雑誌正論掲載論文
マイノリティー捕鯨国への弾圧をやめよ
2019年02月25日 03:00
東京大学教授 八木信行 月刊正論3月号
2018年12月26日に、日本政府は国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を国際的に発表した。これまで捕鯨問題をめぐる日本の論調では、ノルウェーやアイスランドは自国近海で商業捕鯨をしていて、アメリカ、ロシア、グリーンランドなども先住民の捕鯨を自国近海で行っている中で、日本が資源の豊富なミンククジラを日本近海で捕獲したいと提案してもIWCから認められないのはアンフェアだ、といった調子で、どちらかといえば日本政府の立場に同情的なものが多かったように思う。しかし今回の脱退については、日本の中でも賛成と反対の両論がある点でこれまでとは様子が少し違うように見受けられる。この理由を本稿では論考したいと考えている。
まず、捕鯨問題の経緯を簡単に振り返っておくこととする。IWCは、国際捕鯨取締条約によって1948年に設置された国際機関である。設立当時は鯨油の生産調整が加盟国の主な関心事項で、日本、オランダ、ノルウェー、ソ連、イギリスは南極海に出漁するなど、加盟国は商業捕鯨を大規模に行っていた。その一方で資源が減少したセミクジラやシロナガスクジラなどの捕獲は1960年代以前から資源保護のために禁じていた。このような保護は日本も全面的に賛成していたし、現在も同じ立場である。
しかし1970年代から資源が豊富なクジラも禁漁にしようとする反捕鯨運動がアメリカ発で始まった。するとIWCでも反捕鯨国が現れ始めた。その頃までには、ランプの油や石けんの原料などに使っていた鯨油のニーズも減って、オランダやイギリスなどは捕鯨から撤退していた。しかし日本は、欧米諸国とは違って鯨体を食料としても利用していた。欧米は鯨肉を廃棄していたが、日本は活用していたため、日本では鯨1頭あたりの価値が高く、IWCの規制で捕獲頭数が削減されても商業捕鯨を継続できた。魚食文化を持つ日本のこの行為は、畜産肉食文化を持つ欧米諸国からは少々奇異に映ったのかもしれない。欧米での反捕鯨運動は70年代後半からエスカレートした。
反捕鯨国は、クジラに関する科学データには不確実性が存在するので、捕鯨は一旦全面的に禁止すべきなどと主張した。日本などの捕鯨国は、資源が良い種類のクジラまで禁漁にする合理的な理由はないと主張したが、1982年、IWCは、確実な科学データが得られるまで一旦全ての商業捕鯨を禁止した。これを商業捕鯨モラトリアムという。同時にIWCは、1990年までに科学評価を実施した上でモラトリアムを見直すことにした。日本はソ連やノルウェー、アイスランドなどとともにこれに最後まで反対したが、反捕鯨国は新規の加盟国を次々とIWCに誘い入れて賛成票を増やし、議論が不十分なまま採決が強行され決定されてしまった。
ここでカナダはIWCから脱退した。この勢いではカナダの先住民が実施している捕鯨などにも累が及ぶと懸念したのかもしれない。しかし日本はIWCに留まり、1990年の科学評価に備えるため調査捕鯨を開始した。国際捕鯨取締条約は、捕鯨産業の秩序ある発展を目指す条約であり、加盟国による調査捕鯨の実施を保証し、また調査で得られた鯨肉は無駄なく販売対象とすべき旨を規定していることを利用した形である。
約束の1990年になり科学評価は実施され、ミンククジラなどは多数生息することが改めて確認できた。しかしIWCでは商業捕鯨を再開するためには操業を監視取締する制度を更に合意しなければならないとの議論が急に出され、モラトリアムは継続された。商業捕鯨再開を目指していたアイスランドはここでIWCを脱退した。一方で日本は調査捕鯨を継続し、1980年代以降、研究結果を毎年IWCに提出した。ところが反捕鯨国は、捕鯨再開を遅らせるために追加的な課題を次々と突きつけてくる。これに応じるため日本は次々と調査を追加し、調査捕鯨の捕獲頭数を増やす。こうしたイタチごっこのようなサイクルに陥った。
続きは月刊正論3月号でお読みください
■ 八木信行氏 昭和37年横浜市生まれ。東京大学農学部卒。米国ペンシルベニア大学修士(MBA)。東京大学博士(農学)。専門は水産経済学・海洋政策論。現在、国連食糧農業機関(FAO)漁業専門家会合委員などを務める。国際捕鯨委員会(IWC)で小委員会議長の経験もある。日本学術会議連携会員