだ。教育基本法を改正し、道徳教育に、伝統や文化を大切にする「愛国心」教育の方向性を初めて盛り込んだ。内閣府の外局に過ぎなかつた防衛庁を防衛省に昇格させ、憲法改正を現実のものとする上で不可欠な「国民投票法」を制定した。公務員改革もかつての政権と違ひ、天下りや人事など高級官僚の最も痛い所を突くものだつた。
これらは、いづれも、戦後の政権が初めて、戦後イデオロギーの本丸にいきなり抜き身で躍りかかつてせしめた成果と言つて良い。
逆に戦後イデオロギーを死守する側から見れば、安倍氏は狂人に近い危険人物に映つたであらう。
戦後日本のエリートの総本山である東大法学部は、学術研究機関といふよりは日本国憲法を不磨の大典に押し頂く宗教教団であり、東大経済学は長らくマルクス主義が主流であり、東大政治学も丸山眞男の影響下、反保守のイデオロギー性を維持し続けた。文学、哲学でさへマルクス主義の影響下に置かれ、ソ連崩壊後も、ポストモダニズム、ジェンダー論など左派思想が主流を占める。東京大学のイデオロギー的特性が、端的に日本国憲法とマルクス主義を、知的に無根拠のまま主たる教義としてきた事は、今日に至る戦後日本の病理の核心と言へる。
戦後日本の保守は、この東京大学システムによる公式のドグマへの抵抗だつた。新潮、文春、産経を軸にした文・論壇が言論の場を提供し、自民党、財界が現実政治における防波堤になつてきた。個々の思想家の名前を挙げるなら、保守思想側に立つ人々――折口信夫、小林秀雄、保田與重郎、福田恆存、三島由紀夫、司馬遼太郎、江藤淳らに匹敵する影響を今日まで持ち続けてゐる戦後イデオロギー側の思想家は丸山を除き一人もゐない。また、戦後の政権はほぼ一貫して保守政権だつた。
しかし、それにもかかはらず、保守側は、イデオロギー戦争において戦後イデオロギーの圧倒的な圧力に対する防波堤たるに留まり、イデオロギーの悪を克服し、イデオロギー戦に勝利するには程遠いまま、戦後の時間はいたづらに過ぎ続けたのだつた。
そして平成を迎へる。
日本の各界指導部中枢は戦後教育を受けた人間、つまり昭和三十年以降の新制大学卒業生に完全に塗り替はり、ソ連圏が解体して共産主義が敗北する世界史の只中で、日本では逆に、政治と出版、アカデミズムの左傾化が密かに進行した。流行したポストモダニズムは、小林秀雄サークル=文藝と思想で保守の基盤となつてきた日本の近代批評を嘲笑、否定した。夏目漱石、柳田国男ら大日本帝国下の本流思想をリベラリズムの文脈に置き換へた。平成初期の政権は、海部俊樹、宮澤喜一、細川護熙、羽田孜、村山富市と、リベラル乃至左派が続いた。
日本の左傾化は世界で共産主義が敗退した中で寧ろ一挙に進行したのである。
安倍氏は平成初期のかうした左傾指導者層の次世代に該当する。平成十八~十九年の第一次安倍政権は、日本社会が彼らの院政期に入つた局面で、単身この戦後レジームに乗り込んだのだつた。
安倍氏は惨敗した。朝日新聞を中心とするマスコミと霞が関の集中反撃を食らひ、持病が深刻化し、早期に退陣したのは周知の通りだ。
では第二次安倍政権とは何なのか。
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■ おがわ・えいたろう 昭和四十二年生まれ。大阪大学文学部卒業、埼玉大学大学院修了。専門は近代日本文学、十九世紀ドイツ音楽。最新の著書は『平成記』(青林堂)。