雑誌正論掲載論文
父さんが母さん、母さんが父さん? 最高裁ヘンテコ判決はなぜ繰り返されるか
2019年05月05日 03:00
麗澤大学教授 八木秀次 月刊正論6月号
まずはある本の「はしがき」の文章を紹介したい。50年も前のものだが、私も全く同じ認識を持っているからだ。
「法の守護者として厳然と聳えている―それが多くの国民の抱く裁判所に対するイメージであろう。最高裁判所の長官や他の裁判官の顔にお馴染だという国民は殆んどあるまい。しかし、国民は、この馴染みのない裁判官、そして裁判所に、日本国憲法による民主主義体制の擁護者としての強い信頼感を寄せているのである。裁判官というものは、まさに、法の守護者としてのすぐれた識見と信念を持った人たちなのだ、と国民一般は考えており、従って、裁判官や裁判所に不審の目を向けることは殆んどない。安心しきって任せっ放しという状態である」
文章はその後、「ところが、この信頼しきっていた裁判所に、いつのまにか、……」と続くのだが、それについては後述したい。
いつもというわけではないが、ときに裁判所の判決に首を傾げることがある。例えば、本誌前号の連載コラムでも取り上げた最高裁の今年1月23日の「決定」がそうだ。決定とは、「判決」に比べると軽易な事項で、特別の考慮から口頭弁論が必要とされない場合に出されるものだ。
この日の「決定」は、性同一性障害者が性別変更をする際に元の性別の生殖腺を除去しなければならないとする「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(特例法)の要件について「現時点では、憲法13条、14条1項に違反するものとはいえない」と原告の主張を退けた。
性同一性障害者は家庭裁判所の審判を経て戸籍上の性別を変更できるが、その際には元の性別の生殖腺を除去し、他の性別の性器に近似する外観を備えていることが必要となる。そうすれば、法律上の結婚もでき、女性から男性に性別変更した人と一般の女性との間では非配偶者間人工授精(AID)によって子供を儲けることもできる。その場合、生まれた子供は母(一般の女性)の夫(女性から男性への性別変更者)との間には血縁関係はないが、「嫡出子」とされる(最高裁平成25年12月10日決定)。夫はその子の法律上の父になるということだ。しかし、生殖腺を除去しなければ、そのような処遇を受けることができず、個人の尊重(憲法13条)や法の下の平等(憲法14条1項)に反すると原告が主張し裁判になったものだ。
最高裁の決定は「現時点では」憲法違反ではないとし、2人の裁判官の補足意見では「現時点では、憲法13条に違反するとまではいえないものの、その疑いが生じていることは否定できない」とした。今後の状況次第では憲法違反になる可能性を示唆したものだ。
最高裁は「現時点では」生殖腺除去を是認した理由として「変更前の性別の生殖腺により子が生まれることがあれば、親子関係等に関わる問題が生じ、社会に混乱を生じかねない」ことを理由に挙げている。この点は重要だ。
確かに自分の意思に反して元の性別の生殖腺を除去しなければならない精神的肉体的苦痛は理解できる。しかし、元の性別の生殖腺を残したまま結婚までできるとすると、次のような問題が生じることになる。
①女性から男性に性別変更した人と女性がAIDによって子供を儲ける場合、法律上は夫の嫡出子となるが、その子供の法律上の父親は生物学上、女となる。
②女性から男性へ性別変更した人が女性と結婚したが、自分も子供を産みたいとしてAIDによって第三者の精子提供で出産した場合、生まれた子供の母親は、戸籍上は男となる。
③女性から男性へ性別変更した人が女性と結婚したが、不貞行為によって第三者の男性との間に子供を儲けた場合、子供の母親は戸籍上、男となる。
④男性から女性へ性別変更した人が男性と結婚したが、不貞行為によって第三者の女性を妊娠させ、出産された場合、子供の父親は戸籍上、女となる。
⑤男性から女性へ性別変更した人と、女性から男性へ性別変更した人とが結婚して子供を儲けた場合、子供の母親(出産した者)は戸籍上、男であり、父親は戸籍上、女となる。
要するに「母親が男」で、「父親が女」というケースが生じるということなのだ。
補足意見は「それ自体極めてまれなことと考えられ、それにより生ずる混乱といっても相当程度限られたもの」とするが、以上の5つのケースは考えられないことではなく、「極めてまれなこと」ではない。「母親が男」で「父親が女」ということであるから、戸籍上の対応策を検討しなければならなくなるものだ。
このような問題を生じさせる原因の一つは、最高裁がAIDによる子供を、血縁関係はないものの夫(女性から男性への性別変更者)の嫡出子とした平成25年12月10日の決定にある。「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」とする民法772条を杓子定規に適用したものだ。AIDによる妊娠・出産であるから生物学上は明らかに夫の子でないにも関わらず、「夫の子と推定」し、法律上は夫の子(嫡出子)と扱うということにした。
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■ 八木秀次氏 昭和37(1962)年、広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業。同大大学院政治学研究科博士課程退学。専攻は憲法学。高崎経済大学教授などを経て現職。政府の教育再生実行会議委員。法制審議会民法(相続関係)部会の委員も務めた。『憲法改正がなぜ必要か 「革命」を続ける日本国憲法の正体』(PHPパブリッシング)など著書多数。