雑誌正論掲載論文

自主的防衛と中国シフトを 新大綱の狙い

2019年02月15日 03:00

東京大学講師 三浦瑠麗 月刊正論3月号

 昨年12月に平成31年度以降に関わる防衛計画の大綱が閣議決定されました。私は微力ながら、総理主催の「安全保障と防衛力に関する懇談会」の委員として作成方針に関して提言してきました。今回、正式に決定・公表の運びとなりましたので、そこに表れている考え方についてなるべくわかりやすい解説を提示しようと思います。

 まず、これまでの大綱よりも比較的長い大綱策定の「趣旨」には、平和国家としての歩みの確認、安全保障の目的、安全保障環境変化の情勢認識に加えて、主体的・自主的な努力によって我が国防衛を(まずは自分たちで)行うという宣言が表れています。自国防衛を自分で担い、防衛協力に代表される平和と安定化のための役割拡大をかってでると宣言しているのです。そして、「真に実効的な防衛力」を構築するため、防衛力強化を優先課題として取り組む姿勢が明らかにされています。

 情勢認識に関しては、まずはテクノロジーの変化が挙げられます。サイバー、宇宙、電磁波のような新たな領域が既存の陸海空とも接合しながら全体的に相互に繋がっていく(要は安全保障が多次元化していく)世界において、新技術や新分野に投資しつつ、既存の陸海空の自衛隊の統合を高めていくことが課題です。もちろん、新しいテクノロジーに投資する以上は、既存のものの整理や合理化が必要だということが確認されています。

 安全保障環境の変化に関しては、「パワーバランスの変化」が指摘されています。この言葉は以前にも採用されたものですが、今回は単に人口大国が経済成長し大国化するというトレンドではなく、中国のパワーの急速な増大に着目する記述となっています。国家間競争が激しくなり、自由主義陣営と中国やロシアなどの非自由主義陣営との対峙という性格が目立ってきているからです。

 国家のパワーは、人口や経済力、天然資源といったアセットだけでなく、それを力として用いようとする「意思」が重要になる領域です。中国は、自らの国力を軍事的あるいは政治的な力に転換しようという「意思」が際立っている国なので、良くも悪くも中国が世界に与える影響に力点がおかれているのです。

 大綱を見ると、「主体的」「自主」という言葉が目立ちます。戦後史を繙くと、「自主」と「同盟」は対立概念として取り扱われることが多かったことをご存じの方もおられるでしょう。「自主」とは、敗戦後の日本が米国の影響下にとどめおかれてきた状態から脱するという意味を持っていたからです。

 しかし、現在の世界で、一国だけで自国を防衛できる国など、そうそう存在しません。中国ほどの軍拡をする覚悟があるのでなければ、一国で完結した防衛体制など絵に描いた餅にすぎない。そのうえ、日本の国益を考えれば、日米同盟によって守られる自由貿易体制や平和は、まさに日本の目指すところにほかなりません。民主的で自由主義的な政治制度や社会といった価値観も米国と共通しています。

 昔のような日本牽制の論理、つまり「瓶にふたをしておけ」という論理はもはや米国は取らなくなって久しいのです。敗戦した元「軍国主義」日本という気配が残っていた頃は別ですが、もはや日本が主体的・自主的に努力して自国防衛を担保することは、危険でも何でもないという理解です。

 大綱においては、主体的・自主的な努力に基づいて自国の防衛能力を拡大させる結果として、同盟の信頼性を高めるという発想が強く打ち出されました。なぜならば、抑止力に関しては実際の軍事力(いざ攻撃された時に報復する能力)に加えて、意思が重要になってくるからです。主体的・自主的に自国防衛にしっかり取り組んでこそ、米国も日本を助けようという意思が強まるという論理です。

 早期にこうした努力を行わねばならないという認識に日本政府が到達した背景には、国際政治上のパワーバランスと米国内政の急速な変化が挙げられるでしょう。ありていに言えば、米国の相対的な力が低下し、トランプ政権の言動によって以前から始まっていた米国の内向き化が具現化されているからです。通常、同盟には信頼が大切ですから、信頼が揺らいできたとしてもそれを政府の側が明言することは少ないというべきでしょう。それはいわば「言霊」現象を恐れる気持ちでもあるし、また同盟国にも抑止対象国にも、間違ったメッセージを発しないように気を付けているからです。しかし、同盟が不安に晒されているときに、「強化」の必要性という言葉でそれを表現することは可能です。

 もちろん、それに対して少数ではあるでしょうが、昔ながらの「自主防衛」論者が反発をすることは十分に考えられます。とりわけ、高齢者世代には、「米国何するものぞ」「日本のていたらくはだらしない」という精神論が出てくるのをよく目にします。しかし、そうした精神論は、憲法改正をせずに誤魔化しのもとに生きてきた日本に対する批判にはなりえても、今後なすべきことのイメージとしては、著しく時代状況を見誤った意見であると言わざるを得ません。

 現状の世界の分断が自由主義陣営とそれ以外のパワーのあいだにある以上は、日本が孤立主義の道を歩むことは、単に世界にとって意味のない存在になっていくことと同義です。そして、日本というまずまずの国のサイズを前提とすれば、そのような意味のない存在として自由を手にしていたいという気分さえ、情報化しグローバル化した時代においては現実的に実行不可能なものです。新しい時代においては、米国のみならず、その同盟諸国、中国、ロシアなどとの幅広い協力や経済関係をもたなければ、生きていけないからです。

 米国さえ見ていれば済んだ、という時代は終わりました。しかし、それは単に日本が世界の中心で屹立するという単純な自己愛に移行するからなのではなくて、米国との負担共有を図り、中国とも応分の付き合いをしながら、自国防衛の責任を果たすからなのです。

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■ 三浦瑠麗氏 昭和55(1980)年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科修了。近著に『21世紀の戦争と平和 徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』(新潮社)。