雑誌正論掲載論文

「徴用工」というペテン 奇怪な「日本統治不法論」

2018年12月05日 03:00

麗澤大学客員教授・モラロジー研究所教授 西岡力 月刊正論1月号

 10月30日、韓国最高裁判所(大法院)が朝鮮人戦時労働問題で日韓関係の根幹を揺さぶる確定判決を下した。政府は国際司法裁判所に提訴することも含めて毅然と対応するとしている。国内では国際法違反、法治を破って国民感情を優先したなどという批判の声が高まっている。中には制裁せよ、断交せよという強硬意見さえある。

 しかし、私は状況はそれほど有利ではないと危機感を持っている。なぜなら、最高裁判決は1965年の協定とその後の韓国内で2回にわたって行われた個別補償等について詳細に事実関係を記述した上で、「朝鮮半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した反人道的な不法行為に対する慰謝料」という理屈を持ちだして論理を構成しているからだ。

 その論理の土台には日本の統治が当初から不法だったという奇怪な観念がある(以下「日本統治不法論」と呼ぶ)。当時朝鮮は大日本帝国領であり朝鮮人は日本国籍者だった。だから、彼らを日本国が戦争遂行のために軍需産業で賃労働させることは合法的な活動で、それ自体が慰謝料を請求されるような不法活動ではない。ところが、「日本統治不法論」により、待遇も悪くなかった賃労働が「反人道的な不法行為」に化けてしまうのだ。

 この論理にかかると、戦時労働者問題が人権問題に化けてしまう。そうなれば、国際社会で「日本はナチスの収容所での奴隷労働と同じような奴隷労働を多くの韓国人男女に強要しながら、被害者の意向を無視して韓国保守政権にいくばくかのカネを支払って、責任逃れをしている」とする誹謗中傷が広がってしまう恐れがあるからだ。

 外務省は世界に向けて判決の不当性を広報するという。しかし、その内容が1965年の協定など戦後処理に限定されるなら、失敗する危険がある。裁判を企画、支援してきた日韓の反日運動家・学者・弁護士らは、「日本が戦時に朝鮮人労働者を強制連行して奴隷労働させた、ナチスの強制収容所と同種の人道に対する罪を犯した」という事実無根の誹謗中傷を行ってきたからだ。そこまで踏み込んで反論しなければ負ける。

 公娼制度下で貧困の結果、兵士を相手する売春業に従事した女性たちを「性奴隷」だとして日本の名誉を傷つけた人と同じたちが、総体的に好待遇の賃労働に就いていた朝鮮人労働者を「奴隷労働者」として宣伝しようとしているのだ。すでに10月30日付「ニューヨーク・タイムズ」が韓国人の原告はSlave Labor(奴隷労働者)だったと書いている。

 それを正確に理解した上で、反論し、国際広報しなければならない。 2012年に韓国・最高裁が企業の賠償責任を認める異例の差し戻し判決を下したのだが、そのとき、突然、それまで韓国の裁判所で採用されたことがなかった日本の統治が当初から不法だったという奇怪な観念が判決の主たる部分に登場した。それが今回の確定判決でもそのまま踏襲されている。本稿では、今回の判決を分析し、それに全面的に反論を加えた上で、日本がこれからどう対処すべきかについて書きたい。

 まず用語のことから書く。原告は徴用ではなく募集により渡日している。ところが、いまだに「徴用工」という事実に反する言葉が大多数のマスコミで使われ続けている。

 私も企画委員・研究員として参加している国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)は11月14日に、まず、徴用工という用語を使うことを止めるべきだと考え、「朝鮮人戦時労働者(wartime Korean workers)」という用語を使うことを提唱する提言を発表した。本稿はこの提言に従って戦時労働者という用語を使う。

 さて判決批判に入ろう。判決理由部分は第1項の「基本的事実関係」と第2項から第6項までの上告理由の検討、第7項「結論」という構成になっている。

 まず「1 基本的事実関係」だ。この部分は判決理由全体の半分を占める。原告4人の渡日経緯、日本での生活などの記述に注目したい。訳文で傍線を付けたが、4人は徴用によって渡日したのではない。

 原告1と2は、「1943年9月頃、上記の広告を見て、技術を習得して朝鮮で就職することができるということに魅力を感じて応募した後、旧日本製鉄の募集担当者と面接をして合格して、上記の担当者の引率で、旧日本製鉄の大阪製鉄所に行き、訓練工として労役に従事した」。2人は、自ら求人に応じて試験を受けて合格して訓練工として就職したのだ。

 原告3は「1941年、大田市長の推薦を受け、報国隊として動員され、旧日本製鉄の募集担当官の引率に従い日本に渡り旧日本製鉄の釜石製鉄所でコークスを溶鉱炉に入れ、溶鉱炉から鉄が出てくればまた窯に入れるなどの労役に従事した」。41年は企業が朝鮮に渡って労働者を集めた「募集」の時期だ。

 判決でも時代背景のところで〈1938年4月1日に「国家総動員法」を制定、公布し、1942年に「朝鮮人内地移人斡旋要綱」を制定、実施して、朝鮮半島各地域で官斡旋を通じて人力を募集し、1944年10月頃からは「国民徴用令」により一般朝鮮人に対する徴用を実施した〉と書いて、あえて「募集」の時期に触れず、「募集」には強制性がなかったことを認めているようにも読める。それなのに、判決は41年に募集に応じて渡日した原告3を強制動員被害者としている。ここに矛盾がある。

 原告4は「1943年1月頃、群山府(今の群山市)の指示を受け募集され、旧日本製鉄の引率者に従って日本に渡り、旧日本製鉄の八幡製鉄所で各種原料と生産品を運送する線路の信号所に配置され線路を切り替えるポイント操作と列車の脱線防止のためのポイントの汚染物除去などの労役に従事した」。官斡旋の時期だが、「募集」と書かれている。

 以上見たように、原告4人には徴用で渡日した者は一人もいない。

続きは月刊正論1月号でお読みください

■ 西岡力氏 昭和31年、東京都生まれ。国際基督教大学卒。「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)会長。朝鮮半島問題のエキスパート。麗澤大学客員教授。