雑誌正論掲載論文

前宮内庁侍従次長 佐藤正宏インタビュー 天皇陛下が追究された「象徴」

2018年12月15日 03:00

月刊正論1月号

 ――「平成」がいよいよ、その幕を下ろそうとしています。天皇陛下は平成28年8月、譲位のご意向をにじませたお言葉をビデオメッセージで示されました。加齢による体力低下を自覚され、「これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるか」とお考えになったと、説明もされました。

 佐藤 お側でお仕えした身としては正直、「寂しい」という思いはしますが、天皇陛下のお気持ちはよく分かる様に思えますので、「陛下らしいご判断をされた」と受け止めております。天皇陛下は「どのように国民の期待に応えるべきか」を長年模索され、そのお考えを結実してこられました。例えば災害が起これば、文字どおり物理的に被災地に赴き、被災者に心を寄せることが象徴天皇の在り方なのではないかとお考えになっています。一方、科学者でもいらっしゃる天皇陛下は、合理的なお考えをお持ちです。誰でも年を取れば肉体的に衰えるということを認識されています。そしてその場合、象徴天皇の役割をこれからも果たしていくためにはどうしたらいいのかと考えられたとき、お元気なうちに次の天皇に譲ったほうがよいのではないかという結論に至られたのではないでしょうか。昭和天皇から託された責任を皇太子殿下へ。天皇陛下は天皇としての役割が途切れることなく継承されることこそ重要だとお考えになっていると思います。

 ――平成7年から平成24年まで、侍従、侍従次長を務められた佐藤さんは、「平成の真ん中の17年間」を陛下のお側で過ごされたことになります。どのような経緯で侍従の仕事に就かれたのでしょうか。

 佐藤 私は皇室と特別ご縁が深かったわけではなく、宮内庁に入る前は東京銀行でフランスのパリ支店次長やベルギーのブリュッセル支店長などを務めていました。幼い頃は旧通産省から外務省に出向していた父の仕事の関係で、フランスやアメリカで暮らしたことがありました。平成の御代となり、天皇陛下が海外を訪問される機会が増えるなか、宮内庁側に「侍従にも国際経験豊かなプロパーの人材を入れ、対外的な問題の蓄積を図る方がいいのではないか」という考えが芽生え、しかるべき人材を求めていたのだと思います。宮内庁に初めて出勤し、両陛下に皇居で拝謁を賜った時は非常に緊張しましたね。

 ――世界を股にかけて活躍していた銀行員が突如、宮内庁に入られたわけですが、戸惑いはありませんでしたか?

 佐藤 金融業界に限らず、私企業に身を置く人は収益性や合理性を追求しつつ、仕事に当たります。一方の宮内庁は皇室の方々をいかにお支えすべきかという世界であり、そういう意味においては全く次元の異なる世界ですから、戸惑うことが少なくありませんでした。合理性とスピードが重視される銀行員時代は上司に上げる書類に赤文字で「至急」と記すことはありましたが、天皇陛下に対してそのようなことをすることはできませんね。

 ――侍従、侍従次長として、何を最も意識しながら仕えていらっしゃいましたか。

 佐藤 如何に陛下のお考えに沿ってお仕えすべきかという意識ですね。これは侍従になって間もない頃の話ですが、天皇皇后両陛下の地方行幸啓にお供した際、沿道に奉迎者が溢れ、目的地への到着が10分ほど遅れたことがありました。ご到着後に10分ほどご休憩をとる予定であったため、私は関係者に「式典の開始を少し遅らせて下さい」とお願いし、実際、そのような流れになったのですが、後に両陛下から「あのような場合、私たちは休まなくていいので、会場で待っている人々のことを最優先に考えるように」というご指摘をいただきました。合理性だけでは図ることができない、国民を大切に思う両陛下のお心に触れ、私は「認識を改めなければならない」と反省したものです。

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■ 佐藤正宏氏 昭和16(1941)年、東京生まれ。小学校3年間はフランスで、高校時代はアメリカで過ごす。東京大学経済学部卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、パリ支店次長、ブリュッセル支店長を歴任。平成7年に宮内庁侍従、平成20年に同侍従次長を拝命。豊富な海外経験を活かし、天皇皇后両陛下の海外19カ国の公式ご訪問に供奉した。平成24年6月に退官し、同年9月より明治神宮国際神道文化研究所所長。瑞宝中綬章、ベルギー王冠勲章オフィシエ章を受章。