雑誌正論掲載論文

たばこと離婚 どちらが体に悪いか 「受動喫煙」のウソ・ホント

2018年11月05日 03:00

青山学院大学教授 福井義高 月刊正論12月号

人間は誰かを
見下さずにはいられないようだ
ジョン・スタドン

 かつて大人の男にとって、たばこを吸うことは当たり前であった。しかし、近年では、喫煙者への風当たりは強くなる一方であり、日本の成人男性に占める喫煙者の割合は3割を切っている。今の世の中、法令に違反するわけでもないのに、たばこほど嫌われた消費財はない。しかし、たばこの何がいけないのであろうか。

 筆者自身、たばこは吸わないし、できればたばこの煙にまみれたくない。とはいえ、何かと政府の介入を求める今日のいわゆるリベラルとは違い、大多数の人の価値観から見て好ましくないことであっても、ある行動の「悪」影響が本人に留まる限り容認するというのが、基本的に古風な自由主義に立脚する現憲法の立場であるはず。要するに、他人に害を及ぼすのでないかぎり、個人の行動に干渉することは厳に慎まねばならないということである。

 それでは、喫煙はどれほど他人に迷惑をかけているのだろうか。以下、学術論文ではないので、いちいち引用しないけれども、欧米での研究成果に拠りながら(主要なものは文末に挙げた)、今日では多数派となった非喫煙者に対する、たばこの影響を検討する(厳密には因果関係ではなく相関関係)。また、たばこのリスクを広い視野から検討するため、別の健康リスク要因である離婚を後半で取り上げる。

 まさに他人への迷惑が主題となっている受動喫煙の問題はのちほど検討するとして、まず、喫煙者本人にかかわる社会的コストから見てみよう。

 喫煙が身体に悪いことに疑問の余地はない。タバコを毎日1箱吸い続けると、非喫煙者に比べ肺がん(や慢性閉塞性肺疾患)で死ぬ確率が20倍程度、心臓病(主に冠動脈性心疾患)で死亡する確率が2倍程度上昇し、平均的に寿命は5~10年ほど短くなる。先進国では平均寿命が80年程度なので、人生が約1割短縮されるわけである。

 しかし、喫煙者が平均的に早死することは、社会的コスト計算に入れるべきではない。自家用車運転も冬山登山も危険であるけれども、個人はその危険がもたらすマイナスと得られる満足を比較考慮して、あえて危険な行動を選んでいる。喫煙も同じことである。たばこの危険性が周知され、それでも喫煙する大人に対して、他人が、喫煙で寿命を縮めるのは社会的コストだと主張し、介入しようとするのは、大人を子供扱いするパターナリズムであって、現憲法が立脚する自由主義とは相いれない。

 もちろん、喫煙に起因する病気の医療費は社会的コストに入れるべきであり、こうした計算は日本でも行われている。たとえば、厚労省の推計では2015年度のたばこの害による総損失額は2兆500億円とされる(2018年8月8日付『産経新聞』)。しかし、喫煙者の社会的コストとは、喫煙者が存在することによる追加コストであって、そのためには、喫煙者がいる現状と喫煙者がいない(仮想的)状況を比較する必要がある。

 たばこを吸っても吸わなくても、人間は誰でも死ぬ。しかも、長生きすればするほど、医療費がかかる。したがって、喫煙者が非喫煙者に入れ替わった場合、喫煙に起因する医療費はゼロになっても、その他の医療費がゼロになるわけではなく、平均的に寿命が延びることによる医療費増も勘案する必要がある。さらに、高齢になるほど急増する介護のコストも考慮しなければならない。

 実際、オランダに関しては国立公衆衛生環境研究所の研究者が、米国に関してはリスク研究の泰斗キップ・ヴィスクーシ教授(ヴァンダービルト大)が具体的な金額計算を行っている。オランダでは、喫煙者が増えると、トータルの医療費が減少するという結果が出ている。

 さらに、喫煙に起因する死亡は、若年では稀で、ほとんどが50代後半以降の現象である。したがって、平均的な喫煙者は、年金保険料の支払いを終えた後、非喫煙者より短い期間しか年金を受給せず死亡するので、この面でも財政に「貢献」していることになる。米国では、医療費だけで見れば喫煙の社会的コストはプラスであるけれども、介護費用減少分と年金給付削減効果を含めると、トータルではマイナスという結果が出ている。

 この種の計算では不確定要素が多いものの、年金削減効果を入れれば、喫煙者の社会的コストがマイナス(つまり「コスト」ではなくベネフィット)であることは確実、すなわち喫煙者の存在は非喫煙者にとって経済的にプラスである。なお、ここまでたばこへの重課税分を考慮していなかったので、それを加えれば、喫煙の社会への「貢献」はさらに大きくなる。

 このような費用便益計算については、道徳的に容認できないという主張がある。しかし、喫煙は自己決定に基づくものであり、他人が強制したものではない。他の危険な行動同様、本人にその結果が帰属しない外部効果を除けば、前述のとおり、喫煙がもたらすプラスとマイナスを考慮したうえでの大人の判断である。喫煙者はたばこの危険性を過小評価しているので、過大に消費しているという主張も事実に反する。ヴィスクーシ教授が指摘しているように、むしろ喫煙者は喫煙に起因する死亡確率(肺がん1割強、全要因4~5割程度)を実際と同程度かむしろ過大に評価している。

続きは月刊正論12月号でお読みください

■ 福井義高氏 昭和37(1962)年生まれ。東京大学法学部卒業。カーネギー・メロン大学Ph.D.旧国鉄勤務などを経て現職。専門の会計制度・情報の経済分析にとどまらず、歴史問題など幅広く研究。